中学生のやる気スイッチ
中学一年の夏だったような気がする
私「プリンセスプリンセスのコンサート行きたい」
母「ダメ」
鹿児島の片田舎の中学一年生が、電車で一時間もかけて、夜に市内のコンサートを観に行くなど、
到底許されもしないもんだ。
しかし、私は、やりたい事は何としてでも実現しないと気がすまない、頑固ちゃんなのだ。昔から。
・何でダメなのか
・ではどうすれば良いのか
これを徹底的に食い下がり、最終的に出た結論は、こうだった。
【テストで一番を取れば許す。しかしお金は出さない。】
私は、中学生でもできるアルバイト「新聞配達」でお金を貯め、テストで学年で一番を取った。
爆風スランプのCDが欲しくて入った、進研ゼミのおかげです。
頑張れたのは、全ては、「プリプリのコンサートに行くため」であった。
そして、生まれて初めて行ったコンサートツアー「Bee-Beep」は、今でも衣装まで全て、記憶に残っている。
小学四年生だった私
金管バンド部でトランペットをやっていた私は、音楽が好きだった。
ポップス音楽は、小さい頃から「ベストテン」とか「トップテン」をいつも観ていた。
日本中が観ていた。よね?
で、友達のお兄ちゃんのCDを借りて、ドハマりしたのが「プリンセスプリンセス」だった。
名曲「Diamonds」「M」の他にも、私のお気に入りは「ティンカーベル」。
クラスのお楽しみ会で、誰も知らないアルバムの中の曲を、一人でみんなの前で歌うなんてのを、平気でやってのける空気の読めない子供なんだよ、昔から。
その後、CD返してって怒られるまで、ずっと借りていた私は、次のアルバムから自分で手に入れるようになった。
奥居香さんの歌声と、歌詞やメロディーや全てが大好き過ぎて、レンタルでカセットテープに録音するのは、イヤだった。
歌詞カードから帯まで、全て宝物にしていた。
文字通り「穴が空くほど眺めた」小学生の私。
歌はもちろん今でもシャウト部分まで完コピで全曲歌える。
17歳の私を後押ししたもの
時は流れて、「音楽をやりたい」という理由で上京した私。
「1年で結果を出しなさい」という両親の制約の元、不思議な事に、ギリギリのタイムリミットでえる一年後に、作曲家の金田一郎さんと知り合った。
千葉のフリーマーケットの会場で、歌っていたところを金田さんの奥さんが見つけてくれたんです。
「どんな歌手になりたいの?」
そう言われた私は、すぐに返事ができた。
「プリンセスプリンセスの奥居香さんみたいになりたいです。」
私の世代だと、「安室奈美恵」や「華原朋美」になりたいっていう子が圧倒的大多数。
そんな時代に、「奥居香」って答えた私に見所があると思ったのだと、金田さんは言ってくれた。
2019年8月10日。渡辺敦子さんとお会いした。
時は流れて、2000年のメジャーデビュー後、活動休止していた私は、再起をかけて、芸能界に18年ぶりに復帰して、昨年CDを出し、今年40歳になります。
長い長い年月をかけて、たどり着いた場所は、元々の原点だったのだと思う。
映画を作るために復帰したものの、まずは私の知名度から、という事で出したCD「タイム・マシーン」は、私をきちんと音楽業界でプロとして認められた過去を、後押ししてくれている。
1999年、2000年に出したwOne(ワン)のサウンドプロデューサーの平井光一さんの事を、プリプリのベースの渡辺敦子さんはご存知だったし、
当時、平井さんに昔のプリプリの話を聞いて、心を踊らせていた19歳の私。
※平井光一さんはプリプリやNOKKOのアドバイザーだったのだ。
そんな私が、本物のプリンセスプリンセスのベーシストの渡辺敦子さんと、ごくごく近い距離で、家族を連れてお会いできる機会を頂けたのです。
もう、泣くしかない。泣きながら笑うしかない。
子供のやる気スイッチ
本当に、ただ、好きなものの為に頑張る。
これに尽きるのだと思った。
私は未だに岸谷(奥居)香さんの歌が好きで、マネが抜けないし、プリンセスプリンセスが大好きなんだ。
そのおかげで、
・勉強頑張る
・働いてお金稼ぐ
中学生で、どちらもやれた。
だからね、世の中のご両親の皆さま。
【子供の好きなものに対する気持ち】
これを、ぜひ、やる気スイッチに変換させてはどうでしょう?
ご褒美って、結構、大事だよ♪
だって、私、その後、しょっちゅう学年でテストは一番だったし、毎年、欲しいもの手にいれてたもの。
CDコンポとか、シンセサイザーとかだったから、高校、通信制になっちゃったけどね。ハハハ。
生きていければ、それで良いでしょう?✨