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下山事件にみる歴史のねじ曲げ方 プロローグ1

NHK「下山事件」の違和感

守利一洋と申します。
アマゾンKindleで某事件の真相に迫る小説「昭和の闇・消えた報恩隊」を出版致しております。https://amzn.asia/d/cW86SCH
この度、「昭和の闇」シリーズ第2弾として下山事件(※)を取り上げることにしました。第1弾は小説でしたが、今回は「実録編」です。

2025年は「昭和100年」に当たり、さまざまな面で「昭和」がクローズアップされると思います。昭和の「闇」の部分を書き残しておくことも、その時代を生きた人間の責務と考えております。
しばらくnoteに連載しますので、よろしくお願いします。

下山事件が隠れたブーム?

第2弾を思い立ったのは、2024年初冬に週刊誌で見た書評がきっかけでした。下山事件の書籍が新たに出版されたというのです。著者は新聞記者で、初代国鉄総裁の下山定則氏が何者かに殺されたという、いわゆる「他殺説」の立場で書いているようです。
これにはかなりの衝撃を受けました。事件から75年の歳月がたつ間に、他殺説を支える鑑定や情報はほとんど否定されてきたのに「今になってまた他殺説か」との思いです。

2024年3月には、同様の立場で「NHKスペシャル未解決事件File.10下山事件」が放映されたのも記憶に残っています。その時も同じような思いに打たれました。

犯人が分かったというわけでもないのに、75年も前の事件がなぜ今になってクローズアップされるのか。しかも、(犯人につながる)新事実を発掘したというわけでもなさそうで、下山事件他殺説が「隠れたブーム」のようになったことに戸惑いすら感じます。
「昭和100年」となり、当時をあまり知らない人がノスタルジーのような感覚で「昭和の謎」を回顧し始めたということなのでしょうか。

具体的に断定している情報といえども……

唐突ですが、ここで例え話をします。民事訴訟の準備書面は大概「これはこうだ」とはっきりした表現で(具体的な固有名詞や日時、場所なども盛り込んで)書いてあります。事情を知らない第三者がそれだけを読むと、文字通りに受け取るのが普通だと思います。
しかし、真っ向から主張が対立する相手方の準備書面を併せて読むと、感じ方が大幅に変わってきます。世の中、断定的・具体的に書いてあることでも、事実と照らし合わせて読まないと判断を誤ることになります。

これまで多くの他殺説が世に出され、中には具体的な個人や団体の名を挙げて語られた説があることは承知しています。
ただ、具体的・迫真の内容だからといって「準備書面」と同じような姿勢で接することを忘れてはならないと思います。

他殺説は、「自殺」が正式に発表されなかったという間隙かんげきを突いて(悪い言い方をすれば、状況を利用して)広がってきたものだということは否めないからです。
さらに言えば、多くの他殺説は、当時の新聞記事や、A紙某記者の著作を無条件に引用したうえで成り立っていると言っても過言ではありません。極めて昭和的な(何が昭和的かはおいおい見ていくことになると思います)文章の数々が基になっているのです。
もし、そうした文章が真実を反映したものでなかったのなら、親亀こけたら皆こける状態に陥ってしまいます。

私は昭和、平成、令和と3時代にわたり、30年以上新聞記者を職業としてきました(退職してしばらくがたちます)。
その中で「下山事件は自殺だ」という認識をいつの間にか持つに至りました。
警察筋や先輩記者、内部向けの手記などの情報を頭の中に積み重ねた結果だと思います。少しだけ取材をしたこともあります。

今回、改めて取材に使った資料を引っ張り出し、読み直してみました。
そして「なんだ、やっぱり自殺じゃないか」との思いを一層強くしております。新たに資料を集め、面白いことを書いたものにも出遭いました。

NHK番組に驚くべき手法

まずはプロローグとして「NHKスペシャル未解決事件File.10下山事件」を取り上げます。
NHKの独自取材の部分はもちろんありますが、全編を通して展開されたのは過去の他殺説にのっとった筋書きです。

実は、この番組にもたまらない違和感がありましたので、再放送を録画して自分なりに細かく分析していたところでした。その結果、番組作りにあっと驚くような手法が取られていることが分かりました。公共放送としては、かなり衝撃的なものと言っていいでしょう。
これまで、週刊誌なども含め、どこにも指摘されていませんので、これを機会に発表します。他殺説というものが、どういうものなのか感じていただけると思います。

たまたま他殺説の本を読み、「下山総裁は殺された」と信じて疑わなくなった方は大勢いらっしゃると思います。もちろん、それを否定するつもりはありません。今はいったん、これまで信じたことを横に置き、私の書くことも読んでみてください。

プロローグの後は「目撃者」「現場の血痕」「衣類の付着物」「解剖所見」「GHQ(連合国軍総司令部)の内部文書で分かる事件の構造」などの内容を4章くらいに分けて展開しようと思っています。事の性質上、これまで発表されたことの焼き直しのような部分もありますが、なるべく独自の視点を盛り込んでいきたいと思っているところです。
特に新聞製作に携わった経験から、当時の記事の書き方も分析していきます。市販本を覆すような内容も出てくると思います。

「本当はこうなんだ」と声高に叫ぶつもりはありません。NHKなどをおとしめる趣旨でもありません。情報というものはそんなに簡単には発信できないんだ、というところを感じていただけたら幸いです。

「下山事件を詳しく知らないが興味はある」という方に向けた文体で書いていこうと思っています。

※下山事件

国鉄(今のJR)が公共企業体として発足して1カ月余りの1949(昭和24)年7月5日、初代総裁の下山定則氏(当時49歳)が東京・中央区の日本橋三越本店に入ったまま行方不明となり、翌6日未明に常磐線北千住-綾瀬駅間(足立区)の線路上でれき死体となって発見されました。東大が解剖した結果、総裁の体には「生活反応」(生存中でなければ見られない体の反応。出血や炎症など)がほとんどなく「死後轢断」と発表されたため、警視庁は特別捜査本部を設置して捜査を始めました。現場周辺から挙がった不審人物や自動車の情報はほぼシロとなった一方、総裁らしい人物が徘徊する目撃証言が相次ぎ、捜査本部は自殺と判断して捜査を打ち切りました。新聞が自殺と他殺に分かれて報道したため、「怪事件」などと呼ばれています。これまで複数の警視庁幹部が「自殺」と公言してきましたが、正式発表はなかったため、警察の捜査を離れてさまざまな他殺説が流布されてきました。東京地検は捜査本部とは別に、殺人罪の時効(1964年)が成立するまで細々と捜査を続け、捜査陣の中でも自殺、他殺の対立があったように(主に他殺説で)語られることが多いようです。事件10日後の7月15日に無人電車が暴走した「三鷹事件」、1カ月余り後の8月17日に列車が転覆した「松川事件」と合わせ、「国鉄3大ミステリー」などと呼ぶ向きもあります。

(シリーズ第1弾「昭和の闇 消えた報恩隊」も読んでみてください)
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プロローグ2へつづく)


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