自己紹介

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みなさん、はじめまして!

僕はグラフィックアーティストのコーディネートエージェンシー『BUILDING』代表の森と申します。
http://www.bldg-jp.com/

そのほかに、クリエイターのキャリアにまつわるコンテンツ配信と電子書籍専門出版レーベルの『CAT'S FOREHEAD(キャッツフォーヘッド)』
https://www.cf-media.com/
を主宰しています。

そしてこのたび、CAT'S FOREHEADから『商売が苦手なイラストレーターのための仕事のつかまえかた』という本をAmazon Kindleでリリースしました。

本書では僕が25年にわたるキャリアの中で出会った、数多くのクリエイター達と仕事を通じて気付いた「売れ続けているクリエイター達の"クリエイティブ商売"の考え方や取り組み方の共通点」を大真面目に考察し、クリエイターの中でも特に商売を苦手としている人が多いと感じているイラストレーターが、「どうすればクリエイティブ商売と向き合っていけるか」についてたっぷりと記しております。

この本は12万字以上もあるので実に「たっぷり」なんですが、そもそも生原稿は15万字以上もありました。いま見返すと当時の原稿は、大阪人特有の一人ボケ&たまにツッコミ(=ほとんどが放置されたボケ)だらけで「画面の向こうはオイミャコンかな?」というほどの極寒地帯。
春先の軽装ではとても読めたものではありません。
そんなオイミャコンに加えて「これは面白いけど刺激的すぎるから本には書かないほうがいいよ」というエピソードの数々に編集者がガッツリと手を入れてくれたおかげで、世に出しても恥ずかしくない完成品となってリリースされているわけです。

大阪のオイミャコン(極寒のボケ)にはもう未練がないのですが、紙幅の関係で(電子書籍だけど)盛り込めなかった商売のTipsなどはまだたくさんあります。
またBUILDINGと平行して色んな事業を手掛けることで、ふだんのクリエイティブ業ではめったにお目に掛からないような人々と接する機会も多いため、そうした活動で得られた「仕事」や「キャリア」に関することを共有するためにnoteを始めました。

前置きが長くなってしまいましたが、初投稿なのでまずは簡単に自己紹介をさせていただきます。

1993〜94年 フリーター

公認会計士の受験浪人という肩書きで、ぶらぶらと遊び呆けていました。
あの時があるから今がある。

1995年〜 大阪の小さな広告代理店ではたらく

不動産関係のチラシなどを制作する、明るく楽しく毎日朝まで働く小さな会社で8ヶ月ほど働きました。
大阪×不動産業界×広告業界というコンボなので、面白ネタには事欠きませんでしたが、その中のひとつを上記書籍に記しております。それ以外は、あまり人様に言えることはありません。

1996年〜 PARCOではたらく

パルコに転職をして渋谷店に配属され、テナントのリーシング(どの場所にどんな店に入っていただくかを決めて営業交渉をすること)業務を経て宣伝・販促・イベント担当に異動。
これがその後の僕の人生を大きく変える転機となりました。
僕の配属先はパルコ全体の宣伝・販促ではなく渋谷店だけのPRでしたが、当時の渋谷パルコは『トレインスポッティング』『バッファロー66」といった映画のタイアップ企画、『ポストペット』『パラッパラッパー』などのキャラクターとのコラボ、Groovisionsさんや村上隆さんといった超S級のクリエイター達を「これから世に出ていく」段階で起用していく、まさにカルチャーの震源地のような存在でした。
なので、制作予算は少ないものの皆さんが「渋谷パルコと一緒になんかやりたい」という気持ちを持ってくださっていたので、毎月数本の企画を実施していくことができたのです。
トップクリエイターの「商売」の様子を間近で観察するようになったのはここから。

以降、色んなエピソードがありすぎますが、それはまた別の投稿で。
職歴が多すぎるので・・・急ぎ足で進みます。

1999年〜 ラフォーレ原宿ではたらく

原宿本館の宣伝・販促マネージャーとして転職し、1年後に館長補佐として組織マネジメントと対外交渉をしていました。

ラフォーレはフランス語で「森」という意味だとご存じでしたか?そう、ラフォーレ原宿は森ビルの子会社が運営していたのです。ちなみに2000年頃に新設された「フォレット原宿」の「フォレット」はイタリア語で「森」。さらに森ビルの子会社には「サンウッド」という不動産販売会社まであります。木が三本でサンウッドですわ。

もちろん僕は森ビルの御曹司でも何でもないのですが、同じ森という名字のお陰で随分と仕事がやりやすかったです。
「やりやすい」と言っても昼間からランチビールを飲んで屋上で昼寝をしていたわけではありません。

まだ20代の自分に”ぽん”と渡された宣伝販促の「責任者」という肩書きに「さぁやるぞぉ」と意気揚々。パルコと比較すると牧歌的だったラフォーレの現場を、血気盛んに改革を断行していきました。
たとえばそれまで取引していた業者さんとの契約や価格を丸ごと見直し、年間予算の20%以上を削減。そうした業者さんからは随分と恨み節を浴びましたが、森という名字を印籠がわりにズビズバと邁進。浮いた宣伝費だけでなく、館内に媒体を設置したり、クリスマス企画を媒体として販売したり(第1弾は「LOVE PSYCHEDELICO」さんのニューアルバムとタイアップ)、交差点に面する筒状の壁面に大型幕の媒体を新設して販売したりして、宣伝費を大幅に増加させました。それらをずどーんと媒体に投下することで、売上も収益も上がったのです。当たり前のことですが。
ちなみに新設した大型幕の媒体の第1号クライアントは、iPodの日本初お披露目の広告です。

