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【連載4】大谷翔平や藤井聡太は意外につまらない?

──狩猟採集民の本ばかり読んだおじさんに芽生えた思想 #4
今週は仕事が忙しく週末の更新があぶない。
当ブログ、思いつくまま、あちこち話題が飛びますが、ご容赦ください。


◎河原の少年野球に夢中になって……

ロサンゼルス・ドジャースが地区優勝したそうです。バッティングに専念した今年の大谷翔平選手は、本塁打・盗塁の 50 - 50 という偉業を達成。大リーグ史に残るスーパースターです。

ところで……。

いつだったかな。大谷が大リーグに行き、コロナ自粛が始まる前だから2017年から2019年の間です。たぶん秋でした。当時の私は、週末30km以上のロング走をしていて、その日もたらたら多摩川を走っていたんです。途中、ペットボトルの水を買って小休憩。土手に座って少年野球を眺めました。バッターが打つと、それがどんな平凡なゴロでもフライでも、野球がエラーする確率が高い。反対に、唸るような好プレーも出るので目が離せません。「はは、おもしれえ」と夢中になった私はある重大な事実に気づいてしまいました。

河原の少年野球も、メジャーリーグ同じくらい面白い

待てよ待てよ。おかしくないか。大谷らスター選手は年間何十億円も稼いでいるのです。片や、少年野球は誰も一銭ももらっていません。スピードやパワーやテクニックに雲泥の差があるのはわかっています。メジャーリーグと少年野球の面白さが同じだと感じる私はおかしいのか?

話は換わります。

よく大谷と並んで天才と称賛される藤井聡太。将棋ファンの私は、彼の出現に感激した1人です。2016年、14歳でデビューした藤井は初戦から29連勝を果たします。最年少タイトル記録を更新するなど、先達をしのぐ成績を挙げ、2023年、八冠すべてを制覇しました。

ネットなどの将棋中継は、AI の評価値(どちらがどのくらいリードしているか)や、最善手がすべて表示されるんです。今なおコンピュータが絶対とはいえないのでしょうが、精度はどんどん上がり、どんな難解な手であっても正解と思しき手を示します。観戦者は答えを知っているのです。藤井の将棋を解説するプロ棋士は、ときどき AI の候補手を見て「へえ、そんな手がありますか。人間は絶対に浮かびませんね」と苦笑します。「人間なら絶対にこう指します」といいその先を解説するんですが、やけに藤井が長考します。「もしかしてあの候補手を考えているのかも」「まさか」……果たして藤井が人間らしくない手を指し、みんなが腰を抜かす……そんなシーンに何度も出くわしました。現在、AI にもっとも近い棋士であることは論を俟ちません。藤井将棋は間違えることが少ないので、がっぷり四つに組んでじりじり押し出すことが多い。でもね、そんな相撲より投げの打ち合いや土俵際のうっちゃりのほうが盛り上がりますよね。

ある日、テレビで小学生名人戦を観ました。彼らは私より強いだろうけど、かなり粗いので、10局指せば、私とて全敗はしないんじゃないかな。なにげなくそのまま観戦していると、これがとても面白い! 二転三転、ハラハラドキドキ。息つく間もありません。

私は気づいたのです。「完璧なものって案外つまらないのかもしれない」。ついでに書けば、町のわんぱく相撲も大相撲と同じくらい楽しい。

◎遊びと資本主義

『ホモ・ルーデンス』は、オランダの学者ホイジンガが1938年に書いた一冊。タイトルは、遊ぶ人──人間の本質は遊びである──という意味です。ホイジンガによれば、文化も政治も法律も戦争もすべて遊びから生じたらしい。スポーツに関して、彼はこう書きます。

さて、こういうスポーツの組織化と訓練が絶えまなく強化されてゆくとともに、長いあいだには純粋な遊びの内容がそこから失われてゆくのである。(略)これら職業遊戯者のあり方には、もはや真の遊びの精神はない。そこには自然なもの、気楽な感じが欠けている。(略)
 ところでこの見解は、スポーツを現代文化における最高の遊びの要素であると認める世間一般の輿論とはまさに真向から対立する。しかし断じてスポーツはそういうものではない。むしろ反対に、それは遊びの内容のなかの最高の部分、最善の部分を失っているのである。遊びはあまりにも真面目になりすぎた。(略)この真面目への傾斜ということは、非体育的な遊びにも当てはまるのだが、ことにチェスとかトランプのように、知能的計算がそのすべてである遊びがそうであることは、注目に値する。

『ホモ・ルーデンス』(中公文庫)456ページ

近年、大リーグではホームランになる角度や打球速度が数値化され、投球でも回転数や回転軸が瞬時にわかります。タブレットで確認しながら練習していますし、鍛えるべき筋肉もわかっている。ウサギ跳びはしないのだよ、飛雄馬。一方、将棋界では将棋ソフトを研究に取り入れ、新たな作戦を暗記したり、経験して積み上げてきた感覚が AI とズレていたなら修正しています。彼らが特別な才能の持ち主(藤井は小学生のころからプロ棋士とも対等に競う詰将棋コンテストで優勝していました)であったうえで、不断の努力により自らの人的資本(ヒューマン・キャピタル)を高めたサイボーグ的存在なのです。

ああ、しかし、そんな立派な人たちなのに。完璧に近い人間のプレーが、遊びの域にとどまっている少年野球や小学生名人戦と等価であり、場合によっては後者のほうが見ていて楽しいのだとしたら……。怖いけど、書いてはいけないこと書きます。いいですか、ほんとに書いちゃいますよ。

