失敗した沖縄移住生活
元妻と孫2人との沖縄生活はしばらく快適だった。
借りた家は元はペンションだった3LDKの大きな洋館だ。
2階には5ベッドを備えた20畳ほどの広間があり多勢で宿泊合宿が出来た。
家具類は米軍放出のヴィンテージ家具で揃えた。
日中は、僕は当時趣味で始めていたクラシックギターのリペアをしていた。
夕方から夜にかけてオンラインで受験英語を指導していた。
リペアの仕事はなるべく午前中に済ませて午後は孫たちを近くの浜に連れて行って遊ばせた。
僕が忙しい時は、隣のペンションのプールを借りることもあった。
週末は決まって孫達を連れて遠出をした。北部のヤンバルの森などを探索したりするのは楽しかった。
都会育ちの孫らは真っ黒に日に焼けて健康的になった。毎日のように泳ぐので良く食べ良く眠った。沖縄の暮らしを満喫している様子を見て僕は嬉しかった。
家の近所に魚屋があり、朝獲りの魚が手に入った。色とりどりの南国の魚が食卓を彩り、泡盛と共に堪能した。
東京から持って来た古いジープチェロキーを運転をするのは僕だけだった。
元妻は仕事はしていなかったので、買い物や図書館などに車を出すよう要求し、しばしば僕の仕事は中断させられた。
リペアの仕事には納期があり、繊細な神経を使う仕事だった。しばしば孫達の為に仕事を中断させられる事に次第に不満が募った。
そして、酷い躁鬱病を患って入院した過去がある元妻の不満も募った。
言い争う事が多くなるにはそれ程時間は掛からなかった。