1 成年後見制度はやめられない?
「成年後見制度は一度始めたらやめられない」
皆さんも一度は聞いた事があるのではないでしょうか。
ある意味正しく、ある意味間違っている。私はそう思います。なぜ、そう思うのか、以下に記します。
成年後見制度は、民法のなかの「行為能力」という節に規定されています。特に第7条から第19条あたりが補助・保佐・後見の各審判に関するものです。これらの条文から離れて後見制度を語ることは、登記で言えば甲区がないのに乙区の確認をするようなものです。したがって、冒頭の「成年後見制度は一度始めたらやめられない」ということについても、まずは条文で確認すべきです。
第10条は、後見開始の審判の取消しに関する規定です。「第7条に規定する原因が消滅したとき」は、家庭裁判所は定められた者の請求により、後見開始の審判を取り消さなければならない、と書いてあります。もうやめられるじゃないですか。しかも「審判を取り消さなければならない」という強い力を持った規定ぶりじゃないですか。
第14条は、保佐開始の審判等の取消しに関する規定です。第一項には「第11条本文に規定する原因が消滅したとき」は、家庭裁判所は定められた者の請求により、保佐開始の審判を取り消さなければならない、と書いてあります。やっぱりやめられそうです。
第二項は、第13条第二項の審判(拡張同意権付与の審判)について、家庭裁判所は、定められた者の請求により、全部又は一部を取り消すことが「できる」と書いてあります。第一項の「取り消さなければならない」とは違う書きぶりであることがわかります。
第15条は、補助開始の審判等の取消しに関する規定で、やはり同じようなことが書かれています。第一項の文末は「取り消さなければならない」です。第二項で言う前条第一項の審判というのは同意権付与の審判のことで、これは取り消すことが「できる」です。
第三項はこれまでと少し毛色の違う規定で、「前条第一項の審判(同意権付与の審判)及び第876条の9第一項の審判(代理権付与の審判)をすべて取り消す場合」は、家庭裁判所は補助開始の審判を「取り消さなければならない」と書いてあります。
整理します。
2 原因が消滅したとき
ハッハッハ、そんなことは、わかりきったことではないか!
原因が消滅することなんてないだろ!
認知症が治るとでも思っているのか?言葉遊びを辞めろ!
そんな声が聞こえてきそうです。
では考えてみましょう。「原因が消滅したとき」って、どういうときを指すのでしょう。
考えられるのは2つでしょう。
1つは「精神上の障害が消滅したとき」です。つまり、認知症等の病気の治癒。完全回復です。こちらの選択肢を【A】とします。
もう1つは「判断能力の低下という状態が消滅したとき」です。病気が治ったかどうかではなく、判断能力の低下という状態が消滅したかどうかです。こちらを【B】としましょう。
皆さんはどう思われるでしょうか。
例えば、認知症の方が後見制度を利用しているとしましょう。この場合、【A】であれば認知症の治癒が求められます。【B】であれば認知症の診断があったとしても判断能力の低下が後見制度利用のレベルでなくなれば、やめられそうです。いや、条文的には、家裁は取り消さなければなりません。
もう一度条文を確認しましょう。第10条の一部を正確に引用すると「第7条に規定する原因が消滅したとき」とあります。「第7条に規定する原因」とはなんでしょうか。「第7条に規定する」ですから、そのまま書かれているはずです。両方並べて確認しましょう。
第10条が言う「第7条に規定する原因」とは、第7条のどの部分を指しているのでしょうか。
「精神上の障害」でしょうか【A】。
それとも「精神上の障害により事理を弁識する能力を欠く常況」でしょうか【B】。
保佐も見ましょう。
補助も。
ふむ。条文をよく読むと答えが書いてありますね。第15条第一項ただし書きをご覧ください。
これは、「後見開始や保佐開始の原因がある者については、補助開始はできないよ」という意味です。
ここでいう「原因」は、あきらかに【B】の考え方です。だって、【A】は、原因というのは「精神上の障害」だという考え方ですから、それを第15条第一項ただし書きにそのまま当てはめたら「第7条や第11条の精神上の障害がある者については、補助開始できないよ」になってしまい、あきらかに不都合です。第7条と第11条に精神上の障害の差異はありません。差異があるのは、本人の判断能力の状態、です。
第15条第一項ただし書きは「後見開始や保佐開始の判断能力の状態がある者については、補助開始できないよ」という意味でしか読むことができません。つまり、【B】の考え方です。
結局、補助開始取消、保佐開始取消、後見開始取消、それぞれの条文がいう「原因が消滅したとき」というのは、病気の治癒などではなく「補助開始の状態ではなくなったとき」「保佐開始の状態ではなくなったとき」「後見開始の状態ではなくなったとき」になるわけです。
実は、ここまでの整理は、ものの本を開けば、あっさりそう書いてあります。
どこにも「病気が治ること」「精神上の障害が消滅すること」とは書いてありません。後見開始取消は本人の状態が「常況」ではなくなればいいし、保佐開始取消は「著しく不十分」でなくなればいいし、補助開始取消は「不十分」でなくなればいいのです。(もっとも、補助取消は、同意権と代理権の全取消からの自動的に開始取消ルート(第18条第三項)の方が早いかもしれません。)
認知症が消滅、精神疾患が消滅、などということではなく、本人の判断能力の状態が回復したか否か、そこに注目すればいいのであって、このことを理解できたら「成年後見制度は一度始めたらやめることができない」とまでは言えなくなるのではないかなと思います。
頭に浮かぶのは、状態が上下するご本人です。上下の時間的幅は人それぞれかと思いますが、必ず全員が右肩下がりに一直線というわけではないと思います。特に精神疾患の方は、認知症の方よりもその可能性があるように思います。完全回復しないと辞められないなどという誤った認識を専門職と呼ばれる立場の人間が持っていては、制度のよりよい改善や発展は望めないことと肝に銘じます。
3 そうはいってもさ
成年後見制度は今の法律のなかでも辞められるかもしれない!と思った方には申し訳ないのですが、実は甘くない部分もあります。本人の能力回復というのは実に喜ばしい場面であることは間違いがないと思いますが、一方で、本人の保護という面もしっかり検討がなされる必要があります。
例えば、被後見人が、保佐の診断書を取得し、後見制度の利用をやめたいと考えた場合、どうなるでしょうか。条文をそのまま当てはめれば、「常況」から「著しく不十分」になった、すなわち後見開始の原因が消滅した以上、家庭裁判所は後見開始の審判を取り消さなければなりません(第10条)。
このとき、本人の保護ということを考えれば、保佐開始の審判が頭に浮かびます。しかし、家庭裁判所は、職権で保佐を開始することはできません。誰かが申立人になって申立をしないと保佐は開始しないのです。
んー、私の頭では、最後の職権開始は無理筋としか思えません。
でも、申立てが義務付けられるわけではないしなぁ。「促される」だしなぁ。
ふむふむふーん、法律ってむずかしいなぁ。もっと勉強しなくては…。
note執筆の原因が消滅したようです。
(終)