承認欲求のために頑張るなんてバカバカしい
私は昔から承認欲求を人一倍求めるタイプ。
誰だって承認欲求を求めることはあるので普通のことかもしれないけど、
私は誰よりも強く求めていたタイプです。
なぜそんなに承認欲求を求めるかって
親に愛されるために、親に認めてもらうために必要だったから。
だから私の生き方は承認欲求を得るための目的目標がこれまでに多かったと思う。
いろんな生き方があるので別に承認欲求を求めることがいけないというわけではないが、
承認欲求を求めるがあまり本当の自分を押し殺し相手に迎合し生きていた。
この生き方が私にとっては生きづらかった。
だって承認欲求を求めてももらえないしもらえたとしても本当に欲しいものじゃなかったから。
頑張れば頑張るほど心は疲弊していったのです。
そんな生き方を変えようとこの4年がっつり自分と向き合ってきました。
4年経った今ようやく自分らしい生き方ができるようになりとても幸せを感じています。
だからと言って承認欲求を全く求めていないわけもなく
喉に骨が引っかかった感じがあって、この小骨をどう取ればいいのだろうなんて思っていました。
今日ふと頭によぎった言葉があった
承認欲求をのために頑張るなんてバカバカしい
なんだかこの言葉に腑に落ちた私がいた。
本当に欲しいものじゃないのに承認欲求を求めるために時間をつくなんてばかばかしいと思えたのです。
私が人生において大切にしたいのは、自分が自分に変化をもたらし自分の人生に飽きないこと。
要するに自分を遊び尽くすということです。
こういう生き方が一番自分らしいと今ようやく思えてるから、余計に承認欲求のために頑張るなんてバカバカしいとやっと思えたのかもしれません。
こんなに納得し腑に落ちるなんて思っていなかったこの言葉。
私にとっては承認欲求を求めるなんてバカバカしいなんて思えた記念日です。
喉に引っかかった骨が取れてすっきりです。