言葉にできない 3.11に寄せて
10年前の今日、
私の生まれ故郷は、被災地とよばれるようになった。
2011年3月11日、
朝起きると夫から、"君のホームタウンが大変なことになっている。" と言われ慌ててPCを見ると、画面には衝撃的なニュース映像が映っていた。
私はニュース速報を目で追いながらも、ぼんやりと頭の片隅で、これは本当のことのなのか?と思った。こんなパニック映画みたいなことが自分の故郷で起こっているなんて…その時は嘘みたいにしか思えなかった。
そうだ家族は?ハッとして我にかえり、国際電話をかけたが全く通じず、何度もかけ続けたがそれから三日間、家族の安否は分からなかった。
次々と入ってくるニュース映像は現実感がなく、だから尚いっそう恐ろしくて、私は震えながら混乱しほとんど眠れず、遠く離れた異国の地でただ泣くことしか出来なかった。やっと家族と連絡がとれた時の安堵は今でも忘れない。
しかしそこからが、家族や故郷の人々にとっては、本当の苦難の始まりだったと思う。私の生まれ育った町は津波の被害はなかったが、目には見えないものに脅かされるようになった。
ーー何も知らされてなかった。こんなことになるなんて思いもしなかった。
断水となったため、雪のちらつくなか傘もささずに幼い子供の手をひいて、給水の列に長い時間、並んでしまったことを家族は悔いていた。
ーー今すぐどこか遠くへ逃げたい。此処から遠ければ遠いほどいい。
家族は電話口で懇願した。
どこかって、どこへ…。
国内線のルートマップやタイムテーブルを調べたが、一番近い空港は地震の被害で閉鎖されていた。
町を出て行った者、残った者
町へ戻った者、戻らなかった者
何が正しくて、何が正しくないのか
これから何が起きるのか、それとも何も起こらないのか
様々な分断があり、親しい友人や家族の間でさえ、震災にまつわることを表立って口にするのは憚れるようになった。
震災は、土地だけでなく人々の心にも暗い影を落とし、大きな爪痕を残した。
あれから10年、復興という言葉が叫ばれ続けている。
故郷を出て久しい私に、何が語れるだろうか。
だけれど、
まだ震災は終わっていない。
何も終わってなどいないのだ。
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