ノブのないドア
ノブのないドア。
一見すると、なんだか詩的な、なんだか文学的な、なんだか抽象的な印象を受ける表現だけれども、よく考えてみてごらん。
ノブのないドア。
それは、開けたくても開けられないドア。ドアの向こうに行きたいのに、行くことができないドア。なんてことのないドアなのに、のぞき窓から向こうが見えているのに、ノブがないばっかりに、自分の意思では開けられない。だって―ここは刑務所だから。
畳3畳ほどのスペースに衝立の向こうのトイレと洗面台があるだけの部屋。窓はある。南側の部屋なら夜、月が見えるだろう。昼は暑いかもしれないが。
小さいテレビと机と本棚もある。テレビは14インチ程度だし、机も地べたに座って書くだけの小さいものだ。本棚は壁に備え付けられた一列だけで幅は30㎝程度だろうか。どの部屋も同じような感じで殺風景という表現がピッタリくるように思えるものの、よく見ると、どの部屋も違う。似ているけど、違う。その違いは、本棚に並ぶ本の大きさや色合いが醸し出しているように思えた。
大きい本が並んでいる、外国語の本が並んでいる、カラフルな本が並んでいる、辞典がある。手に取って見ることはできないから詳細はわからないが、部屋の主の趣味や趣向が感じられる。逆に言うと、そこでしか他の部屋との違いを感じられない。そこにしか「個」がない。同じ布団、同じ衣服、同じ鞄。
見学できたのは主がいない時間。もちろん廊下から少し眺める程度だ。こうした見学は、検索すればいくつかヒットするが、府中刑務所の文化祭が有名なようだ。学生が見学するものもあるらしい。
どれも同じようなものだと思うが、見学する日中、部屋の主は刑務所内の工場で作業をしている。工場の見学もあれば受刑者を見ることがあるかもしれないが、基本的に受刑者とは顔を合わせないような見学工程になっているように思えた。実際に受刑者の列と遭遇した際は、受刑者が回れ右をして我々と顔を合わせないようにしていた。
工場の説明では、高齢の受刑者や障害のある受刑者のための工場もあるという説明が印象的だった。運動場を見たときは『塀の中の懲りない面々』のソフトボールを思い出した。きっと、ここにも個性的な受刑者がいるのだろうと想像してほくそ笑んだ。
見学中、基本的には静かなのだけれども、ときおり刑務官の大きな掛け声が聞こえてきた。私なんかでは、逆らおうという気が起きないような大きな声だった。その声の大きさに、運動場で緩んだ自分の気持ちが現実に戻された。ここはドラマの中ではない。実際に罪を犯した人間が収容されている場所なのだと思い起こされた。
考えてみれば、我々の見学にも相当数の刑務官がその前後を付いて回っている。いったいどれくらいの職員がいるのだろう。なぜ、皆さんはここで働こうと思ったのだろうか。興味がわいた。
と同時に思った。いったい何人くらいの受刑者がいるのだろう。さっき見た部屋の一つ一つに主がいる。(ほかにも複数人で使用している部屋はある。)唯一、本棚の本だけが個性を発揮する部屋の数だけ人間がここにいる。それを監護、教育、支援する人間もここにいる。そのそれぞれに家族や友人もいるだろう。受刑者の関係者ということでは被害者だっている。
全部、同じ人間だ。
見学の途中から、そのことが頭から離れなかった。回れ右した受刑者も、大きな声を出した刑務官も、大きな本が並んでいた部屋の主も、辞典が置いてあった部屋の主も、説明をしてくれた刑務所の偉い人も、ここに出入りする関係者も、近隣に住む人も、見学に来る我々も、みんな同じ人間だ。
不思議な気分がした。人間が作った法律に違反した人間がいる。その人間の監護や教育を仕事として選んだ人間がいる。そのような人間がいる場所に興味を持った人間が見学に来ている。そこの人間が作った商品を売る売店の人間がいる。一歩外に出れば、いわゆる日常を送る人間がいる。なにが違うのか。もしかしたら、ほんの少し何かが違えば、今の自分とは違う立場の自分になっていたのではないかと思った。
過去に同じ感情に襲われた気がする。初めて閉鎖病棟の中に入ったときと同じだ。そこに入院している人間がいれば、治療にあたる医師がいて、看護師がいて、面会に来る家族がいて、ひょんなきっかけで自分がいた。自分の目で初めて見る世界。全員同じ人間なのに、ほんの少しの立場の違いで、なんだかまるでその役を演じているかのように、それぞれがいる。
残念ながら自分の能力では、当てはまる言葉が見つからない。何て言えばいいんだろう。
そんなことを考えているうちに見学は終わった。外はすっかり日が暮れて、空には薄い雲の向こうに綺麗な月があった。自分が入るなら、窓から月が見える部屋がいいなと思った。あの部屋の主は今夜、窓の外の月を見るだろうか。そのとき、何を思うのだろうか。
彼は何かをしたからあそこにいたのだろう。願わくば、悔い改めて、自らの手でノブを回すことのできるドアの中で残りの人生を過ごしてもらいたいと思う。