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「胆汁質と粘液質の似ているところと似ていないところ」
昨日は「多血質」と「憂鬱質」の似ているところと似ていないところを書きましたが、同じようなことが「胆汁質」と「粘液質」の間にも言えるのです。
どうしてそういう相似的な現象が起きているのかというと、「四つの気質の働き」が「自然界の循環」を支えているからです。
上がったものは下がります。拡散したものは凝縮します。右に行ったものはどこかで左に曲がります。そうでないと上がったまま、拡散したまま、行ったきりになってしまい循環がなり立たなくなってしまうからです。そして自然界も、命の世界も、社会も循環によって支えられています。
ただしここで起きている相似は「逆相似」(フィルムのポジとネガにような関係)です。それは「根っこ」と「枝」が似ているようなものです。
木を根っこごと地面から掘り起こしてひっくり返したら、普通に立っている木と似たような構造になっていますよね。
以下の写真はアフリカのマダガスカルに生えているバオバブの木ですが、枝がまるで根っこみたいでしょ。これほど極端に似ていなくても、構造的には似ているのです。
木は根と枝を使って天と地を循環しているのです。
![](https://assets.st-note.com/img/1739146790-hBHWva8Cjf5wZ9FxqSNsPmeD.jpg)
私たちのからだの中で血液を循環させている血管の構造も同じです。血液は心臓の動脈から出ていって毛細血管によって体中に運ばれ拡散しますが、今度は、別の毛細血管によって、来た時と逆の過程を通ってまた一つにまとまり心臓に帰っていきます。
![](https://assets.st-note.com/img/1739146827-g52bdCDf4QALPzlJiFK0mVNU.jpg)
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)
四つの気質はそれぞれ「春」(多血)、「夏」(胆汁)、「秋」(憂鬱)、冬(粘液)に例えられていますが、「春」と「秋」とでは逆の現象が起きていますよね。夏と冬も逆の現象が起きていますよね。だから見かけは正反対なんですが、構造的には似ているのです。
まず、感覚の感性や、思考方法や、体型が似ています。「エネルギーの流れの向き」は逆ですが構造は似ているのです。
多血質と憂鬱質の人の感覚や感情の状態は不安定です。そのため両者とも様々な変化に敏感です。違うのは、多血質の人はその変化を喜び、憂鬱質の人はその変化を怖がるということです。
不安定という点では春と秋も似ていますよね。春の不安定さは命のエネルギーが活性化する夏への階段のようなものです。でも、秋の不安定さは、命のエネルギーが低下する冬への階段のようなものです。同じ不安定でもその意味が違うのです。
多血質と憂鬱質、胆汁質と粘液質の人は骨格的にも似ています。声の状態も似ています。
多血質と憂鬱質の人の感覚や感情は不安定だと書きましたが、胆汁質と粘液質の人の感覚や感情は比較的安定しています。
胆汁質と粘液質の人は一見正反対に見えるのですが、正反対であるがゆえに似ているのです。そして、胆汁質の人が一番苦手なのが粘液質の人です。
また、胆汁質の人はリーダー向きだと言われますが、粘液質の人もリーダとして活動できるのです。
違うのは胆汁質の人は「俺についてこい型」のリーダーですが、粘液質の人は「調和を大切にする型」のリーダーだということです。
多血質と憂鬱質の人は脅かせばなんとかなります。でも、粘液質の人には脅かしが通用しないのです。何を考えているのかすら読めません。
胆汁質の人は感情や言葉や行動をドンドン排泄します。多血質と憂鬱質の人はその排泄物に敏感に反応するのですが、粘液質の人はそれをスルーしてしまいます。安定しているので振り回されないのです。だから、やりにくいのです。
ちなみに憂鬱質の人が一度怒ると、心もからだも固まってしまい、しばらくその状態から抜け出せなくなります。でも、胆汁質の人は、大声で怒鳴った後でも、別人のように笑うことが出来ます。からだが固まらないからです。