義母と、青春のこと
青春
サムエル・ウルマンの「青春の詩」という詩がある。
この詩を深く感じたことがあった。
昨年義母が亡くなった。
とても元気だったのに、ガンが発覚しあっという間に、半年で亡くなった。
太陽みたいに内側からエネルギーが発散している人だった。
ずっとしゃべっていて、静かな時は寝ている時。
車椅子ダンスがライフワークで、日本どころか中国、アメリカにまで車椅子の方たちと一緒に飛び回り、車椅子ダンスの普及を目指していた。
そんなお義母さんにガンが発覚した時、それはそれは大変だった。
お義母さんは1人でガンの告知を受け、そのショックを家族LINEに送ってきた。私は仕事中で、お義母さんに電話をした。
義母は私との電話口で泣いた。
娘でもない義理の私に。とても驚いた。私なんかにそんな顔見せていいの?
それからずっとお義母さんは「死にたくない」と言っていた。
私にはそれは新鮮な驚きだった。
もう70歳も過ぎてひと通り終わったろうに、これからなんて身体は弱っていくだけなのに。
お義母さん、まだ執着あるの?
共感できなかった。
恥ずかしながら、私にはきっとそんなに執着が無いのだ。死を宣告されたとして。
もちろん子どもの未来を見ることができない悲劇もある。
子どもより先立つ悔しさもある。
それでもきっと私は安いセンチメンタルな涙だけで死んでいくのだと思う。
義母にはまだやりたいことがたくさんあったのだ。
私にはそれが衝撃だった。
義母はまだ青春のまっただなかだったのだ。
だからあんな悲しみかたをした。
まるでまだ未来のある青年のかなしみかた。
いや、そもそもなぜ私は義母に未来がないと思ってしまったのだろう。
年齢ではないのだ。未来は。
心の持ちようなのだ。
あなたはすごい人だった。
常に心が熱かった。
つねに青春のまっただなか。
お義母さん。
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