止まっているものでは全体はわからない?
「人間の意識というのは 実は「止まっているもの」しか扱えない
。。。
だからこそ、今日の情報化社会を招いたんでしょう。
情報は止まっているものの典型ですから」[1]
ものごとを止めてみたい、
一瞬を切り取って確認したいっていうのは、気持ちとしてわかる
ただし、数学の微分のように一瞬とめてみることはできても、それですべてが分かるわけじゃない。
実際には時間とともに変化していくから。
「時間を止めた方が効率がいいからね 計算上左脳型で動こうとするのがいわゆる合理化です。
効率が良いように見えますからね 。。。
ただ、効率ばかりを追求すると効率が悪い、つまり、部分的合理性が全体的合理性に合わないということに多くの人が気づき始めていますね」[1]
時間を止めて、その瞬間を切り取っても、それで全体が分かるわけじゃない
瞬間、瞬間をつなげても全体になるとは限らない
細かく、細かく部分に分けても全体が分からないように
[1] せいめいのはなし 福岡伸一 著