日本の山を、土砂災害から守る/森のヒト
石川先生のプロフィール
はじめに
日本は国土のおよそ7割を山間部が占めている自然豊かな国ですが、それだけに毎年全国各地で土砂災害が起き、そのたびに甚大な被害がもたらされています。今回はこうした土砂災害を防ぐ砂防工学の専門家で、「天然水の森」でも土壌浸食の調査・研究をお願いしている東京農工大学の石川芳治先生にお話をうかがいました。
花崗岩でなくとも山は崩れる⁉
近年、局所的な集中豪雨などが増えているため、大規模な土砂災害が多く発生しています。2014年8月に広島市で大規模な土石流が発生した際には、多くの報道番組で「花崗岩地帯や真砂土(まさど=花崗岩が風化してできた砂の土壌)は土砂災害を起こしやすい」と報じられていました。
しかし、一概に真砂土だから土砂災害が起きやすいというわけではありません。真砂土が相対的に弱い地質なのは確かですが、大雨が降れば真砂土でなくても山は崩れます。斜面である以上、どんな地質でも崩れるリスクはあるのです。
たとえば、2013年に土砂災害が起きた伊豆大島の地質は、火山灰でした。火山灰の場合、山の表面が薄くはがれるように崩落するのが特徴です。粒が細かい火山灰は水に流されやすい性質があり、伊豆大島の場合も流れた土砂のほとんどは沢に沿って一気に、海まで流されました。
一方、花崗岩からできた真砂土は火山灰より粒が粗く、崩れたときに扇状地にとどまることが多いです。ただし、上流で崩れた土砂が、斜面や渓流に堆積した真砂土を巻き込んで、土石流になると下流に大きな被害を及ぼす可能性が高い。2014年に土石流が起きた広島市や長野県南木曽町の地質はどちらも真砂土でした。
また、土砂災害のリスクが高まる雨の量もその土地によって異なります。もともと降雨量の多い所では、雨が降るたびに少しずつ崩れているので、例年よりやや多い程度の雨なら大丈夫ですが、内陸部のように雨慣れしていないところでは少しの雨でも大きく崩れてしまう危険があります。たとえば伊豆大島の場合には24時間降水量は824.0mmでしたが、今回の広島は257.0mmで大規模な崩落が起こっています。
土砂災害の要因は、真砂土や火山灰といった地質の違いや雨の量だけではなく、地形や気候、川や地下水の流れ、さらにはその森の植生や動物による影響など、さまざまな要因が絡み合っています。だからこそ、日本全国、どこでも土砂災害が起こるリスクがあることを忘れてはいけません。
実験でわかった「水」と「土」の相互関係
私は丹沢と南アルプスの「天然水の森」で土壌浸食の研究を行っていますが、そのきっかけとなったのは丹沢大山総合調査が2004年に開始されたことでした。
もともと丹沢の自然環境の衰退を心配する声が高まっていたため、丹沢大山自然環境総合調査(1993年から1997年)と丹沢大山総合調査(2004年から2006年)において、さまざまな分野の専門家が集結し、調査が行われました。私も水と土の調査の担当として、丹沢大山総合調査に参加しています。
この調査結果を受けて、2006年10月に企業やNPO、行政、自然環境保全の専門家が一体となった丹沢大山自然再生委員会が設立され、その活動の一環として「サントリー『天然水の森 丹沢』自然再生プロジェクト」が発足し、私はその関連で「天然水 南アルプス」の調査・研究を依頼されました。
丹沢の調査で林床合計被覆率(※)と土壌浸食量の関係を調べたところ、林床の被覆率が減少すると土壌浸食が増えるという結果が出ました。森林の下草が失われ、堆積するリター(落葉落枝)が減少すると、土壌に浸みこむ雨の量が減ります。浸透率が下がれば、その分、地面を流れる水=地表流が増え、どんどん土が削られて流されてしまうのです。土壌の浸食は洪水にも大きく影響しますし、水源涵養の面から見てもよくありません。これらの実験から、「水」と「土」の間には、かなりの相互関係があることがわかりました。
(※)林床合計被覆率=林床植生(下草)被覆率+リター(落葉・落枝)被覆率。地表が植物もしくは落葉落枝によって覆われている割合のこと。下写真を参照
一方、「天然水の森 南アルプス」のある北杜市は、地形的にきついのは丹沢と同じですが、地表流はあまり多くありません。丹沢は火山灰ですが、北杜市の地質は浸透率が高い真砂土。水は地面に浸みこむため、地表を流れる量は少なくなります。しかし、一定以上の雨が降って浸透しきれなくなると崩壊が起こり、土壌の浸食は進みます。
