汪兆銘工作と南北朝和平

私の大学卒論テーマは日中戦争でした。
その中でも、汪兆銘による南京政権確立前後の状況(汪兆銘工作)にフォーカスしました。

汪兆銘による和平工作は、日本政府の対応のまずさもあり、蒋介石政権に相手にされることなく、今では日本の「傀儡政権」との認識が強くあります。
ただ、当時そこで実際に携わった日中のメンバーに、この戦争を食い止めようと努力し奔走した人々がいたことは、事実であったと思います。

話は変わりますが、南北朝時代に移すと、南北和平に携わった人物として、楠木正儀にとても関心があります。
正儀がどうして和平にこだわったのか、その思想的背景は推測するしかありません。が、北朝の敵と武力を交えながら、味方であるはずの南朝貴族らの無謀な戦略に辟易しつつも、南朝の主力であり続けた彼の忍耐強さ、戦争の上手さ、柔軟な対応には頭が下がります。

正儀は北朝に寝返ったということもあり、特に戦前は不人気でした。というか、話題にのぼることすらほぼない(ある意味マイナーな)人物でもありました。
昨今では、そんな彼の功績が見直されている風潮もあるのでは、と思います。
生駒孝臣さんという学者の方が、楠木氏の再考や正儀に関する研究、書籍を発表しているようですし、今後広く認知されていけばいいなと思います。

そんなわけで、南北朝時代の和平工作、日中戦争時の和平工作、人物の思惑も背景も経緯も違うとはいえ、何だか共通点を感じてしまいます。
こうした紛争時の和平って、一方では軟弱だとか裏切りだとか言われることもありますが、あえてそこに従事する人々には、敬意を覚えます。

汪兆銘は、最終的には病気になり日本の名古屋で死去しました。彼は中国では「漢奸」といって貶められているようですが、なんだか悲しい現実です。

いいなと思ったら応援しよう!