フランツ・カフカの話。
暮れに不幸があり、20年ぶりに年越しを実家(ただし誰もいない)で過ごした。
昔は自分の部屋なんかなくかったので、納屋を勝手に自分の部屋がわりにしていたのだが、久しぶりに入ったら薄暗いし埃っぽいし、よくこんなところで本読んでたなあと思う。
そんなわけで、納屋から発掘したお宝。
カフカ全集。
久しぶりに読みたくて持って帰ってきた。
夫が「なに読んでるの」と聞くので「カフカ」と答えたら「あー村上春樹ね」と言われ、もう少しではっ倒すところだった。
カフカほど好き嫌いが分かれる作家も少ないと思うのだけど、私はカフカの小説に世間一般に言われるほどの暗さや絶望感は感じない。
個人的には、カフカは小説よりも手紙や日記のほうが面白い。といっても、手紙の大半はひたすら「寂しい」「手紙ください」「眠れない」「俺はダメな奴だ」「仕事行きたくない」、、、これって現代人がSNSにグダグダ呟いてるやつと同じじゃないか!といったものばかりなのだけど、その合間合間にたまにグサグサ来るような内省だったり名言だったりが飛び出すから面白い。
しかし、仕事行きたくない行きたくないと言いながら、カフカは結構なエリートで出世もして、そのおかげで徴兵を免れてるし、女は苦手と言いながら恋人には怒涛の手紙攻勢を仕掛け、俺はダメな奴だと言いながらも文章を書くことにかけては誰にも譲らないという矜持を持っていて。
一方で、ユダヤ人でありながらユダヤ人の文化をほとんど知らずに育ち、ユダヤ人への弾圧が日に日に強まる世情の中で自身のアイデンティティを求めて苦悩したり、なによりも唯一の自己実現の手段である「書くこと」を失うことへの強い恐怖があったり。
たぶんカフカは、自分の生き方を誰よりもよくわかっていて、それが親にも世間一般にも受け入れられないこともずっと昔から分かっていて、でも自分がそれを変えられないことも分かっているからこそ、「自分は生きていてもいいのだろうか」という迷いや不安にずっと付き纏われていたのだろう。
それにしても、自分の内面の不安や苦しみをここまで明確に文章化できるってある意味凄いことだと思うし、「書く」という作業によってここまで不安を吐き出せているカフカって、実はストレスマネジメントの達人だったのでは?と思ったりもして。
しかし太宰にしろ芥川にしろ、文豪たちが死んだ後でこっ恥ずかしいラブレターを公開されるのって一体なんの罰ゲームなんでしょうね…カフカなんて未発表の小説ですら焼き捨ててくれと言い残したほどなのに。
「あなたの部屋のタンスになってあなたの寝顔を見てみたい」なんてクソ恥ずかしいラブレターを世界に公開され日には、違う意味でタンスになりたくもなるだろう。
しかし、その手紙や日記のおかげで、カフカはその小説以上に、それを書いたカフカという人物自身に対して強く興味を惹かれるし、だからこそ作品数の割に研究書や解説書がこんなにもたくさん出回って、芝居や小説のネタにもなっているのだろうなあ。
作品ではなくカフカという人物にフィーチャーした芝居で一番印象に残ってるのは、ナイロン100℃のケラさんが自身のユニットで上演した「カフカズ・ディック」。作演のケラさん自ら『カフカの人生をでっち上げたかった』と言ってる通り、かなりの創作も含んでるのだけど、カフカを単なるネクラなペシミストとして描いていないところが良かった。
初っ端、カフカが悪夢にうなされるシーンは、ある意味カフカの無尽蔵な不安の本質をうまく表現してるし、カフカのお墓の前でカフカと女性達が言葉を交わすシーンは美しかった。人形の手紙のエピソードも(やや脚色されていたものの)とても素敵に描かれていた。
そもそもカフカの書く小説自体がすごく演劇的で、この不条理さというかわけわからなさが苦手な人はカフカ自体が無理なんだろうなとは思うけれど、私はそこまでとっ散らかってるとは思わないし、むしろこういう飛躍は個人的には面白い。その一方で、カフカの長編がすべて未完だというのもなんとなく頷けるし、まぁこの人の場合、完成してないほうが面白いのかもなーと思ったりもする。
さぁて、何から読もうかな。
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