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オートバイに乗り続ける理由

昨日、Youtubeを開いたらレコメンドに三好礼子さんが出てきた。80年代にライダー、冒険家、文筆家として(たぶんそんな感じだった)活躍した三好さんが現在は長野県松本市でカフェをしていらっしゃる内容だった。

片岡義男さんの小説「彼のオートバイ、彼女の島」の表紙を飾ったほどの美人でもある三好さん。そして何かしらの経験を積んだ人にしか出せない、間合いを一瞬で詰めてくるような笑顔を放つ事のできるこの方は、会ったこともないのに礼子さんと呼んでしまいたくなる親近感のある素敵な女性だ。

そんな礼子さんの映像を見ながら、この人は何故オートバイにのめり込んだのか?自分は何故、数十年もオートバイを降りずに乗り続けているのか?という問いを思い出した。
思い出したというのはこの問いは、だいぶ以前から何度も何度も考えてきていて、既に実は答えは出ているから。だけど、それでもこんな時につい思い出しては、また探ってしまう。

オートバイは、感性の乗り物だと思う。

身体が露出しているから風を全身で感じる。暑いのも寒いのも、雨も雪も泥も、匂いさえ体当たりで感じ取れる。ヘルメットはあるけど、クルマのような室内空間ではないから後ろを振り向いたり、上を見たり、下を見たり、空や海や山、鳥や動物に美しい建造物など、見たいものをダイレクトに感じ取ることができる。そうやって地球を舞台に人の感受性をむき出しに近い状態に晒してくれる効果がオートバイにはあると思う。

年をとって、自分自身の感受性が乏しくなったりして触れるものに感動しにくくなってしまった人がいたとしても、オートバイはちょっとだけその人を非日常に連れていってくれるのだ。

僕はと言えば、感性を生業に生かしていただいている。だから、年をとっても、生活が安定しても、一番に感性を大切にする必要がある。使命でさえある。と思っている。それが無くなることを想像するとホラーである。

だから好きに生きる。
やりたいと思ったことはなんでもやる。

他人から見れば自由人かな。
でも、けっこうもがいてるんです、自由のなかで。w
いや、自由なのかな。

イカン、問いが増えた。w

ということで、自分にとっては日々感性を磨ける、学べる、感じられる生き方をしていたい。そのツールの一つがオートバイなのだ。
まあ、10代から乗っているオートバイがたまたま役に立っているとも言えるけど。でも、感性に必要ない趣味は全て捨てた。

オートバイ選びも重要。
もっとも重要なのは、疲れるオートバイ。これが良い。身体が疲れると感受性が立つ。山登りや自転車など身体を鍛えることを趣味にしている人と同じ理屈だと思う。
もちろん、どんなオートバイでも疲れるまで乗ればいいのだけど、最近の優秀なオートバイは簡単には疲れない。僕が好きで乗っていると言っても本業はある訳で、さすがに旅人のように突然何週間もふらっと行くことは出来ない。(憧れてるけど。いつかやりたいけど。)
風も当たらない優秀なオートバイに乗って時間をかけていては、目的が果たせないのだ。

また自分の好みの乗り方は知らない景色に出会うこと。新しい何かに出会うことは感性にとても重要。常に知らない世界へと向かっていきたい。だからオートバイの使い方が旅になっていくし、ちょっとしたケモノ道にも入って普段見られない景色に出会えるような能力が欲しい。決してガレ場に入ってスキルを上げたいのでも、転んで楽しみたいのでもない。むしろカメラ積んでるので転びたくなどない。

一言で言えばオートバイ好きだけど、きっと個人個人にはいろんな訳があって、楽しんでいるのだと思う。乗り続ける理由があるのだと思う。

そんなこんなで今は、XT500が相棒。

疲れるんだよなぁ。
疲れ過ぎてないか?

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