11歳の私と41歳の父
私にとって最初の一人旅の記憶は11歳の時。祖父と祖母に会いに、新幹線といくつかの電車を乗り継いで自分一人だけの旅をした。前々から一人旅を計画してたのではなく、祖父と祖母に会いたいという気持ちだけで行動に移した。母は最後まで少しだけ反対をしていた。電車の乗り継ぎに失敗したらどうしようと不安に思っていたらしい。父は特に何の言葉も発しなかった。強いて言うなら、不安そうに旅行の準備をする私を見つめる母をなだめる言葉を言ったくらいだった。
『何かあったらそこら辺にいる人が助けてくれるだろう』
言葉としては些細な意味で、人によっては何も気にしない言葉なのかもしれない。でも、私の耳には私自身がどうでもいい人のように聞こえた。助けてくれる相手は父ではない、そこら辺にいる人なのだ。
自分以外の気持ちを完璧に理解することはできない。自分以外の行動の100%理解することはできない。
だから人は言葉を使って自分の気持ちを相手に伝えることができる。だから人は言葉を使って相手に自分の気持ちを少しでも性格に理解させることができる。
母は父との出会いを話してくれたことがある。父は口下手で、母と付き合う前は特にアピールすることもなく、常に母の傍にいたらしい。最初は何を考えてるかわからなかったが、次第に傍にいることが当たり前となり、恋が愛になり結婚をしたのだ。
私は口下手という言葉の意味を理解はしていたが、家族となった今でも口下手な父に対して嫌悪感しかなかった。むしろ家族だから自分の気持ちを素直に伝えてくれるのではないか。紛らわしい言い方をしないのではないか。
つまり、自分の家族は自分だけでなくそこら辺にいる人に助けを求めろと助言するほどの何でもない存在だったのかと。
私は父が嫌いだった。嫌いの感情の大きさは日に日に大きくなるわけではなかったが、どうでもいい人認定をされた私は嫌い以上の言葉は何かと探すほど父が嫌いになっていた。
祖父と祖母は私を出迎えてくれた時にたくさんの愛のある言葉を言ってくれた。その言葉はもしかしたら人によって何でもない、些細な言葉の羅列かもしれない。それでも私は、祖父と祖母の孫に生まれて良かったと心から思った。父の娘に生まれて良かったとは、今もこれからも思うことはないだろう。