【連載6】『闇の奥』と『はじめ人間ギャートルズ』と、少しだけ『地獄の黙示録』
──狩猟採集民の本ばかり読んだおじさんに芽生えた思想 #6
書きたいことはたくさんあるんですけど、きちんと本を読みなおしたりすると、なかなか大変で……ちょっと、今回はコラム的に。
◎コンラッド『闇の奥』
人間の本性をホッブズは「悪」とし、ルソーは「善」としました。私は、前回書いたように、人間はもともと身勝手だけど、教育によって利他的・協力的に振る舞うようになると考えています。おそらく、狩猟採集民はそういったシステムのほうが社会を長く維持できると知っているのでしょう。最近流行りの言葉でいえば「レジリエンス」ってやつです。
今回は、コラムっぽく、小説や映画やアニメについて書かせてください。
ジョセフ・コンラッドによる小説『闇の奥』(1902)は、船乗りだった著者の経験を活かして書かれたそうです。私は未開社会に興味があるので読んでみたのです。
作品で、イギリス人マーロウが船乗り仲間に、思い出話をします。
かつてマーロウは、みずから申し出てベルギーの貿易会社からコンゴ自由国に派遣されました。コンゴ川の上流に象牙を大量に送ってくる社員クルツがいて、ゆくゆくは出世すると見こまれています。クルツは誰からも(現地民からも)尊敬されている一方、彼の出世を望まない社員もいました。たいていの人はアフリカにいると病気になるらしく、クルツの病状も悪いらしい。マーロウはクルツのいる奥地に行かなければならないのですが、壊れていた蒸気船を修理する必要があり、足止めを喰らいます。社員や現地民の船員たちとともにマーロウが川を遡りはじめたのは3か月後のことでした。
川を遡行して人類の歴史をたどる着想は、ラテンアメリカ文学の傑作であろう、カルペンティエル『失われた足跡』(原著1953、岩波文庫)にも影響を与えているかもしれません。
クルツの仕事は現地民を襲撃し、象牙を略奪してベルギーに送ることです。黒人を蔑視しないマーロウが、なぜ虐殺者クルツに次第に惹かれ、彼の声を聞きたいと願ったのか、初読時にはただただ不思議でした。川を遡る途中、マーロウが船からある集落の様子を目撃するシーンがキーなのだと、再読してわかりました。集落では、現地民たちが歌い踊っていました。
マーロウは、文明人たる自分にも始原の人間がもつ凶暴性がひそんでいると認識しています。この作品は、人間の本性は悪であり、かつて「万人の万人に対する闘争」をやっていた、とするホッブズの思想を下敷きにしているのだと思いいたりました。奥深い土地に住むクルツの周辺では、理性なき殺し合いが起きているのです。文化芸術に秀で、知的なクルツであっても、太古の森に暮らすと本性を剝き出し、殺戮と収奪をくりかえしています。
以前〈蛮族廃止国際協会〉に提出する目的で書いたクルツ報告書にはこうありました。
一線を越えて人間の悪性を表したクルツに、出会う前からマーロウは魅了されてしまいました。始原の森でなにが起きているのか、マーロウ自身もその地に立つと理性を忘れて人間本来の悪が発現し、「あの最後の一歩を踏み出」すのか……。これ以上はネタバレになるので割愛。
作者自身が植民地支配を是としていたのか否かなどは、意見が分かれるところです。私は、クルツと一緒にいたロシアの青年が、貿易会社に貼られた地図と同じ柄の服を来ていたのがポイントかもしれないと考えています。
* * *
『闇の奥』の翻訳がいろんな版元から出ているのは、フランシス・コッポラ監督『地獄の黙示録』(1979)の原作だからでしょうか。私が中学生のときに公開されて話題になりました。なんだか血腥い気がして敬遠していたんですが、いい機会なので観てみました。
舞台はベトナム。ベトナム戦争に従軍していたアメリカ陸軍カーツ大佐(マーロン・ブランド)は、独自に戦いはじめ、今や、現地民をしたがえた部隊をつくり、神として君臨しています。アメリカ軍はカーツを暗殺せよと主人公ウィラード大尉(マーティン・シーン)に命じます。大尉は数人の部下とともにボートでヌング河を遡上しはじめます。ベトナム人を掃討する狂気の戦争シーン。上流に向かうたび、理性を失う船員たち。正義も悪もわからなくなり、凶暴性は増していき……。特別完全版3時間16分。ぐったり疲れました。公開時に見ないことを選択した中学生の私、グッジョブ。
