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「汽車を待つ君の横でぼくは 時計を気にしてる」はオンラインだと何になる

大雨の降る中、子らを連れて、沖縄料理屋でテイクアウトして、さあ帰ろうかとエンジンをかけようと思ったら、ギュロロロ、ギュギュギュと嫌な音がして、始動できない。
しまった、バッテリー上がりだ。
原因もハッキリしてたし、ロードサービスに電話して来てもらうか、そのあと妻に子供を迎えに来てもらうか。と頭の中でやるべきことを整理していると、後部座席から娘が「どうしよう、ママに会いたい。」と号泣している。エンジンの不気味な音と不意なトラブルにワクワクしている親父の不気味さを感じたのだろうか、娘を「ママが直ぐに迎えにくるから」となだめてロードサービスに電話する。受付の女性に状況を説明した後に、委託業者のおじちゃんから電話がかかってきて、「原因はバッテリで。すみませんね。」なんて話をする。

妻が子らを迎えにきて、雨が降りしきる車内で一人きり、ロードサービスのおじちゃんを待つ。買った沖縄料理が冷めていないだろうか気になる。

この物理的な待つという感覚にたまらない感じになる。かぐや姫の名曲「なごり雪」の冒頭の歌詞。(伊勢正三 作詞・作曲)
 汽車を待つ君の横で僕は 時計を気にしてる 季節外れの雪が降ってる
全文文学な冒頭の歌詞が脳内再生され、しとしとと降る車外の雨とあいまって物語の主人公になった気分になる。

待ちわびた おじちゃんが到着。
ボンネットを開き、救援キットを取り付けて、ナビが消えてもしらねえからなという誓約書に一筆書き、エンジンをかけるとギュロオオンと一発でエンジンがかかる。この間10分くらい。では、お大事に。と帰っていくおじちゃんにLOVE FOEVERとお礼を言って帰宅する。まだ、雨は降っている。

雨が降る中、子らと走って入店したお店があった。熊本のかおるさんがやっているpicnicというお店だ。ちょうど1年前に熊本に行った時に市電で健軍まで味噌を買いに行き、通町筋でびしょびしょになった状態でお店に入った。(今でも、なぜ車で行かなかったのか、カッパを子らに着せなかったのかと反省は尽きないが)
店に入ると、かおるさんがびしょびしょにビックリして、店にあるありったけの手ぬぐいで子らを拭いてくれた。びしょびしょの状態から回復したら、かおるさんに苺のスムージーを注文して、子らは実に旨そうに飲み干していた。息子は今でもあの時の苺のジュースを覚えてて、美味しかったねと言う。後日、かおるさんにお詫びとお礼のお手紙を送った。「びじょびしょで入店してすみません。雨宿り本当に助かりました」

沖縄料理屋でテイクアウトをした時、店内で待ちませんか?と席に通されて、テーブル席に座って待っていた。水を3つ出してもらって、20分くらいだろうか店内で過ごす。奥の方で、飲んでいるお客さんの声が聞こえ、BGMはBIGIN。水をグイ飲む子らを見ながら、久々にこの飲み屋の感じいいな。と思ってしまう。

テイクアウトした少し冷めたパックに入ったゴーヤチャンプルーとラフティと沖縄おでんと何かわからん野草のてんぷらを食べて、それはそれで店の味を家でってことでいいんだけど、待つ時間とか店の匂いとか遠くから聞こえてく声とかリアルな場所がないとできないことが多い。むしろ、外食は食事以外の部分に私は価値を置いていたのだと気づかされる。テイクアウトで、きっと店の人は容器の準備やテイクアウト用に生もの出せないとかストレスも多いと思うし、開けていても自分の思ったような状態にできないという気持ちを持ったまま一日を過ごしているのだと思う。

汽車を待つ君の横でぼくは 時計を気にしてる
をオンラインで何とかできないかと、ここのところ2週間ばかり考えてきたのだが、結論は「オンラインではできん」となった。
私の場合は思い出せる印象的な思い出をいくつ作れるかというのが、生きがいなのだが、思い出すのはびしょびしょで駆け込んだ雨宿りした居場所だった。

あー、picnicに子らと行きたいな。


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