相変わらず広告物も機関銃のように作っていたのでクリエイターとのお付き合いは続いていましたが、渋谷パルコの企画でご一緒した村上隆さんと企画した『芸術道場』は、その後『GEISAI』として成長していきました。まだ村上さんが『スーパーフラット展』やLOUIS VUITTONとのコラボレーションを始められる前のことでした。

2002年〜 ギャラリーではたらく

「自分でビジネスを始めたい」と思い立ってラフォーレ原宿を退職し、「小さい会社の経営の現場」を経験するため、当時付き合いのあったデザイン会社が運営していたgallery ROCKETで企画・運営担当として雇ってもらいました。

当時のROCKETは1週間という短い会期で数多くのクリエイター達の展示をしていたので、ここでもさまざまなジャンルの数多くのクリエイター達と接することになります。

その中で、イラストレーターから仕事の相談を受け始めたことをきっかけにBUILDINGという屋号で事業を開始しました。

2003年〜 BUILDINGをはじめる

ようやくBUILDINGにたどり着きました。ふぅ。。
ここからが僕のnoteの本題たるテーマとなるので、また別の投稿で。

現在BUILDINGには国内外あわせて約60名のグラフィックアーティストが所属しています。

運営会社の有限会社ビルディングとしては、アーティストのコーディネート以外にも広告制作、企業ブランディングなどの事業を営んでいます。

2010年〜 CAT'S FOREHEADをはじめる

日本のユニークなグラフィックカルチャーを、日英バイリンガルの記事で配信するWEBメディア「CAT'S FOREHEAD」をスタート。当時はまだ珍しかったいわゆる「オウンドメディア」ってやつです。

「長い文化の歴史を持ちながら欧米のカルチャーを貪欲に取り入れた結果、日本には独自のグラフィックカルチャー生まれているのに、世界で全然認められていないのをなんとかしたい!」という崇高な理念の下に始めました。
というとカッコ良いのですが、実はリーマンショックの直後にも関わらず、大きな仕事をいくつか受注できて利益が出たので、代々木の高級マンションに事務所を移転するかどうか迷った末に始めたのがこのプロジェクト。ロンドンにブランチをつくって現地のスタッフも雇ってスタート。

「このプロジェクトは自社のブランディングだから」ということで広告も入れずに好き放題やっていましたが、当たり前のことながらお金は出ていくだけ。まだ30代だった僕は、「身銭を切ってるんだから俺の好きなようにやらせろ!」とジャイアン的に立ち回ったお陰で、気付けば僕が一人で編集長とライターと写真をやるようになっていました。

「ダメなヤツだったな・・・」と当時のことを今でも反省しています。

でも一人でやっていてるなかでカリフォルニアのAppleから、「iPad miniのマーケティングにCAT'S FOREHEADのWEBサイトを使用したい」という連絡が入った時には飛び上がって喜びましたよ。

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そんなこんなで、2015年にひとまずテキストベースのWEBメディアとしては休止しました。プロジェクトとしては小さなベンツ1台分くらいの赤字を残しましたが、このメディアのお陰でアーティストもスタッフも優秀な人が集まりました。

紆余曲折を経て、2019年よりクリエイターのキャリアにまつわるコンテンツを配信するYouTuberと、電子書籍専門出版レーベルとして復活しました。
https://www.cf-media.com/

カメラとドローンと映像制作をはじめる

BUILDINGで専属マネジメントしていた写真家のためにEOS 5Dを中古で買ったものの、その写真家がいとも簡単に所属を辞めてしまったのでカメラがぽつんと余ってしまった。

もったいない精神を発揮してカメラと写真の勉強をし始めたのが2010年頃のこと。それ以来すっかりカメラにはまってしまい、旅と写真のブログをコツコツと更新していました。これまでは匿名でやっていたので、お披露目するのは初めてです。
http://granfalloon-tokyo.blogspot.com/

ほどなくしてBUILDINGの広告・エディトリアル制作事業もWEBと映像へとシフトしていく中で、自分でもカメラを回して映像制作をしようと思い立ちました。その中で始めたのがドローン。

『ドローンハンドブック』というドローンの本も出版しました。
https://amzn.to/2UldxGC
出版に際していろんな経験をしましたが、お陰で電子書籍専門出版レーベルを立ち上げることができました。この話もまたどこかで。

僕は現在、映像の企画〜撮影〜音声収録〜編集〜納品までをひとりで行う、いわゆる「ビデオグラファー」としてキャリアを築こうとしている最中です。モナカやないで。
それまでの広告「プロデューサー」から「クリエイター」に転身しようということで、「自分がどう新たなキャリアを作っていこうか?」と戦略を考えるにあたって「売れ続けているクリエイター達のやり方」を分析することにしました。
その内容の多くが『商売が苦手なイラストレーターのための仕事』という本に書かれているのです。

こうして振り返って思うのは、「色んなことに手を出してきたな」ということですね。会社勤めは3年以上続いたことがないし、自分で事業を始めてからも数年ごとに新しい事業をトライアルしています。

自己紹介なのでサッと終わらせるつもりが5千字近くなってしまいました。すみません。

最後に僕が制作しているアーティストのポートレートムービーをご紹介して、本稿の締めとさせていただきます。
これも事業として始めたばかりですが、その話もまた別の投稿で!


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