資本主義の価値観が根底から転倒しちゃうのです。

幸か不幸か、この意見に賛同してくれた人はいません。結果、資本主義はなんとか維持されています。

◎スポーツの起源と狩猟採集民の遊び

社会形態には、バンド、部族、首長制社会、未開国家の順に成立したとエルマン・R・サーヴィスは書いています。(社会進化論に異論はあるので、いろんな政治形態があると書いてもいいのですが)サーヴィスは、スポーツがどの社会で生じたと書いているでしょうか。サーヴィスは首長制社会のひとつとして例に挙げたタヒチ島人でスポーツに触れています。

ちなみに、「首長制社会」とは、「バンド」より大きな「部族」よりさらに成員が多く、生産性が高い社会であり、「首長ないし"貴族"の集団」が「経済、政治、社会、宗教活動を統合」しています。とはいえ、首長は収税したものを独占しません。いったん供出された余剰は、首長は一般平民レベルに再分配還元されるのだそうです。

首長制社会であるポリネシアのタヒチ島人には、戦争があると書かれています。人類学の常識に従えば、豊かな社会では財産を狙って争いが起きます。さらに──

 一種の精神的戦争にも相当するものが、対抗運動競技の実践のなかにみられる。ほとんどすべての競技が、攻撃的に行われ、なかには危険きわまりないものもいくつかある。タヒチでは、ある種のサッカーめいた競技に人気があり、ときに、すべての地方がたがいに対抗しあう。シンニー(ホッケーを簡単にした遊戯)に似た集団スポーツもまた行われる。多くの種類の個人競技があり、レスリング、グローブをつけないボクシング、徒歩競争、そして競泳の順で非常に人気がある。また、タヒチにおいては、アーチェリー試合は、スポーツと神聖な儀式とが奇妙に入り交じっている。(略)
 ほかに人気のある娯楽としては、賭けのともなう闘鶏、多くの種類のこどものゲーム、そして、とりわけ、音楽と舞踏がある。

『民族の世界』(講談社学術文庫)215ページ

スポーツ競技は精神的戦争──。オリンピックでは、冷戦時代もその後も、国家ぐるみでドーピングして選手に好成績を挙げさせ、国力を見せつけようとした国家があります。「国際スポーツイベントは代理戦争ではない」「政治と関係ない」だなんて絵空事。もし国家間の競争ではないといいたいなら、みんな好きなユニフォームを着て、国名を外せばいいだけです。

対して、シンプルな生活をする狩猟採集民に音楽と舞踏はありますが、ひとと競うスポーツはほとんどないらしい。バカ・ピグミーの子どもの遊びを研究した亀井伸孝は、彼らの遊びの特徴として、「「競走性」が乏しい」ことを挙げています。「サッカーなどの外部からもたらされたスポーツ類を除けば、競争的なルールに従って行われるゲームを見ることはない」そうです。クン・ブッシュマンと暮らしたE・M・トーマスは、こう書いています。「少年たちは細長い棒を地面の小山に投げつけ、それがはね返って、向こう側の草地に飛び込むところを見定めるという遊びをした。誰の棒がいちばん遠くまで飛んだかを知りたがる点で、これはブッシュマンの遊びの中で最も競技に近いものといえる」。言い換えれば、あまたある遊びに、勝敗を決める競技はほとんどないのです。

ロジェ・カイヨワは、遊びの要素を「競争」「運」「模倣」「めまい」としています。競技のない狩猟採集民に「競争」はないんじゃか? カイヨワの定義を疑りましたが、亀井氏は、小動物を狩ったり魚を釣って遊ぶバカ・ピグミーの子どもたちは動物と知恵競べをしていると書いています。……なるほど。

金儲けの話に戻りましょう。オリンピックのモットー「より速く、より高く、より強く」は資本主義の精神と同じです。真面目に鍛えて高度な技術を身につけなければならないスポーツ。成長を義務づけられた資本主義……。現代スポーツは純粋な「遊び」から乖離し、興行という金儲け=資本主義と一体化しました。その価値観のなか、弱さなどの人間性を最小限に抑制した最強サイボーグが巨額のカネをもらい、庶民はスターをことほぎます。サイボーグ戦士の裏で、もっと稼いでいる人たちがいることもお忘れなく。

カネを稼いで使わなきゃ世の中まわらないなんて、今の私は考えていません。カネのない狩猟採集社会を知ってしまったからです。彼らの遊びの多くは狩猟や漁撈や採集などの大人の遊びを真似ることであり、人と競うことではありません。

ついさきほど、大谷のレギュラーシーズン最終戦の結果を知りました。年間の通算打率 .310、51本塁打、130打点、59盗塁……。すばらしい成績です。藤井も、本日、王座戦五番勝負第3局を戦っています。王座に挑戦している永瀬拓矢九段、ぜひ一矢むくいてください。

(追記=きのうの将棋は面白かった。終盤、劣勢だった藤井王座が、あやしい手を放って挑戦者を混乱させ、うっちゃったから。ときどき藤井は劣勢になってからこうした逆転勝ちをします。単なる計算機ではなく勝負師でもあるなあ、と感じます。あまり劣勢にならないんですけどね。)

………………
参考文献

亀井『森の小さな〈ハンター〉たち』96ページ

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