不幸を演じる女優は降板
正直私は演じていた。
何を演じていたかって?「私は不幸です」ということ。
みんな誰もが「幸せになりたい」ってよく言いますよね。
幸せって何なんでしょうね。
人それぞれだと思うし幸せの形も様々。
私が思う幸せってなるというよりも感じるものだと今では思っています。
私もちょっと前までは幸せになりたい。「私の幸せ」って何だろうともがいていたやつですから。
私はただ、自分らしく生きていきたい。その思いで自分と向き合う時間をたくさん取ってきた人間です。
そもそも自分の好きとか嫌いとかもわからないぐらい
自分の本当の感情に気づけなかったのが7,8年前のこと。
今となっては好きと嫌いもわからないなんてびっくりしてますけどね。
私は人一倍承認要求が欲しいタイプですから、承認欲求がもらえるなら、満たされるなら結構何でもやってきたタイプかもしれません。
にもかかわらず幸せになりたい。いや幸せになりたいってよりも私は不幸だみたいな、不幸を売りをしていたと思います。
不幸だと言うと何がいいかというとみんなに注目してもらえるから。
心からそれを望んでいるわけじゃないかもしれないけども、注目してもらったりすることに心地よさを覚えていたのかもしれません。
たくさん向き合って気づいたこと、それは全然自分は不幸じゃなかったということ。
なんなら幸せだしとっても恵まれてるんだと思います。
幸せってもっとキラキラしてすごいものだと思っていたんだけど、
気づいた時には目の前にあったしもっと言えば足元にあったんです。
幸せはどこだろうって遠くの方見ていたんだけど実は目の前にあった。
驚きです。
だから幸せってなるものじゃなくて感じるものだと思えるようになったんです。
幸せだし、今の自分には満足してるって分かってるくせに
前の癖が抜けず私はどこかで大変なんです不幸なんですみたいな感じで演じている自分が最近いるなって。
仲間のばたちにも言ってもらい、私って不幸を演じる女優やってたんだなって。
ただの偽善者です。
だって幸せですって言うとあの人だけ幸せになってみたいな感じで妬まれるのが怖かったから、防衛反応で不幸を演じる女優をしていたのかもしれない。
別にわざわざブログに書くことでもないかもしれないけども、
不幸を演じる自分にさよならしたくてブログに綴ってみました。
読んだ人からしたらなんてやつだなんて思われるかもしれないけども。
私が私らしく生きていくための覚悟みたいなのもあるのかなと思っています。
幸せなんだから幸せと言っていい。
世間が求める不幸を別に演じる必要もない。
私は幸せなんだと言葉には出さずとも、私らしく行動に表していきたいと思います。
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