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「どうせ無理」、「死ぬつもりでやれ」って言葉が嫌い

ぼくは「どうせ無理」という言葉と「死ぬつもりでやれ」って言葉が嫌いです。 勿論一般的な細かいニュアンスは理解します。 ただ、それでも聞きたくないし言いたくない言葉でもあります。 なぜか。 一つ目は「どうせ無理」という言葉の恐ろしさについて。 勿論、無理なものは無理というニュアンスは理解できなくもありません。 100mを平均的な時間しか走れない人に「オリンピック級の速さで走れ」と言われてもかなり厳しいです。 でも、みんな一度は夢や期待を見るもんなんです。 「ああしたい、こう

    • 「死」と「忘却」

      昨日、親友の祖父が亡くなったことを電話で聞いた。 元々よく電話で近況報告をし合うのだが、「危篤」と言うことは事前に聞いていたが、改めて訃報を聞いてショックを受けた。 僕は直接会ったことはない。でも、親友が好きだと言っていた。色んな思い出話しを聞かせてくれた。 きっと、その親友が言う「じーちゃん」は親友の人格形成に大きな影響を受けたのだろうと容易に推測できる。 だから面識は無くとも哀しかった。 もちろん、人間だけではなく、大切な人が飼っているペットが亡くなっても哀しい。 も

      • ぼくはいつでも死んで構わない「無敵の人」に限りなく近いヒト

        僕は昔からいつ死んでもいいと思っている。 その考えは小さい頃からで、自己肯定感がマイナス1000%だからだ。 哲学的な話は一旦隅に置いておいて、「何故ぼくは産まれたのか」 「何故生きているのか」 などの人生の意義が分からない。だから例えば今日眠って明日目覚めなくてもいいと納得してしまっている。哀しいことではあるがそれは一朝一夕では変わらない。だから僕の最大の武器は「失うものがないこと」なのだ。 守るものがあればあるほどしがらみが増えたり行動に制限が掛かってしまう。そ

        • 精神的泥棒の話

          人間は難しいものであって、性善説と性悪説がある。 ぼくは産まれたばかりの赤ちゃんを見て、将来人を殺してやろう、騙してやろう、自分を傷付けてやろう、などと思って産まれてくる子は1人もいないと信じたい。 けれども凶悪犯罪などを詳しく調べると後天的なものだけでは少し説明が付かないなと思うこともあって。 現実的には人は善と悪を持ち合わせているのだと思う。勿論ぼくも。 その善と悪のバランスの問題の話題。 基本的に人間関係には利害関係が大きく左右する。 そもそも認めたくはない

        「どうせ無理」、「死ぬつもりでやれ」って言葉が嫌い