劣等を認める!
「個性というのは、他人とどう違うかということではなくて、自分のものですから、自分がその上にどっしりと立っておられるかどうかです」[1]
他人と比較しても意味はないと。
「劣等なところがあることは何も問題ではありません。劣等をはっきり認識することと、劣等感コンプレックスをもつこととは、違うということです」[1]
劣っていることは問題でない。劣等を認識することが大切と。
「たとえ知能も何もかも全部劣等であっても、人間としては決してほかに劣るものではないという人間の底のほうにある尊厳性ということを知れば知るほど、われわれはそういう劣等なところを平気で認められるようになります」[1]
劣っていることを認められるのは、深いところを知っているから。
「そういう意味で、カウンセリングをする人は「自分の限界」をよく知っていないといけません。いわば私という入れ物はどれくらいの爆発に耐えられるかということです」[1]
カウンセリングをする人でなくても、自分の限界、器の大きさを知ることは大切。
「われわれが人間として生きていくためには、自分の心の奥にあるいやなところ、汚いところをはっきり見つめて、それを自分のものにしていかねばなりません」[1]
いやなところ、汚いところを見つめて、自分のものにする。
なかなか出来ないし、この場合の「自分のものにする」ってどういうことだろう。
もう少し考え続けよう。
参考文献[1] カウンセリング講座 河合隼雄 著