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いつも心に春馬くん

今月もまた、七回目の月命日がやってきた。
これからもずっと、こんな風に月日を数える日々が続いてゆくのだろうか。

春馬くんは、いつも心にいる。

毎日心の中の春馬くんに語りかけ、彼ならこんな時何と言うか、どうするかと考えてみる。春馬くんには映像の中でしか会ったことがないから、心の中にいる彼は自分が作り出した想像上の春馬くんなのかもしれないけれど、とにかくいつも心の中には春馬くんがいる。
まるで家に下宿している親戚の甥っ子か、随分年下ではあるけれど精神的には私などよりよっぽど老成しているので、師匠くらいの立ち位置だ。

もはや、いい加減もう引きずるのはやめよう、前に進まなければ、ということも思わなくなった。
だって、いつも心の中に春馬くんがいる状態が、私の日常になったから。
ご飯を食べて眠るように、毎日当たり前に春馬くんを想っている。
このままいくと、息を吸って吐くように、春馬くんを想えるようになるかもしれない。

この域まで到達してからは、春馬くんとは何の関係もない今期の新ドラマや映画なども観られるようになってきた。
だけどそれらを観ながらも、演じる俳優さん方には大変申し訳ないが、”春馬くんだったらこの役はどんなビジュアルでどんな風に演じただろう” 、 ”あ、この役は春馬くんに演じてもらいたかった…” などと、いちいち脳内シュミレーションしてしまう自分がいる。
それらを鑑賞した後の〆は、やっぱり春馬くんの写真や動画に戻り、安心し眠りにつく。

◇  ◇  ◇ 

私はこの歳になるまで、特定の俳優やミュージシャンなどに、寝食も忘れるほど夢中になった経験がただの一度もなかった。
一人の俳優の存在に一喜一憂し、涙したり熱くなったりしている自分の姿を、この人そうとうハマっちゃってるよ…と俯瞰して見ているもう一人の自分もいる。
それでも心にどんどん積み重なってゆく春馬くんへの想いに戸惑い、どうしたらいいか分からなくなりnoteへ綴るようになった。

春馬くんの面影を追い、沢山の作品に感動しその人間性までも垣間見て、春馬くんという人の深みにハマるほどに、あの悲劇がなければ自分は一生彼という俳優を知らなかったのだ、という現実を突きつけられる。
もしもあの悲劇が起こらず、あの日の前に時間が戻って、今もこの世界で春馬くんが生き続けられるのなら、自分はこれまで通り彼のことは 、”何となく名前は知っているけど、それ以上は何も知らない俳優” でもいいから、だから、春馬くんをどうか生かしてください、などと祈るような気持ちになることもある。

だけど…こんな素晴らしい人を知ってしまったら、もう後戻りはできない…。
悔しいけど、春馬くんを知ることが出来てよかったのだ。

noteでやりとりさせて頂くようになった皆さんと春馬くんについて語る事は、気持ちが墜ちている時には元気をもらい、春馬くんの素敵さをコメントし合ってはテンションが上がったり、本当にグリーフケアのような助けになっていたと思う。
このような小さな集いが、noteやブログ、SNS、YouTubeなど、ネットを介し国も超え、あちこちで自然発生して、沢山の顔も本名さえも知らない者同志が繋がり、春馬くんへの想いを共有している。

旅立った後もなお、ここまで人々を魅了してやまない春馬くんという人間の偉大さ、高潔な精神と神々しさに、日が経つほどに尊敬の念が増してゆく。
でもこの神様は、近寄りがたい存在ではなくて、お茶目で涙もろい感動屋で、ちょっと天然で愛くるしい。

今は、天馬のように翼を広げ、自由な空を駆けながら、
天から皆んなを見下ろして、
 ”またね!” と笑っているかもしれない。

そうだといいな。
笑ってくれているといいな。



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森野 しゑに
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