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【連載3】分配という生存戦略

──狩猟採集民の本ばかり読んだおじさんに芽生えた思想 #3


◎サン・ブッシュマンの分配

 狩猟採集社会をステレオタイプに語ることには慎重であるべきです。とはいえ、私が読んだ限り、彼らは徹底した分配主義者です。

 日本におけるサン・ブッシュマン研究の草分けである京都大学の田中二郎は、1960年代から何度もカラハリでフィールドワークしています。以下は、1988年に何人かの研究者を連れて、何度目かの訪問をしたときのこと。

 田中氏は、昼ごはんの残りの食パンを、昔からの知り合いであるノアアヤ爺さんに手渡します。老人はしばらく考えたあと、パンを小さく割き、周囲にいた10人ほどの子どもに分け与え、自分の分を食べました。焼畑農耕民トングウェの研究を続けてきた掛谷誠は、やりとりを見て歓声をあげます。
「すごい。立派。これこそ平等主義の極地やな」
 狩猟採集民ヤッホー。掛谷氏が見てきた農耕民にはこうした習慣がないこともわかります。 

 そのとき田中氏とアフリカに行った人類学者・今村薫は、「サンの場合、有能なハンターに尊厳や威信が集まるのを防ぐために次のようなことを行う」と、書いています。

「ハンターは獲物がとれても嬉しそうな素振りも見せずキャンプに帰ってくる。出迎えた人々は、『獲物が小さい』とか『脂がのっていない』などの悪口を(実際とは違っていても)言ってけなす。また、ハンターはたて続けに猟に成功すると、わざと猟に行かずに肉をもらうほうにまわる」

 給料日、お父さんが無表情でポンとテーブルに給料袋を置く。妻は中身を確認し、「薄給だわ。長男のそろばん塾やめさせなきゃ」と嘆く。でも、お母さんは内心「今月もありがとう。本当はうれしいけど、あなたが威張るといけないから、わざとこういうのよ」と考えていて、お父さんも「わかってるわかってる。俺が偉そうにしたら家族に主従関係が生じるからな」ってことかな。おっさん、「給料袋」ってなんだよ。

 年かさのショエカがやがて立ちあがり、女たちを押しのけて獲物に近づくと分配をはじめた。矢を射かけた功労者チュートマは背中の部分を取ることができる。首から背中にかけて走る大きな腱は、糸やさまざまな用途に使われるが、この腱の所有者はつねに射手にあるのだ。ブッシュマンたちにとって肉の部位はさほど問題にならず、脂肪がたくさんついているかどうかが関心事となる。脳みそは珍重されるので、頭部から首にかけての部分が最年長のオレクワに配られる。(略)
 みんなで大声でわめき合い、ののしりあって、少しでも多くの肉をせしめようとするかのように見えるが、じつは悪意はなく、そこには暗黙の了解がなりたっている。最初の大まかな分配で、だれとだれとがどれぐらいの肉をもらうかということは、キャンプ中の者がちゃんと知っているし、次には、最初の分配で得た肉がどのように再分配されるかということも知っている。狩猟隊のメンバーから彼らの家族へ、あるいは身近な親類のものや親しい友人へと、次第に細分化され、ついには居合わせるすべての人びとにいきわたることをちゃんと心得ているのだ。(略)

田中二郎『砂漠の狩人』(中公新書、1978)60ページ

 ブッシュマンには、肉の脂身を気にするらしいけど、みんなが納得する分配なのでしょう。

 ほかに、一例だけ挙げます。1977年から1年間、マレー半島で吹矢猟をする狩猟採集民スマッ・バハロを調査した口蔵幸雄によれば(おそらく氏が一緒に暮らした期間の集計でしょう)、9人のハンターが吹矢で仕留めた獲物は、1人が450kg、4人が130〜150kg、1人が90kg、1人が30kg、1人はゼロでした。全体の40%もの獲物を仕留めたハンターは、キャンプに持ち帰ると集落への分配を妻にまかせ、本人は「そそくさと自分のシア[註・簡易テント]にいって休み、分配にはいっさいかかわらない」んだそうです。

 超クール。

◎本当は独占したくてしかたない

 サン・ブッシュマンに戻りましょう。田中氏は、「平等主義の原則を達成するために、狩猟採集民はじつになみなみならぬ努力を払っている」と書いています。

 たとえば、田中氏や今村氏が知る社会では、射とめたハンターが獲物の所有者ではありません。所有権があり、かつ賞賛されるのは、矢をつくった成員なんのです。矢をつくった当事者からすれば、「ええっ、俺の手柄?」です。では、獲物を持ち帰ったハンターの本心はどんなものでしょうか。

(略)狩りに成功した人は、内心では得意になっているにちがいないのだが、表向きにはけっしてそれを誇示したりすることはない。いばったり、良いものをみせびらかしたりして、他人の妬みを買い、仲間外れにされるのは、この顔見知りの人たちだけで構成される小規模な社会にあっては、とりわけ恐ろしいことである。

『ブッシュマン、永遠に。』62ページ

 釣り好きな飲み屋の店主が魚拓を店内に貼り、「この大物、親父さんが釣ったの。すげえじゃん」と客にいわれて喜びたいのと同じで、獲物をとったら誰だって誇りたい。でもブッシュマンの世界では威張る気持ちを抑えなくてはいけません。「他人の妬みを買い、仲間外れにされ」た挙げ句、ひとりになると楽しく生きていけないから。