◎『はじめ人間ギャートルズ』最終回
ホッブズ的な世界を見ましたが、ルソー『人間不平等起源論』を読んで思い出したアニメがあります。
「はじめ人間ギャートルズ」(原作:園山俊二)です。のんびりとした、面白いような退屈なような不思議な味わいでした。1974年10月から翌年3月にかけて放映されたようです。私は9歳。そうじゃ、カープにルーツ監督がやってきたころじゃのう。おっとまた脱線。
石のおカネがでてくるなど、変なところもありますが、原始人というか狩猟採集社会を比較的好意的に描いたアニメかもしれません。全編見直したわけではないので、前の文章はイメージです。
ルソーが思い出させたのは、最終回「やつらの足音が聞こえた!の巻」でした。この回はとても印象的だったのです。Wikipediaによれば、脚本・演出は福富博という方だそうです。
ある日、ギャートルズ平原にブンメーという男がやってきて、土地を自分のものだと主張し、囲いをつくりました。ブンメーはゴリラを使い、土地を耕して種を播きます。ゴンの父ちゃんはブンメーに文句を言います。
父ちゃん「この平原はな、誰のものでもないんだ」
ブンメー「その通り。だから余が最初に名乗りを上げたんだ。今まで誰も自分のものだと言わなかっただけじゃ。今日からは余のものじゃ」
父ちゃん「そんな勝手な……」
ブンメー「それじゃあ、お前の住んでいる家は誰のものじゃ?」
父ちゃん「そりゃあ、わしの……」
ブンメー「誰が決めた?」
父ちゃん「………」
『人間不平等起源論』から、もう一度引用します。
今まさに、はじめ人間たちは「ある広さの土地に囲いを作って、これはわたしのものだと宣言」されたところです。ルソーの説では、「犯罪、戦争、殺戮」につながるドアの前に立たされています。
昼間、ブンメーは畑の真ん中に建てた高い櫓からゴリラを監視。ブンメーが寝ているあいだもゴリラの労働者たちは徹夜で働き、囲いを拡大させていきます。はじめ人間には彼らのやっていることが理解できません。「タガヤス」とか「シューカク」といった言葉の意味ははちんぷんかんぷんです。
夏。ブンメーはゴリラたちに言います。「さあ、者どもよ、暑さがなんだ。見よこの広大な大地を。やがてこの大地に満ちあふれる実りが訪れる。そのとき、そのときこそお前らはより一歩文明に近づくのじゃ。餓えの心配もなくいつまでも豊かに暮らせるのじゃ。ガハハハハ……ただしこのブンメーさまの命ずるまま働けばの話じゃがな。ワハハハハ」
はじめ人間たちは価値観の違う新参者を追い出そうとしましたが、ブンメーに説得され、秋まで手下となって働いてシューカクを待つと決めました。サル酒以上の酒を飲めませてもらえるらしいしね(麦酒?)。
主人公の少年ゴンや、その彼女的存在であるピー子ちゃんは抵抗します。
ゴン「あんなやつの言いなりになるのはイヤだよ。ぼくたちははじめ人間なんだ。(見る限り穀物だらけで)地平線も見えないこんな狭いとこ、ぼくはイヤだ」
ピー子ちゃん「ゴンの言うとおりよ。あんな高いところから見張られて窮屈な生活するなんて、わたしはイヤ」*狩猟採集社会にはない階級が生じていることに注目。
反対するふたりを説得したのは長老でした。「秋を待て」と長老は言います。
小麦が実り、シューカクを翌日に控えた秋の昼下がり、ある重大な事態がが出来します。彼らは「杭を引き抜き、溝を埋め」ることに成功したのか。「果実はみんなのものだし、土地は誰のものでもない。それを忘れたら、お前たちの身の破滅だ」というルソーの警告に耳を傾けたのか……。
『地獄の黙示録』は一度で懲りたけど、『はじめ人間ギャートルズ』の最終回はまた見たい。Amazon Prime Video で110円払って見ようかな。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?