サントリー天然水の森をはじめたうんちくおじさんのルーツに触れた
「昔はさ、ちょっとその辺の山に行って、山芋掘ったりしてた。松林の山芋は真っ白でキレイなんだよ。広葉樹が混じった杉林だと、色が濁ることが多いんだけどね。・・・」
森の師匠である山田健さんのうんちく話は今回も通常運転。
いや、今回はちょっと飛ばし気味かもしれない。
というのも、今回、わたしは師匠の生まれ育った湯河原に、師匠とサントリー社員の方と父と、一緒に行ってきました。
湯河原は、神奈川県にある温泉街。
川が流れ、山があり、海にも面している、そんな自然豊かな街です。
そして、師匠の実家は、川沿いに面したところにあります。
ここで、いつも以上にうんちく話に花を咲かせつつ、バードウォッチングをしたり、少年時代の話を聞いたり、おいしいワインをいただいたりしました。
そんな時間を過ごしながら、わたしは、今の師匠はきっと、いい意味で少年時代のままなんだな、と感じました。
見た目がおじさんになって、お酒をたくさん飲むこと、話が長いこと以外は。
師匠の肩書は?
一応、師匠の肩書は、サントリーホールディングス株式会社 サステナビリティ経営推進本部チーフスペシャリストです。
1978年、日本の最高峰である東京大学(なぜか文学部らしい)を卒業し、サントリー宣伝部にコピーライターとして入社。
ウイスキーやワイン、ブランデー、愛鳥などの広告制作をしながら、分厚いワインカタログを書いたり、音楽財団の雑誌を編集したり、ビールの品質向上の指揮をとったり、様々な仕事をしてきました。
そして、なんだかんだあり、2003年に「サントリー天然水の森」の活動を本格的にスタートさせました。現在定年はとっくに超えていますが、チーフスペシャリストとして、森の活動やワイン、ウイスキー、ビールに関わること、なんだかもう、いろんなことしています。
(この辺のことは、まだ後日。)
森や川は「遊び場」
師匠は、1955年に生まれ、湯河原で育ちました。
「大人にとったら、あつかいにくい子どもだったと思うよ。」
という師匠の言葉に対して、お世辞にも否定できないわたしがいた。
東大出身だし、これだけ知識も豊富だし、優等生だったんでしょ、って普通は思うじゃないですか。
それが、話を聞いてみると、違いました。頭のいい問題児というか、野生児というか。
中学生の頃、授業中にSF小説に夢中になっていて、なんだかまわりが騒がしく感じた山田少年は、
「うるさいな、静かにして。」
と思わず注意すると、なんとその相手は先生で、「バカもん、授業中だ!」と怒鳴られた、なんてこともあったらしい。
そんな風だから、廊下に立たされたり、罰で廊下の雑巾掛けをさせられたりすることも少なくなかった。
(当時の廊下はスギ板だったため、この罰のおかげで山田少年のクラスの前だけ、廊下がピカピカに光っていたらしい。)
けれど、なにせ頭はよかったから、それはそれは先生もあつかいにくかっただろうな、と思うわけです。
そんな山田少年にとって、家の周りにある、川や山、畑が全て「遊び場」だったのです。
当時山は放置され、荒れ果てていて、どこだかの会社が所有している山だったそうですが、人が管理していないことを山田少年は知っていました。
それをいいことに、冒頭であったように、豊富に育っていた山芋を、よく掘りに行っていたらしい。
山芋を採るには、時に2mほども土を掘る必要がある。
当時は今ほどのうんちくもなかったけれど、“山芋掘り”という遊びの中で、原理は知らずとも、根の張り方のちがい、掘れば掘るほど土の色が変わること、ミミズなどの虫がたくさん住んでいることを、肌で触れ、発見し、知っていたし、それを楽しんでいたようです。
そして、山田少年の遊びは、山や川に出向くだけではなく、家に迎え入れます。
まずは、金魚。
おお、それならわたしも飼ったことがある。お祭りですくって、育てていたぞ。
やっと子供時代の共通点を見つけたと安堵していたら、さすが山田少年。すぐに裏切られた。
「ランチュウっていう金魚を増やしてたんだ。」
頭がぼこぼこしていて、顔がぷっくりしている、金魚。
増やすってどういうことかと思えば、
「お小遣い稼ぎになるかと思って。で、近所の水田からミジンコを採ってきて、卵から孵ったランチュウのエサにしてた。あと、せっかくなら、ミジンコも増やそうとして・・・」
ミジンコは、植物性プランクトンをエサとする。
だから山田少年は、水槽の水が緑色に濁ったころに、その水を別の水槽に移して、そこにミジンコを入れて、増やしていたらしい。
山田家でも、食物連鎖が起きていたわけです。
お小遣い稼ぎになると思って、ここまでするところが師匠らしいというか、おもしろい少年時代だな、と思う。
ただ、お小遣い稼ぎは失敗したようです。
