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自分以外のだれかが、答えを持っているという最大の勘違いをしていた。

年齢と立場上、

相談(愚痴?)らしきものを
受けることが多くなった。



そこで感じたことが溢れて
まとめたくなったとき、

この記事のタイトルを
『悩みの解決の方法』にしようかと
迷ったくらい、

この、
 “ 悩みの相談を受ける ”というのは
“ じぶんの悩みの解決にもなる ” ということに
気が付いたんです。


ポイントは以下の2つ。

①フラットに聞く。
②数多く聞く。

この2つで、あなたの悩みは解決です。(えっ)



相談に乗ったときに
例えどんなに共感できたとしても、

「分かる~!」と言い合うような
キズの舐めあいにならないように
フラットに聞いているのがコツで

ただ、
あまりにもじぶんと
かけはなれたような
共感できなさすぎる悩みだと、
こちらの気づきがないかもしれない。




単純に、
『ひとは、このように悩むのだな』というのが
ありありと見えてくるってだけの
話しなのですが。。


鏡みたいなもので
自分の考え方のくせとかも
一緒になって浮彫になってくるので

「ああ、じぶんもこう考えちゃってたな。直そう」
と思えてくるというか、

それはけして、
他人を踏み台に
しようとしているわけでは
勿論なく、

自然と素直に、
そう思えてくるのです。


これ、ほんとうにオススメです。(疲れる場合は即中止してください。笑)




答えを求める、心理。


さて、

じぶんの悩み云々はさておき、

いろんな悩み(愚痴)を聞いていく中で、
だんだんと、わたしはある言葉に
違和感をおぼえ始めたのです。

それは、
「○○~なことがあって、わたしが間違っていますか?」という言葉。

これをけっこう聞くのである。



最初のころは
「うんうん、そっかー、間違ってないんじゃない?」と
返していたが、


だんだんと、
はっきりとした違和感に変わった。



それを聞いて、どうするの?である。


冷たい言い方に聞こえてしまう恐れもあるけれど、
それを聞いて、どうするの?が、率直な意見であるのと、


これ、『わたしもやってたー』って気づかされたのです。
「わたしの考え方が、おかしいのかな?」って、
いちいち聞いていたときがあった。


いま思い返してみれば、
『そんなことないよ』と
肯定されたい気持ちの現われであったと
認めることができる。(汗)


単純に、
ひとからそう言ってもらうと
安心するから、
「間違ってない」と言われたいのが
心情であろうか。


ひとから言ってもらえると
なんか心強いし嬉しいし。




いま幾度となく、
「わたしが間違ってますか?」と
尋ねられる側になって、思う。



それをだれかに聞いてみたところで、
どうなのだろう。

仮に、
AさんとBさんとCさんに聞いたときに

優しいAさんは「正しいよ」
気まぐれBさんは「間違ってなんかないよ」
厳しいCさんは「間違ってる」というような、


だれが答えるかによって
バラバラにしか過ぎない、
そんな答えを信じていいのだろうか?ということである。


優しいAさんが
不機嫌なときだったら「間違ってる」と言うかもしれない。




二元論にしがち。


もうひとつの心理として、
“ 二元論にしがち ” があると思う。

じぶんが間違っているか、
正しいのかを決めたくなってしまうのである。


世の中、
白黒と簡単に振り分けることが
できないことのほうが多いのに、
こんなにもひとは
どっちが悪い、どっちがダメ、どっちが正しいか、を知りたがっている。


これも、ついついやってしまいがちである。


グレーって、モヤモヤする。

だから白黒ハッキリさせることで、
スッキリしたいのだ。


答えを決めるひとは、誰か。


わたしもかつて、


じぶんがこれでいいのか、どうすればいいのかを、
ひとに聞いていた。

そのときは、
だれかがじぶんについての的確な答えを
明確に教えてくれるんじゃないか
って
期待してた。

そう勘違いしていたのである。


なかにはじぶんの恩師に、
天啓のごとくズバッと助言された、
というひともいるであろう。



しかし、たいていの場合
じぶんの答えを
他のだれも知らないのです。



他人は、
あなたが正しいのか間違っているのかなんて
答えを持っていない。

ただその人のジャッジにすぎない。



だれに聞けばいいのかと言えば、

それはやはり、じぶん自身しかいない。



もちろん、技術のノウハウや知識などは
ひとに聞いて、ひとから学ばなければならないが、



『間違ってるかどうか』は問題じゃなくて、
『じぶんはどう思うか』の、
これしかないのである。





メチャクチャに間違っているひとは、
そもそもじぶんが「間違っている…かも?」なんて
立ち止まらない。



だから大丈夫。
そこで立ち止まれるじぶんなのであれば
じぶんで決めて大丈夫。

じぶんで、間違ってないって思って大丈夫。



そして立ち止まるついでに、
間違ってるかどうか、よりも
「正しい」と
ひとから言われないと
安心できないじぶんこそを、
訝しがってみたい
ところ。


だれに何と言われようと
だれに認められなくても
だれに褒められなくても


それでも
それをやってみてどうだったかを、
じぶんでしっかりとじぶんを見てあげるのが
一番いいと思う。



認められたら嬉しい、
褒められたらもちろん嬉しい。



でも、
自信なさげなじぶんで
他のひとに聞いて回ってみても、
キリがないんです。




だから、一番大切なのは
それをやってみて、
言ってみて、
あなたがどうだったか。




あとはすべて、
じぶんのそのやったこと、
言ったことなどを
周りの人々がどう受け止めたかが
湯気の様に立ち上がって来るだけ。


そしてその湯気は、
あなた自身と関係ない。


あなた自身そのものではない。


だから大丈夫。
安心できないほどに、なにかを複雑にする必要もないし、
あなたは弱くない。




悩みの解消というオマケ。


そして、
悩み(愚痴)を聞いたオマケの副産物みたいに、
じぶんの凝り固まっていた考えみたいなものも、
解消されていく。

“ ひとに対してアドバイスしたり、
『こうだと思うんだけどな~』と見えてきたその思いに対して、
じぶんこそ、きっちり守らなければ ” と
背筋を伸ばし始めます。
笑)




ひとに助言しておいて、

じぶんが出来てなかったらアカン!みたいな感じで

じぶんの言葉の後ろを、
じぶんがついて行くような感じで。笑)



じぶんの放った言葉が、
じぶんを導いてくれる。


じぶんで出した答えは強い。



☕︎ Have a nice day! ☕︎


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