嬉しい事
最近あった一番嬉しいこと。
っていうか最近どころか人生で一番嬉しいことが
今月の頭にありました。
ええそうです
写真の彼です
辻合直澄さんです。
なんとね
演劇集団キャラメルボックスに入団したんですよ。
その発表があった日なんて
稽古場で25歳超えた大の大人二人が号泣してるんですよ
側から見たら「キモい」って思われてそーだなぁとか思ったけど。
そんなんどーでもいいぐらい嬉しかった。
彼とのファーストコンタクトは
前の劇団
さあもんの時
大学卒業して、すぐに見学の連絡がありました。
第一印象は
「コワイ」でした
だって身長は高いし、ずっと野球してたからガタイいいし
向こうも緊張してたと思うけど
こっちも緊張してたし
っていうかこの時のさあもんって劇団員6人しかいなくて
真剣に劇団員募集してから二人目の見学だったし
森本、焦ったよ。
で見学終わってから、全然連絡なかったから
合わなかったんかなぁって思った。
彼の夢、東京で勝負するっていう目標を達成するには
まだまだ若手のこの劇団じゃ無理って思われたんかなって
でも、見学の一週間後に入団したいって連絡があって
びっくらぽん!でした。
彼が見学に来た週に本番があったので
終わってから連絡しました。って
しっかりした青年だなって思いました。
彼の初舞台はその年の12月を予定してた。
(入団したのは5月)
んで、いつもバイクで稽古場に行ってたんで
あんまり話すこともなかったんですけど
たまたま電車で帰った時に
電車の中で
「ソーイさん、初舞台12月嫌っす、もっと早く舞台に立ちたいっす。無理っすか?」と言われたの。
「わかった。なんとかする。」と言って、その次の日に10月公演できる場所を決めました。
彼の初舞台は劇団さあもん第3回公演「空き地の隅で空っぽの空き瓶が空を見上げた日」になりました。(作演出森本聡生)
技術も経験もなかったと思いますが
なんていうか、もう溢れんばかりの情熱を持ってましたね。
こっちも影響して、動いちゃうような。
そして、第4回公演「記録の隘路、記憶の回路」(作演出森本)に出て
その次の公演。
さあもんとしても気合の入った公演でした。
「不可逆なタイポグリセミア」うん、プラネタリウム使ったり
古民家を宇宙にしてやろうと思って準備してました。
稽古も大詰めだった2月に
コロナウイルスが世間を賑わせて
劇団さあもんも活動停止、公演中止
老人ホームや介護施設での公演も決まっていたのに
全部中止。
まぁ、なんやかんやあって
6月から活動開始!でも、劇団員はバラバラ
団長と衝突
劇団さあもん解散!
で、その時稽古場にいた彼に
「新しい劇団作るけど、どうする?」
って聞いたら
「あ、俺もやりまーす」
即決
それで劇団天文座が出来たわけなんですけどね。
全部かくと長くなるんでアレですけど
合計4年ぐらいかな?
ずっと一緒に作品作ってきて
毎日ずっと稽古してきて
元々僕が好きだったキャラメルボックスの作品一緒に見たりとか
僕がキャラメルボックスを目指してて入りたかったこととか話しているとね
急に
「ソーイさん、俺キャラメルボックス入りたいっす。オーディション受けていいっすか」
って言うんですよ。
もちろんオッケー!で、結果は不合格!
落ち込んでたし、僕も凹みました。
でも、「来年絶対受かるんで、俺、諦めないっす」
って言ってもう一年死ぬ気で稽古して
作品作って、一人芝居の練習を毎日やって
合計で50回近くモノローグしたんじゃない?
で、いざ二度目の挑戦!
合格!!!
嬉しいって!泣くって!
こんなにも嬉しいことないって!
僕は、キャラメルボックスが活動停止した年にオーディションを受ける予定だった。でも、その時オーディションはなかった。
諦めた。後悔はしてないっすよ
自分がでっかい劇団作ってやろうってそっちに気持ちが固まったのもあって
でも、僕の夢だったことに変わりはなくて
ずっと憧れてるし大好きだし
その劇団に彼が入団
勝手だけど
僕の夢を託して、それを彼が叶えてくれた
もちろん、入団してからがスタートだけど
直澄には本当に感謝しかない。
あと少しの時間だけれど
一緒に作品作って
彼が演劇を続けていくときに
少しでも力になるように
稽古をしていきます!
はい!長々と書いたけれど
シンプルに嬉しかった!
嬉しいことでした!
バイバイ!