おんなのかばん
女性のかばんについてツイッターが炎上していたことを思い出した。
私には「かばん」なのだが「バッグ」だ。
「女性と女性が持つブランドバッグのレベルは大抵相関している。
個人的にはセリーヌ以上を希望」
「アラサーでミュウミュウは辛い」
というような内容だった。
そのことに対して「そんなことで人の価値をはかるのか」と炎上し、
その結果みんなが持っている楽しいかばん合戦になったのだった。
(余談だが、ツイッターが深刻な論争からすぐ大喜利合戦を始めるところが大好きだ。)
普段から便宜上、リュックサック通勤の者からしてみれば
どうでもいい話なのだが、
世の中にはかばんを「ツール」ではなく「アイコン」として持ってらっしゃる方がいるのだと、大層驚いた記憶ある。
今さらだけど。
そういう私も今までにあらゆるかばんを持って生きてきた。
現在はリュックサックに落ち着いてはいるものの、
結局はあらゆる自分の考察の上でリュックサックに辿り着いているわけだから、
かばんとはその人そのものの考え方なのである。
わかりやすいのが夫で、彼は会社のかばんが無い。
彼の仕事上、資料の持ち帰りは不可なのでこれはとても効率的で論理的である。
そして彼は効率的で論理的な人である。
私は心配性だ。
だから万が一地震が来た時のためにバッテリーも持ちたいし、
雨が降った場合に備えて傘も持ちたい。
だけどなまけものなのだ。
心配性だしなまけもので楽をしたい。
そのソリューションがリュックサックなのだ。
そもそもかばんとは考え方なのだから、
それを「ブランド」というくそ狭い枠に押し込んだ結果が、
あのツイッターの炎上なのだろう。
ああ、電車のなかでみんなに聞いて回りたい。
「あなたはなぜそのかばんを持っているのですか?」と。
#エッセイ
#かばん
#バッグ
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