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下山事件にみる歴史のねじ曲げ方 プロローグ2

NHKはなぜ他殺説?

前回は「NHKスペシャル未解決事件File.10下山事件」を見てたまらない違和感を持ったことなど、この投稿をする動機を書きました。ぼちぼちと本題に入っていきます。

(以下、肩書は当時を基本とします。また、ローマ字1文字で記した人名は番組やもろもろの書籍で実名となっていますが、実名ではとても描くことのできない人物だと考えますのでイニシャルにします。次回以降、同じ理由で別の人物にもイニシャルを多用します。令和の時代に昭和の感覚で文章を書くのは大きな誤りであると思うからです)

違和感の理由

NHKの番組になぜ違和感を持ったのかを書いてみましょう。
まず現在では全く成り立たない当時の「他殺鑑定」をいまだに金科玉条のごとく掲げているところが目に付きました。
同じようにA紙Y記者が見付けたとされる現場の血痕についても、下山総裁のものではないと(当時から捜査筋では)分かっているのに、そのまま他殺の根拠のようにされています。今はない血液のQ型なども、当時のままの表現で確固たる証拠のように使っていました(以上の点は後日に触れます)。

何より、そのY記者がやけに格好良く描かれていたのが一番の違和感でした。前回、今の他殺説は「親亀こけたら皆こける状態」だと書きましたが、親亀に当たる人物です。
番組の中のドラマでは、その言動を描き視聴者を「他殺」に誘導する「装置」としていました。この記者の在り方は以前から疑問に思ってきましたので、「真実に迫る」を趣旨とした番組の作り方として「どうなんだろう」と感じざるを得ませんでした。

事件を担当したことのある新聞記者なら、下山事件のことは詳しく知らなくても、この記者の描き方に大変な引っ掛かりを感じたのではないかと思います。どう考えても、新聞記者の本道を大きく踏み外しているからです。
(逆に言えば、踏み外しても平気な人間だったのではないか、と番組を見て妙にに落ちたところもありました。この点も後日に書きます)

古典的な他殺説

番組が描いていたのは古典的な「他殺説」です。
情報屋(※1)のMなる人物が、1959(昭和34)年の週刊文春11月9日号で語りました。GHQの謀略機関に所属・協力する日系2世らが下山定則・国鉄総裁を呼び出し殺したというストーリーです。

どうして、この説が今になって再登場したのかを考えてみます。
番組は「捜査の全容を記録したとされる極秘資料を入手した」と強調しています。布施健・主任検事(番組ドラマ編の主人公。後の検事総長)らが殺人罪の時効になるまで捜査した結果を記した700ページ余りの資料だそうです。
「検察の捜査の詳細が判明したのは初めてのことだ」
そう自慢していますので、この資料が今回の番組の核となる「あんこ」というところでしょう。その中に、このMの調書があったのだと思います。
(調書というか、週刊文春の後追い捜査をした結果が書いてあったということで間違いないでしょう。番組はMに「暴露話は雑誌が高く買ってくれる」のセリフを吐かせながら、この説を話したと描いていましたので)

Mが語った関係人物は数人居ました。CIC(※2)に協力する日系二世たちで、NHKはその“中心人物”を捜し、米国でFという人物に行き当たったようです。
Fは数年前に101歳で亡くなっていましたが、日本で何をしていたのか娘さんが聞き取ったメモを残していました。
その中に「(CICは)国鉄の総裁が共産主義に加担しないか疑い尋問した」「その後、総裁は暗殺された」と書いてあることが分かりました。これがNHKの特ダネ部分になるのでしょう。

あんこと特ダネが結びついた以上、番組はFが登場する他殺説でしか展開できなくなったということだと思います。
だから、多少、逃げの表現を盛り込みながら、視聴者を「他殺」に誘導するストーリーとならざるを得なかったのです。

この続きは次回です。

※1.情報屋

公安の捜査員などが普段から子飼いにしているネタ元、という限定的な意味の隠語もあるようですが、そうした者も含め、もっと幅広く情報を売っている人といった意味。下山事件は情報屋の影が目立ち、事件像がゆがんでいく要因になっているような気がします。中には、新聞記者が犯罪者を情報屋に仕立てたと疑われる例さえある有り様です。
 

※2.CIC

GHQの対敵諜報部隊。Counter Intelligence Corps。複数回の編成替えに遭いましたが、基本的には参謀第2部(G2)の下部機関。謀略論に出てくる「CIC」は、さらにその下部の「第441CIC支隊」のことです。有名なG2の謀略機関「キャノン機関」は441支隊の一部局として発足した、という資料もあるようです。札幌のCICにも同様のガーゲット機関がありました。「新札幌市史第5巻」などによると、CICは当初、右翼などを含めたあらゆる「敵」の情報収集にあたっていましたが、東西冷戦の激化と占領政策の転換でソ連や「国内左翼」の情報収集が主要な任務となりました。日本各地に分隊(最大時61地区)を広げ、要員は計約千人。他に多くの情報提供者を抱えていました。スパイ・謀略と結びついていますので、組織の実態は不明なところが多いということです。逆に言えば、怪しい記事をもっともらしくするのに「CIC」や「キャノン機関」の名を使うことができるということになります。全くのうそっぱちや空想を書いても、「謎の機関」から抗議を受けることはまずありませんので。
 
プロローグ3につづく)

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