 狩猟の能力はみんなが生きるうえで重要です。しかし、人間の価値は狩猟の腕前だけではありません(カロリーでいえば、女性たちがおこなう採集のほうが多いそうです)。歌が上手い、物語が得意、料理が上手い、短距離が速い、持久走が得意、記憶力がいい、間が抜けている。……個性的な人たちと暮らして狩猟や採集に出かけたり遊んだり宴会したりするから面白い。彼らは序列をつくらないように慎重に暮らしています。

 対して現代日本を見てみましょう。「人的資本」だの「生産性」だのと口にする人が多いんです。人間の価値観がひとつだけで、換金可能みたいに語られます。「人材」という言葉もあります。資材、木材、建材、人材……。人間は材料じゃねえ! 国会図書館デジタルで検索したら、「人材」「人的資本」は1990年、2000年あたりから急増します。新自由主義社会のころから使われてはじめた、もしくは増えた言葉です。いつだったか、野党合同ヒアリングで、ある議員が「最近、外国人労働《者》と言わず外国人《材》と言う。なぜか?」と官僚に問うと、「外国人材に統一しろと言われまして……」と言っていたっけ。もう一度書きます。人間は材料じゃないぞ!

 狩猟採集民だって分配の徹底は難しく、軋轢も生みます。

 アメリカ人の作家エリザベス・マーシャル・トーマスは、1950年代、南アフリカの人類学調査に赴きました。彼女は著書『ハームレス・ピープル』で、クン・ブッシュマンのこんなエピソードを書き留めています。

 クウィという男が大怪我をして、町の病院で脚を切断することになりました。彼の妻も同行します。エリザベスは妻をテントに招き入れ、町では胸を隠さなければいけないなどと教え、外で着る服や部屋着を進呈します。クウィの服も用意しました。すべてを終え、夫婦をトラックに乗せて送り出そうとしたところ──

 テントから外に出るや、私たちは、一団になってすわり込んでいる女の群れの真中にいることに気づいた。(略)彼女たちは、私たちがクウィの妻に何をあげているのか知ろうと、テントのすそからのぞき込み、同じものがもらえるだろうかと、あきらかに心配していたのであった。彼女たちは、外に出てきた私たちをぎょろりとにらみすえ、トゥの目は嫉妬に燃えていた。

『ハームレス・ピープル』289ページ

 集落の女性たちは、仲間の怪我を心から同情しつつも、ひとりにしか服を与えなかった行為、すなわち平等に分配をしなかったことを責め、妬み、自分たちにも同じものを寄こせと怒り狂っていたのです。分配は、集団を成立させるためのシステムであると同時に、一種の同調圧力でもあります。

 もともと人間はものを独占したがるものです。狩猟採集民だって例外ではありません。親や年上の子にたしなめられて分配を学ぶのです。

 ピグミー系狩猟採集民バカの子どもを研究した亀井伸孝は、遊びやちょっとした出来事のなかに、分配の指令が出ていたエピソードをいくつか紹介しています。たとえば、釣りから戻ってきて魚を焼いた年少期の少年たちに、年長の少年が「分けろ」と指示し、亀井氏にも魚が分配された話。たとえばまた、3人の少年がイモを焼いていたら、年長者2人がやってきたのであわてて隠れたが、見つかってしまい、みんなで分けた話……など。

◎われわれは分配に何を学ぶべきか

 現代日本は資本主義が暴走しています。新自由主義です。儲けたいやつらが自分たちでルールを決めてさらに儲ける社会といっておきましょう。

 日本では所得の低い人が苦しめられていて、今や、ほとんど五公五民。失われた30年といいますが、その間、国民の可処分所得は減り、格差は拡大しています。潤うのは古参の大企業と、富裕層と、彼らと利権をともにする与党議員です。とくに世襲議員にとって議員は家業ですから、同族の利益の最大化(利権の保持と、次の選挙での当選)ばかり考えています。法人税率は減っているのに、国の税収は最高額らしい。つまり庶民が搾取されているんです。日本では、年収1億円を超えると所得税率は下がります。あなたが年収1億円以上なら現政権を支持すればいいでしょう。

 本来、政治は、大企業や富裕層などカネ持ちに累進課税をして、狩猟採集民のように、足りてない人々に再配分するのが役目なのに。

 約40年前、中曽根康弘政権が国鉄を民営化しました。目的は、社会党の支持母体である国鉄の労働組合を解体することだったと中曽根氏は述懐しています(→質問本文情報)。社会党や労働組合が弱体化することで、経営者がウハウハ笑う世の中が到来しました。小泉純一郎政権は庶民の身を切る改革をして非正規雇用の拡大を認めました。そのとき政権の中心にいた政商が人材派遣会社をつくり、儲けています。平成の大合併では、公立病院の統廃合などで公共サービスが減りました。2011年の東日本大震災における原発事故は自民党と原子力ムラの安全神話が引き起こしたものです。

 民主党政権時代の鳩山由紀夫・菅直人政権を私はみなさんより評価していますが、野田佳彦首相は財務省や企業に屈し、挙げ句、自民党に政権を譲りました。第二次安倍晋三政権以降は、庶民を殺す総仕上げの段階に入っています。奴隷状態の市民は一揆を起こしません。

 狩猟採集民に「なぜみんなで均等に分けるのか」と質問しても、「むかしからそうしてきたから」としかいわないらしい。では、私が勝手に答えを書きましょう。

 一部の人間に富が集中する国は、いずれつぶれるから。あるいは、社会のなかに奴隷をつくるから。間違いない。

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★参考文献

口蔵幸雄『吹矢と精霊』(東京大学出版会)
E・M・トーマス『ハームレス・ピープル』(海鳴社、原著1959)289ページ


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