また、丹沢ではリターの被覆率が高ければ土壌浸食量は減りますが、北杜市の崩壊地の場合、落ち葉で土壌浸食を止めるのは難しいことがわかりました。
「天然水の森 南アルプス」の一角にある“ホクギノ平崩壊地”のように、真砂土に覆われた地表が剥き出しになっているところでは、表面の砂がサラサラと流れ落ちるので、落ち葉で土を抑えようとしても、土壌自体が流れていってしまうからです。土の流失を食い止めるには、落ち葉ではなく、きちんと根を張った植生によって被覆率を上げる必要があります。
山を崩し、生態系を壊すシカの食害
丹沢と北杜市では気候や地質などさまざまな違いがありますが、共通しているのは「シカの食害」により林床植生が衰退しているということです。シカの食害はいまや「天然水の森」だけではなく、全国の森で深刻な問題となっています。
増えすぎたシカは森の下草を食べつくしてしまうため、夏の盛りでも森の地表には草木が生えません。そのため、剥き出しになった地面からは土壌が流れてしまうのです。
最近ではシカの食害についての報道も見られるようになってはきましたが、いずれも農業や林業における被害ばかり。シカの食害による山崩れや生態系崩壊のリスクについてはほとんど報道されていないようです。
シカの食害は土石流のように目立つものではありませんが、じわじわと山を崩し、最終的には土砂災害を引き起こします。そうなれば、人の命や暮らしの基盤を一瞬にして奪うだけでなく、森の生態系そのものが破壊されてしまいます。
ホクギノ平崩壊地で土壌の浸食を食い止めるための土留め工・緑化工を行なった際には、崩壊地全面をシカの侵入を防ぐ柵で覆いました。せっかく生えてきた植生をシカに食べられないようにするためです。
緑化工前のホクギノ平崩壊地は、地表が剥き出しで草木のまったく生えていない砂漠のような急斜面でした。なにも手を施さずにいれば崩落は続き、崩壊地の拡大は免れません。斜面の表面では真砂がサラサラ流れていて、草木の種が飛んできても定着しないので植生も回復できず、土壌の流失も止まらないからです。
そこで、表面を安定させるために周囲のカラマツ林の間伐材を使った階段状の土留めを造り、やがて土に還るヤシの繊維で作られたネットで地面を覆いました。表面の土を抑えると同時に、周囲から飛んでくる種を定着しやすくするためです。
ただし、それだけでは地面が乾燥し、なかなか回復してこなかったので、三つのプロットを作り比較実験をしています。土入りのマットを敷いて上を藁で覆った所と、マットを使用せず直接藁で覆っている所、さらにマットも藁も使っていない所に分けたのです。それから二年になりますが、マットと藁を入れたところでは少しずつ植生が回復しつつあります。
夢は全国規模の林床合計被覆率MAPを作ること
まるで砂漠のような崩壊地を緑豊かな山に再生する、というと夢物語のように聞こえるかもしれませんが、実際に成功した例もあります。たとえば兵庫県の六甲山は、かつて完全な「はげ山」でした。神戸を訪れた明治時代の植物学者・牧野富太郎は船上から真っ白な六甲山を見て雪山と勘違いしたほど。しかし、今では長年の緑化事業のおかげで、緑豊かな山になっています。
また、滋賀県の田上山(たなかみやま)も江戸時代には完全な「はげ山」でした。当時は山から流出した大量の土砂が下流の川に流れ込むことで、川が周辺の土地よりも高いところを流れる、いわゆる「天井川」となってしまったため、大雨が降るたびに決壊して大洪水を起こしていたのです。
しかし、そこまで荒れ果てた所でもホクギノ平と同じように山の上に階段工を造って植栽すれば、土壌が安定して緑化することができました。実際にサントリーの整備活動が実を結び、下の写真のように緑が再生しつつある今、ホクギノ平が豊かな森を取り戻すのも夢ではないのです。
山の崩壊を防ぎ、土砂災害から生態系や人々の暮らしを守るためには、林床植生を豊かにして土壌浸食が起こらないようにするのが一番です。そのためにも、将来的には林床植生と林床合計被覆率の全国分布図を作っていきたいと考えています。
もちろん、一人でできることではありませんので、全国各地の登山客の方々の協力を仰ぎ、林床の写真データを送ってもらえればと思います。今はGPSで位置情報もわかりますから、10年後20年後にも役立つ正確な記録を作ることができるはず。集めたデータを自動集計できるようなソフトを作って、退職後にでもじっくりとまとめたいと考えています。
(2014年8月取材)