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マイナスな出来事は、自分の本音をあぶり出すトリガーとなる。

実は昨年、ひっそりと個人事業主になった。

しかし、これがなかなかに軌道に乗らない。

経済的な不安がよぎる中、軌道修正や方向転換を考えてみるも、何も思い浮かばないのだ。

しだいにそれが面倒くさくなった私は、「そもそも今やっている事業は、本当に自分がやりたいことだったのか?」と、盛大に現実逃避した。

これからどうやって生きていけばいいのか、どう動けばいいのかが、まったくわからなくなっていたのだ。
数ヶ月前の私は、そんな手も足も出ないような状況だった。

でも、冬至を迎える頃には、自分が心からやりたいと思うこと、挑戦したいことに向かって舵を切っている。
数ヶ月前には想像もつかないような展開に、自分でも驚いているほどだ。

それもこれも、今年いっぱいで退職する今の職場のおかげといっても過言ではない。
それは、決して居心地にいい場所ではなかった。しかしこれが、自分が望む人生の方向性を明確にし、そこへ進む原動力となってくれたのだ。




バイブスが違う職場環境に戸惑う。


今の職場に勤務するきっかけは、公務員時代の職場の同僚から、人手が足りないので手伝ってほしいとの誘いを受けたからだ。

短時間勤務でしかも期間限定、個人事業主の私には悪くない条件である。
暗中模索の日々の中で、何もしないよりは多少なりとも収入があった方がいいだろうと、迷いながらも承諾した。

しかし、昔慣れ親しんだ職場環境であるはずのその場所は、思いのほか居心地が悪かったのだ。

その詳細はここでは控えるが、何が悪いとか誰が悪いというわけではない。
一言で表現するなら、職場環境と自分とのバイブスが合わないということだろう。

今考えれば、公務員を退職しすでに12年以上経っているのだから、合わなくなってしまうことは、不思議ではないのだが。

それに、そもそも公務員を辞めた理由の一つに、「合わない」というのがあったのだから、当然といえば当然なのかもしれない。

それでも、今回はなんだかんだ縁があって入った職場ゆえ、どうせなら楽しくやっていきたいと自分なりに努めてみた。それでも、どうにも周りとの歯車が合わず、違和感だけが募る日々であった。

「一人一人は悪い人などいない環境だし、社会のセーフティネットを担うやりがいのある仕事でもあるのに、違和感を覚える自分ていうのは、どこかおかしいのか?」
「やはり私は、すでに組織の中で生きられない心と身体になってしまっているのか?」
そんなふうに湧き上がるマイナス感情を、最初は見て見ぬフリをしていた。

自分の内面に本気で向き合ったことで、見えてきたもの。

見たくない自分の感情に蓋をする。

いつもそのパターンで自分の本音から逃げてきたが、今回はそれでは逃げきれないと直感的に悟った。

嘘がバレる時代になっているのは、私にだってわかる。
ボディ、マインド、スピリットに不一致があったとしても、これまでの時代は、自分も他人もごまかすことができた。でも今は、もうそんな時代ではなくなっているのだ。

このままでは、また同じループにハマってしまう。

今度こそ、自分がしっくりくる生き方に近づきたいと本気で思った私は、勇気をもって自分の内面とがっつり本気で向き合ってみることにした。
まずは、それから始めるしかないと思ったからだ。

どんなふうに向き合ったのかの詳細は、今回は語るのを控えるが、例えば何かや誰かにモヤモヤしたのであれば、どんな小さいことでも見逃さず、「どんなところにモヤモヤしたの?」と自分に問うた。

自分の感情のやんちゃぶりに辟易しながらも、それらと丁寧に向き合った。

目を覆いたくなるようなドロドロの汚らしい感情であっても、「そうなんだね、私はそう思ったんだよね」と、否定も肯定もせずに、ただそのありのままを受け止めた。

もちろん、自分にとっての嬉しいことや楽しいことというプラスの感情についても、素直に受け止め、周りに感謝をしながら、その感情を味わい尽くした。(←これは幸せな時間だったな)

今思えば、こんなに自分(の感情)を大切に扱ったのは、50年以上生きてきて、はじめてのことだったのかもしれない。
そして、冷静に俯瞰して自分自身をみる習慣を試みたのも、はじめてだった。

