社会人になってから

 社会人をやっていると日々心が摩耗するような気がする。直属の先輩に2、3年も経ったらいくら○○ちゃんでも性格荒んでくると思うよ、と冗談ぽく言われたけれども、正直もともと荒んでいますと言いたいのをこらえて曖昧に笑って終わりにしてしまった。
 他部署のくせに無駄に絡んでくる勘違いおじさんは、いったいいつ会社を辞めるんでしょうか。昔部下にしたセクハラ発言を自慢話みたいに語ってくるのはどういう意図なんでしょうか。自分に好意があると信じて疑わない自信はどこからくるのでしょうか。それでもこの人が職場で居場所を失うより先に、わたしが退職届を執筆する方が早いんだろうな。げんなりする。
 大学時代は友人に恵まれていた。そこそこ偏差値も倍率も高い大学だったから、1から10まで言わなくてもある程度伝わったし、会話もスムーズだし、なにより使う語彙や表現の難易度が皆同じだった気がする。というか同じだったから今まで何も気にならなかったんだと思う。
 一方社会人になってから、コミュニケーションがかなり苦痛になってきた。同じ言葉の温度感で話せる人が会社にはいない。わたしは文学部だったし、ある程度使う言葉にこだわるのが普通だった。それなのに、会社でする会話なんかぜんぶ上辺だけのもので、余計なことを言わないように口数も減って、しかも全然中身がなくて、中身がないからまるで馬鹿みたいに響いて、だからこそ自分の言葉もそれを発する自分の声すらもなにもかも嫌になってしまう。まぁ言ってしまえば会社なんて所詮会社で、友人作りの場ではないから本来それで良いのかもしれないけれど。送信前のメールを読み返して確認している時、敬ったりへりくだったり鬱陶しい文面に絶望感を覚える。こんな定型文ばっかり使っていたら自分がなくなる気がする。
 会社で使うセリフ、あまりにも限られすぎていると思いませんか。すみません、そうですね、そうなんですか、ありがとうございます、この4つ。あとはとんでもございません、とか?てんでつまらない。このくらいの使い分けならアンドロイドでもなんとかなりそうだ。  代わりに出社してください。
 社会人になってから明らかに自分の中の語彙が減っている。自分でわかる。悲しい。自分が他人に褒めてもらえるほとんど唯一の長所だったのに。言葉って使わないとなくなっていくんだなぁと、最近余計にしみじみ思う。しみじみ思っている場合ではないんだけど。このnoteを書いていても、本当に言いたいことの半分も文字におこせていない気がする。前はもう少し正確に自分の考えや感情を表現できたのに、今はこのザマだ。

皆さんも自分の中にある自分だけの言葉を大事にしてください。知らないうちにいなくなってるから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?