島日記 やはり野におけレンゲ草
疲れているのに眠れない、ではなく長く眠れないというか、何度も目覚める。
もう少し眠ろうと思うが眠れない。
そのうちコーヒーが飲みたくなって起き上がる。
コーヒーは心残りの眠りを遮断してくれる。
雨が降っている。
雨でも窓を開け放つ、まだ漆黒の闇、夜明け前がいちばん昏いというのは本当か。
白じらとする世界を待つひとときは何に例えよう。
きっと来るという安堵と期待。
実態のないものに例えられる想像力が欲しい。
ないものねだりをする年齢ではなくなっているから諦めよう。
立ちっぱなしのウコンひげ切り作業が続き、疲れを止める晩酌が長くなってしまう。
目がつぶれそうになるのを押しとどめ、朝の続きのnoteに向かう。
朝はその日の気分でさわりを書いたり、休みの日には一気に書いたりする。
朝型に変わったら、夜は休息のための時間になり下がった。
さて今日は何を書こう。
レンゲソウを見て、「やはり野におけレンゲ草」という言葉が思い浮かんだのでそれにしょうか。
タラの芽を見つけたので、タラの芽にするか。
クレソンを山ほどもらったのでクレソンによせてみようか。
いえ、青いパパイヤのこと?
うーん、どうしよう。
帯に短し襷に長し。
やはり野におけレンゲ草はれっきとした俳句である。
「手に取るなやはり野に置け蓮華草」滝野瓢水(ヒョウスイ)
野にある花は野にあるのがいちばん似合っている、おめおめとってきて花瓶に入れるなよというような意味だと思った。
しかし、この句は遊女を身請けしようとする友人に贈った句らしい。
遊女をレンゲ草に例えて、ふさわしい場所にいたほうがよいと。
瓢水は豪商の放蕩息子で財産を使い果たし貧しくなり、出家して悟りをひらいたと吹聴するような風狂人という。
こんな句もある
「有(ある)とみて無(なき)は常なり水の月」
ものごとに執着するべからず。
よし、決まった。
野菜はいい、置いておくだけで存在感がある。
今日もお付き合いくださってありがとうございます。