時には苦しみ、時には悲しみ、時に号泣しながらそんなことを繰り返しているうちに、これまでぼやけていた自分の考え方や捉え方、大切にしている価値観が、はっきりと見えてきたのだ。

「私は、こんなふうに生きていきたい!」も。
「私は、こんなふうには生きていきたくない!」も。

退職を決めたのは、自分の人生に責任を持つ覚悟ができたから。

そうやって、自分の本音・本心が炙り出されてしまったのであれば、この時代、もう後には引けない。
自分に嘘をつかず正直に生きていくしかないであろう、と肚を括った。

そう覚悟を決めたら、不思議なほどに自分に必要な人や情報と出逢うことができた。
それにより、具体的に何をしていきたいかというところも明確になってきたのだ。

期間満了から3ヶ月繰り上がって、今の職場を退職する決意をした。

職場環境は以前よりも改善され、勤めようと思えば勤められた職場ではあったが、1日でも早く、自分が今やりたいと思っていることに時間を注ぎたかった。

だって、いつ身体を脱いでこの世界とお別れするのかわからないのだから。

「期間満了まで勤務しないなんて不義理ではないのか?」「収入はどうするの?」という声が自分の中から何度も聞こえてきたが、今の私にとっては、この職場に大半の時間と労力を吸い取られることが、どうにも惜しくなってしまったのだ。

たとえ収入源が絶えたとしても、そこに費やす時間を、自分がこれからやろうとしていることに充てたいという思いの方が勝ったのだ。

そして、退職をする(雇われ人を辞める)という退路を断ってみることで、自分の人生に責任を持つという覚悟が定まったように感じているのだ。

私が望む生き方とは、自分が心からやりたいことをすること。

今回私が選んだ道は、一旦雇われ人を辞めて、自分がしたいことをする生き方だ。

経済的に難しい局面に立たされるかもしれないゆえに、不安や恐れが全くないとはいいきれない。

でも、なぜだか不思議と悲壮感がないのだ。

おめでたいとかお花畑脳と言われるのを覚悟で申し上げるが、最終的にはなんとかなると思ってしまうのだ。

というか、これまでもなんとかしてきたし、なんとかなってきた。

だから、これからどんな展開が待ち受けているのか、一人ひっそりワクワクしているのだ。

ということで、ざっくりとではあるが、現時点でやりたいことの一例を挙げていきたい。

  1. 都心への利便性が高い地域でのマンション暮らしから、片田舎の古い木造一戸建ての暮らしへ。

  2. 田んぼと畑を借り、我が家の食料自給率を上げる。

  3. 憧れのオーガニックマルシェに出店し、地域の人たちとつながる。

  4. 気軽にキャリア相談や雑談ができる、居場所カフェ的な場をつくる。

どれも、以前からやりたいと願っていたことだが、自分には無理だと思い込み、その本音を隠してきた。

でも、実際は、それに少しずつでも近づいている感があり、非現実的なお伽話とはどうしても思えないのだ。(だからお花畑脳だといわれちゃうかもだが)

たとえば、こんなことが現実化しているからだ。

  • 田園風景がひろがる地域の一軒家に、家賃無しで住めることになった。

  • 過去に、無農薬畑での農業体験や自宅でのベランダ栽培を経験し、援農にも参加している。

  • 今年は、田んぼの一角を借りて、無農薬米を26kg収穫した。

  • オンラインではあるが、キャリア相談を開設している。

他人からみればちっぽけなことかもしれないが、数年前の自分の生活には、まっくもってなかったことばかりである。

そして、そんなふうに、自分が心からやりたいことをすることで、自分はもちろん、その商品やサービスを手にとってくれた人たちが喜ぶ姿を想像すると、楽しみでしかたがない。

もしそれでうまくいかなくなれば、それもまた今世での貴重な経験。
どうしても経済的に立ち行かなくなれば、また雇われ人になるという選択肢だってある。

それくらいの軽い気持ちでいるのだが、それって甘い考えなのだろうか。。。


なんにしても、私にとっての2024年は、さまざまな人や情報や場などの出逢いをいただき、さまざまな気づきや学びを得た。(noteのクリエイターさんたちは、まさにそうである)

2025年は、そこで得た気づきや学びを形にするべくアウトプットする年にしたい。

そして、このnoteを、そんなツールの一つとして、存分に活用させていただきたい。

同じような想いや価値観の人たちと、つながれることを願いながら。。。




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