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「憂鬱質と多血質」(似ているところと似ていないところ)
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一般的に「憂鬱質の人は暗く、多血質の人は明るい」というイメージがありますが、それはちょっと正しいですけど、正確には正しくありません。
憂鬱質の子どもでも、安心出来る場で安心出来る人といる時には、多血質のイメージのように明るいです。
また、成長と共に色々なことを学び、自分で自分の安心を保てるようになれば、色々な場に行っても、色々な人に会ってもその明るく楽しい状態を維持できるようになります。
逆に多血質の子でも、自由と仲間を失い、刺激が少ない環境に束縛されていると、憂鬱質のイメージのように暗くなります。
実は、多血質と憂鬱質は似ているのです。人間や刺激に対して高い感受性を持っているという点でも、感覚や感情の状態が不安定だという点でも似ています。
私の想像では、この両者は元々は同じものだったのではないかと思っています。
人間以外の動物でも、不安を感じるような状態に置かれるとからだを固め、神経質になり、些細な刺激にも敏感になります。
それは、知らない相手や知らない状況の中ではなにが起こるか分からないし、何か起きた時には自分の力で自分の身を守る必要が生まれるからです。
ですから憂鬱質的な特性は、弱い動物が厳しい自然界の中で生きていくためには必要な能力なんです。
それに対して、社交的で、明るくて、楽しい多血質的な性格は「群れ」の中で生活している時にだけ必要になります。自然の中で、自然を相手に生きている時には多血質は必要がないのです。
実際、憂鬱質的な野生動物はいっぱいいますが、多血質のような人なつっこい野生動物はあまり知りません。多血質のように警戒心が弱ければ自然界では生きていけないからなのでしょう。そうい動物が存在するのはアニメの中だけです。
人間が多血質的な気質を進化させてきたのは、人間が人間だけで群れを作り、社会生活を営むようになってからなのではないかと思います。でも、多血質の人でも、身の危険を感じると、その根底にある「危険に対処するための憂鬱質的な素質」が目覚めてしまうのではないかと思っています。
でも、警戒心が強い野生動物でも、人間に飼われ、安心と安全と食料を与えて貰うことで人なつっこくなり甘えてきます。人間に対してあまり警戒しなくなります。つまり、多血質的な状態になります。
それでも個体差はあります。人間の世話を受けていても、いつまでも警戒心を解かず人に懐こうとしない個体もいれば、すぐに人間に懐いてしまう個体もいます。
その個体差を生み出しているのが気質の差なんだろうと思いますが、厳しい自然界の中にいる時にはその差は表に表れないのです。
赤ちゃんでも、お母さんに抱かれている時にはニコニコして、嬉しそうに多血質的にはしゃいでいても、知らない人に抱かれると、突然憂鬱質の子のようにからだを固め、不安な顔になったり、泣き出したりしますよね。それがいわゆる「人見知り」という状態です。
これは程度の差はありますが、基本的にはどんな子にもある現象です。
この頃はまだ、野生動物のように憂鬱質と多血質が分離していないのでしょう。
でも、その人見知りがズーッと続く子と、さっと通り過ぎてしまう子がいます。
私には孫が6人います。
で、一番最初に生まれた孫は結構人見知りが続きました。といっても人並み程度ですけど。それが長く感じたのは2番目があっという間に人見知りの時期が終わってしまったからです。
人見知りの時期はあったのですが、「人見知りが始まったな」と思ったら、すぐに終わってしまったのです。この子は誰に対してもニコニコして甘え上手です。食べるのが大好きで、何か食べさせているとニコニコしてご機嫌がいいです。
人間関係が広がるにつれ、その子の中で眠っていた気質が目覚め始め、はっきりとしてくるようです。
そんな風に似ている憂鬱質と多血質なんですが、当然違うところもあります。
憂鬱質の人は知識を得たり考えることによって物事を理解し、安心を得ようとするのに対して、多血質の人は他の人とのつながりによって安心を得ようとすることです。
憂鬱質の人が苦しくなるのは、いくら知識を得ても「まだ知らないことがあるんじゃないか」と考えたり、考えすぎて頭の中がグチャグチャになってしまうからです。
ですから、グチャグチャにならないような「正しい考え方」を身につけることで、不安や苦しみに束縛されなくなります。
憂鬱質の人は自分で自分を苦しめているのです。逆に言うと、だから、学び直しをすることでその苦しみから逃れることも出来るのです。
それに対して、多血質の人が苦しくなるのはつながりが失われた時です。求めるものが満たされなくなると多血質の人は苦しくなるのです。自分では色々と考えているつもりでも憂鬱質の人の思考に比べたら底が浅いです。
だから、その状態から抜け出すためには他者の手助けが必要になるのです。
もちろん多血質の人も考えたり悩んだりします。でも、突き詰めることが出来ないのです。途中で自分が何を考えていたのかすら分からなくなってしまうこともあります。それで「ま、いいか」となって終わります。
でも、憂鬱質の人はどこまでも突き詰めようとします。だから考え方が間違っているとこんがらがって身動きが取れなくなってしまうのです。
憂鬱質と多血質は写真の「明るいポジ」と「暗いネガ」のように、見かけは逆なんですがパターンは似ているのです。だから、周囲の状況次第でひっくり返ってしまうことがあるのです。