見出し画像

<連載1>軍事政権下での生活

今回から、「軍事政権下での生活」についての連載を始めたいと思います。

1988年の民主化運動を経験したミャンマー人の

「軍事政権下での生活」

についてインタビューした内容を紹介します。

ーーーーーーーーーーー

「なぜミャンマーの国民は軍事政権を倒したいのか?」

「なぜここまで軍事政権を嫌うのか?」

実際に、1988年民主化運動を経験し、
その後軍事政権下のミャンマー生活した実際の様子を紹介します。

ミャンマーでは、1962年、1988年に続いで
2021年に再び3回目のクーデターが起きました。

画像1

1988年のクーデター発生時、私は8歳でした。

当時の抗議デモの様子は、ぼんやりと覚えてます。

私は、世界遺産であるバガンの隣町、
パコック群の小さな街で生まれました。

毎日、抗議デモの列が通るたびに、
家の前に出て応援したのも覚えている。

当時も現在のように、
僧侶・学生・公務員・市民らが
団結になって抗議活動をしていました。

1988年のクーデター発生時も、
軍と警察による市民への
弾圧・逮捕・暴力行為は酷く、
今と変わりません。

停電が続き、夜は
真っ暗の中に過ごす日々。

夕方5時くらいになると、
お婆さんや親から

「暗くなる前に、晩御飯を済ませておきなさい」

というセリフを今でも覚えています。

当時も、夜になると
軍や警察が市民の住宅を
捜索するため、
夜は静かに暮らすしかありません。

特に、男性の場合、
兵士として使う狙いで、
捕まえられることが多かったです。

木の上に隠れたり、
大きいな穴を掘って、
穴の中に隠れる人もいたと
お婆さんから聞きました。

当時は、今のように
インターネットがなかったので、

世界に発信することは
できなかったと思います。

残念ながら、
多くの市民の命が落とされ、

民主化リーダーである
スーチーさんも逮捕されてしまい、

国民は2度目の軍事政権下の
暮らしを余儀なくされました。

1988年、1989年の2年間は、
全国の学校や大学が閉鎖され、
学校に通うことはできなかった。

私の場合、1988年から2011年の民政移管までの間、
軍事政権下の暮らしを経験している。

軍事政権下と民主政権下の
暮らしを比較してみると、

軍事政権下では、
我々国民の人権、自由が
完全に奪われてしまった。

例えば、私の父や周りの人々は、
軍事政権下ではBBCのようなニュースを
自由に聞くことはできませんでした。

当時、BBCニュースを聞く人は、
軍に捕まえられるため、
みんな隠れながら、
ラジオで小さい音で聞いていました。

「そんな時代にもう戻りたくない!!」

我々国民はそう強く思っています。

また、政治に関する本や雑誌などを読むことは禁止です。

海外に関する情報は
ほとんど入手できません。

友達との会話でも政治に関する話を
することもできません。

軍事政権を批判するような
書き込みや発言をする場合、

即逮捕されるのが
軍事政権下の暮らしでした。

私は日本で初めて
スーチーさんが書かれた本を
読むことができました。

ミャンマー人の友達から、
一時帰国する際は、

「絶対にその本を持って帰るな!」

と注意されました。

軍事政権下では、
一部の軍関係者しか、
良い暮らし・良いビジネスを
することが許されませんでした。

だからこそ、
国民の我慢が限界になってきています。

命を落とすかもしれないと
知りながらも、

銃を構えている軍を
相手に戦っています。

銃でしか従わせることが
できない軍の下で

暮らしたくないと
国民が声を上げ続けているのです。

次回は、軍事政権下の教育や市民の暮らしについてご紹介します。
______________________

以上、今回は、1990年代の軍政時代の暮らしを
紹介させていただきました。

私自身、初めて1990年代のミャンマーの様子について具体的に知りました。人がどんな感情で、どんな日常を過ごしていたのか、恥ずかしながら今ようやく知りました。

表立った争いがなくても、家の中では恐怖と隣り合わせな日々。

今ほど経済的な発展もなく、「経済的にも厳しかっただろう」というイメージはあったものの、経済の問題よりも、家の中の暮らしに、

”こんなにも「恐怖」があったのか”

と考えさせられました。他国の経済的な支援だけでは救うこともできない問題なのだと思います。もちろん、経済的な継続的な支援も必要です。

次は、教育・市民の暮らしについて
連載していただく予定なので楽しみにお待ちください。

追伸

5月初旬のヤンゴンの様子です。

画像3

画像3

ショッピングモールはほとんどがオープンし、夜間外出禁止令の時間が22時に延長されたため、飲食店にとっては少し営業時間を延ばすことができました。

しかし、一方で

「軍政の指示には従わない」

という国民も多いので、22時まで伸びても、20時には帰宅する人の方が多い印象です。

飲食店にとっても、20時以降の外出禁止令は大打撃でした。

私自身も、夜の外食は、16時スタート、18時半には解散、19時には急いで帰宅!という日々です。

そもそも、夜の外食は滅多にできず、ランチかコーヒー程度に。

早く今まで通りの生活に戻ってほしいものです。

いいなと思ったら応援しよう!