デザイン思考と意味形成 PARTⅠ
前回述べたように、欧州ではデザイン思考でも意味形成(ないしは、意味のイノベーション)は可能とする論調があるが、そのような理解の仕方は本当に正しいのであろうか。通常、デザイン思考は創造的とはいっても、その本質はあくまで問題解決であり、意味形成とは関連が薄いとされているし、実際、既存研究でもそのように取り扱われてきた。そもそも、Verganti(2009)が提唱した「デザイン・ドリブン・イノベーション」は、デザイン思考では意味形成が上手くできないことを批判する形で登場してきた概念である。
また、経営学の組織論においても長年、問題解決と意味形成の間には深い溝が横たわってきた。前者の代表はハーバート・サイモン(Simon, A.H.)氏であり、後者の代表はカール・ワイク(Weick, E.K.)氏である。Simon(1997)は、組織とは問題解決の場であり、そこでは問題をいかに効率的に解決できるか(情報をいかに迅速に処理することができるか)が重要になるとしている。それに対し、Weick(1995)は、組織とは意味構成・了解活動の場であり、いかにして解くべき問題を探し出し、それを組織成員の間で共有するかが重要だとしている。解決すべき問題は、目に見える形では存在しておらず、何が解くべき問題なのか分からないこと(何を解決すべきかについての共通認識が組織成員の間で得られないこと)が本当の問題だと考えているのである。
このように両者の間には深い溝があるため、一見するとデザイン思考に意味形成は不可能なようにも思われる。しかし、デザイン思考の議論をよく見返してみると、確かに問題解決とは言っているものの、対峙しているのは通常の問題(認知科学で「良定義問題」と呼ばれるもの)ではなく、厄介な問題(wicked problems)である。それは曖昧で、決定的な解決策がない問題であり、1つの課題を解決すると別の課題が生じるような流動性の高いものである(Rittel and Webber,1973)。したがって、そのような特殊な問題を相手にする場合、作業はまずその問題を理解するところから始まり、代替案(答え)の探索活動から始まる通常の問題解決プロセスとは異なるルートをたどることになる(鈴木,2016)。
なお、良定義問題と厄介な問題との違いについては、下記の東京大学と東京藝術大学の入試問題を見比べてもらうと、分かりやすいかもしれない(大坪,2021)。
この場合、東京大学の入試問題が良定義問題に該当する。この問題が解けるかどうかは別として、問題の意味自体は理解することができる。それに対し、東京藝術大学の入試問題は、問いそのものの意味を考えるところから始めなければならない。同大学のHPには出題意図が次のように記載されている。
このように、厄介な問題に挑もうとする際の問題解決プロセスは、まず問題を理解し、それを定義するところから始まるため、結果として意味のイノベーション(新しい意味)が生まれる可能性がある。何を問題と捉えるかは企業や個人の自由であるため、定義の仕方次第では、これまでとは全く異なる視点から製品やサービスを見つめ直すことが可能になるからである。このような話は、著名なイノベーション研究者であるクレイトン・クリステンセン(Christensen, C. M.)氏等のジョブ理論にも通じるところがある。ジョブ理論では、顧客が片付けなければならない用事のことを「ジョブ」と呼び、ニーズをとらえるには、何がジョブであるかを正確に理解することが重要になるとしているが(Christensen, Dillon, Hall, and Duncan, 2016)、その話をここでの文脈で捉え直せば、ジョブとは定義された問題ということになる。
また、そのように問題の定義を変えて異なる視点を見つけ出すやり方は、実際にデザイナーがよく使う手でもある。経営学者の米山茂美氏は、そのような視点転換による価値創出のことを「リ・イノベーション」と呼んでいるが、この概念はデザイナーである原研哉氏の「リ・デザイン」という考え方(原,2003)がヒントになったとされている(米山,2020)。さらに、米山氏によると、イノベーションの泰斗であるヨーゼフ・シュムペーター(Schumpeter, J. A.)氏が言うような新結合(これまで組み合わせたことのない要素を組み合わせること)によってイノベーションを起こす(Schumpeter,1912)には、その前段に、視点の転換とそれを通じた知識・資源等の読み替えが必要になるとされている。
デザイン思想家のヴィクター・パパネック(Papanek, V.)氏は、一見無関係なものを関連付けることを「バイソシエーション(bisociation)」[注1]と呼び、この能力こそデザイナーが創造的なアイデアを生み出す秘訣であると論じているが(Papanek,1972)、前出の米山氏の考えに従えば、デザイナーの強みはバイソシエーションそのものにあるのではなく、それに先立つ視点の転換や、問題を定義する力にあるのかもしれない。デザイナーの多くは芸術大学や美術大学の出身であり、先に見た東京藝術大学の入試問題のような、意義や意味を考えるトレーニングを積んできたからである(増村,2021)。
●参考文献
Christensen, C. M., K. Dillon., T. Hall. and D.S. Duncan. (2016), Competing
Against Luck: The Story of Innovation and Customer Choice. Harper
Business. (依田光江訳『ジョブ理論 イノベーションを予測可能にする消
費のメカニズム』ハーパーコリンズ・ジャパン、2017)
原研哉(2003)『デザインのデザイン』岩波書店。
増村岳史(2021)『東京藝大美術学部 究極の思考』クロスメディア・パブリ
ッシング。
大坪五郎(2021)『みんなで仲良く「デザイン思考」結果を出すなら「A💛ア
ート思考」』kindle。
Papanek, V. (1972), Design for the Real World. Thames and Hudson. (阿部公正
訳『生き延びるためのデザイン』晶文社、1973)
Rittel, H. and M. M. Webber. (1974), “Wicked problems." Man-made Futures,
Vol. 26, No.1, pp. 272-280.
Schumpeter, J. A. (1912) Theorie der wirtshaftlichen Entwicklung (2 Aufl),
Munchen und Leipzig, Duncker & Humblot.(塩野谷祐一・中山伊知郎・ 東
畑精一訳『経済発展の理論』岩波書店、 1977)
Simon, H. (1997), Administrative Behavior: A Study of Decision-Making
Processes in Administrative Organization4/e. Free Press. (二村敏子・桑田耕
太郎・高尾義明・西脇暢子・高柳美香訳『新版 経営行動 経営組織にお
ける意思決定過程の研究』ダイヤモンド社、2009)
鈴木宏昭(2016)『教養としての認知科学』東京大学出版社。
Verganti, R. (2009), Design-Driven Innovation: Changing the Rules of
Competition by Radically Innovation What Things Mean. Harvard Business
School Press. (佐藤典司・岩谷昌樹・八重樫文・立命館大学経営学部 DML
訳『デザイン・ドリブン・イノベーション』同友館、2012)
Weick, K. E.(1995), Sensemaking in Organizations. SAGE Publications, Inc.(遠
田雄志・西本直人訳『センスメーキング・イン・オーガニゼーションズ』
文眞堂、2001)
米山茂美(2020)『リ・イノベーション 視点転換の経営:知識・資源の再起
動』日本経済新聞出版。
●参考ウェブサイト
『東京藝術大学HP』「2020年度絵画科油画専攻学部入試問題 出題意図」
(https://admissions.geidai.ac.jp/data/past-exams/fine-arts/#Reiwa2) 2022
年1月8日閲覧。
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