「お金がないんで、安いランチュウを親にするしかなかったのね。そしたら、生まれた子のほとんど全部がとてもヘンテコな姿で。背びれの代わりに帆柱みたいな骨が1本だけ生えてるのとか、背中が波打っているのとか、エラ蓋がめくれ上がったのとか・・・ホント、びっくりした。」
わたしはわたしで、こんなことを大人と一緒にやるでもなく、一人でやっていた山田少年の方に、びっくりしていた。
「そういえばぼく、次、蜂に刺されたら、アナフィラキシーショックで死んじゃうかもしれないんだよね。」
笑いながら、話し始める師匠。
全然笑い事ではないんですけど。
山田少年はしょっちゅう蜂に刺されていたらしい。
そりゃ、山に頻繁に遊びに行っていれば、一度や二度刺されてしまうこともあるだろうと思いましたが、どうやら違うようでした。
「近所の養蜂屋さんにミツバチを一箱わけてもらって、飼っていたんだよね。」
だんだん驚かなくなってきた。
飼っていたら、刺されることもあるか、と妙に納得したわたしがいました。
「湯河原だから、ミカンの花のハチミツと、少しだけどロイヤルゼリーも採ってた。でね、ここからは、半分当時も知っていて、半分はうんちくだけど・・・ミツバチのすごいところは、季節ごとに、どの花の蜜を吸ってくるかを、全員参加の総選挙で決めてるんだよ。最初に、何匹かの蜂が「ここにいい蜜を出す花園があるぞー!」って、興奮して“8の字ダンス”をして周囲のみんなに、それぞれの蜂が推薦する花の場所を教えるんだけど、それを聞いた蜂たちは実際に現地に行って、帰ってきてから、自分の感想で、「すごい花園だ!」とか「大したことないぞ」とかって主張するのね。それを繰り返している内に、どこかの段階で「今はあそこの花園に行って蜜を集めよう!」と全員一致の合意に至るんだ。この“ミツバチ会議”があるから、ミカンの季節には純粋にミカン蜜が取れるし、レンゲの季節には、純粋なレンゲ蜜が採れるのね。すごくない?全員が現地を見た上での多数決だよ。こんなこと人間だって出来ないよね!」
どうでしょう。
これが、いつもわたしが聞いている師匠のうんちくトークの一部である。
山田少年にとって、山や川にある自然の営みひとつひとつが、発見であり、探究心をくすぐられるものだったのだと思います。
自然と触れ合うだけでなく、そこに入り込んでみる。
人間と違う生き物の生き方をみる、植物の育ち方をみる、土をみる、疑問があれば、調べる、もしくは仮説を立てて、実際に試す。
これを、誰に強制されるでもなく、自分の中から湧き出る好奇心からやっている。
山芋を掘ったり、金魚や蜂を飼ったり、それが、山田少年にとっての、最高の遊びだったのです。
そして、中学生の頃、科学部の顧問だったJ先生(もともと東工大の先生をしていた方らしい)との出会いによって、決定的な影響を受けたという。
教科書を一切使わず、授業のすべてが実験という型破りな先生で、テストの点数を取らせるような教育を一切しなかったため、お母さんたちからの評判はかなりいまいちだったらしいのだけれど(わたしは逆にそういう先生の方が好きです)、科学の基礎を徹底的に叩き込まれたらしいのです。
こうして、山田少年の遊びは、さらにレベルアップし、ずっと続いていきます。
遊びの積み重ねが、自分の知識となり、会議が終わらないくらいのうんちくになったのだな、と感じます。
今も昔も変わらないこと
師匠と出会った頃、わたしは聞いたことがあります。
どんな想いで、「サントリー天然水の森」をやっているのか。
なんでそんなに情熱があるのか。
答えは、「うーん。遊び場をつくってるみたいなもんだからね。情熱……なのかな。いや、むしろ好奇心だろうね。」でした。
当時は、ちょっとした照れ隠しかと思って気に留めていなかったのですが、今回の湯河原訪問で理解しました。
師匠は、今も昔も、自然の営みに対する、探究心と好奇心、敬意があって、
「遊び場」をつくることが、極端に上手なんだと思います。
山田少年の遊び場は、湯河原の川や山。
今の遊び場は、天然水の森。
その遊び場の規模と知識量と責任は何十倍にも大きくなっているけれど。
少年時代と同じように、植物や土壌、さまざまな生き物、そして森が作り出す水、そういった自然の営みにのめり込んでいるんだな。
遊ぶように仕事する、いや、仕事をしているふりをして遊んでいるんだな。
そう感じます。
そんな師匠の姿をちょっとお見せします。
KARIMOKU NEW STANDARDさんとのとある取り組みで、「天然水の森」の活動の一部をお話ししています。
仕事のために仕事をしても、多分いいものは生まれない。
わかっていても、なかなかわたしはできていない気がする。
「絶対に、目指してはダメだよ。」
と師匠に言われそうだけれど、わたしは仕事しているふりして遊んでいる師匠のような大人になりたい。