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『米「通信品位法230条」判決でweb3型SNSはクリエイター所有型メディアになる』~【新しいweb3ビジネスのアイディアのタネ】2023.2.25

■ネット企業が恐れる米注目裁判でウィキペディアが窮地に?

米国のネット企業の成長を支えてきた米「通信品位法230条」に関わる重大な判決が間もなく下される予定だ。一部の専門家はウィキペディアやレディットなどのコミュニティが窮地に追い込まれる可能性を危惧している。

「Web2.0」という言葉がバズワードとして登場した2005年。

ウィキペディアに代表される「集合知」やUGC(User Generated Contents)/UGM(User Generated Media)という、ユーザーが大勢集まり皆でコンテンツを投稿・編集することがWeb2.0の革命だと捉えられた時代です。

Web2.0は情報発信の民主化を促しました。新聞やテレビなど大手権威の情報よりTwitterやYouTubeなど民衆が皆で投稿して伝播する情報の方が頼られるようになり、SNSプラットフォームが台頭し今日に至ります。


上記の記事はこれらWeb2.0で台頭したプラットフォーマーの優位性が覆るかもしれない裁判の判決が間もなく下され、もしかするとプラットフォーマーに大きな影響を与える内容になるかもしれない、ということを伝えています。

「ゴンザレス対グーグル」訴訟が2月下旬、米連邦最高裁判所で審理される予定だ(日本版注:ユーチューブのアルゴリズムがISISの動画を推奨したのは違法だとして、テロの犠牲者遺族がグーグルを訴えた裁判)。通信品位法230条が最高裁で裁かれるという画期的な訴訟で、メタ、グーグル、ツイッター、ユーチューブといった大手テック企業への影響が大きな注目を浴びている。


米「通信品位法230条」とは

ところで、通信品位法230条は、具体的にどんなことを定めているのか。新聞記事を見ると、「企業が投稿内容に手を加えたり、逆に放置したりしても法的責任を原則負わない(日経新聞「ネット表現の自由漂流、SNS3社トップ、公聴会で証言」2020年10月30日)」と説明されている。実は、この「原則責任を負わない」というのは、相当に強力である。

・プラットフォーマーがコンテンツに手を加えたり削除するなどの権限を有している
・違法なコンテンツが書き込まれた場合は削除義務が生じるが、「発見次第」で構わない(つまりコンテンツ自体の責任をプラットフォーマーは一定の条件の下で回避できる)

と、プラットフォーマー優位の解釈がなされてきました。

今回の訴訟では、この米「通信品位法230条」の解釈変更が行われるかもしれないという危惧が伝えられています。


コンテンツのモデレーションに責任を負わせる解釈か

今回の訴訟は、さまざまな結果が予測される。230条が廃止または再解釈される場合、テック企業はコンテンツ・モデレーションの方法を変更し、プラットフォームのアーキテクチャを全面的に見直すことを余儀なくされる可能性がある。

米「通信品位法230条」の解釈変更が行われる可能性は真逆の2方向があります。

プラットフォーマーが違法・不適切なコンテンツを露出しないように管理監督責任を強く負わせる方向

と、

投稿者の表現の自由を強く保護し、プラットフォーマーが投稿内容を触れなくなる方向

の2方面です。米国では民主党が前者の立場、共和党が後者の立場を主張して対立していました。

今回の判決で予想されているのはこのどちらでもありません。

従来は「いずれにせよプラットフォーマーに責任はない」という解釈だったのが、「コンテンツをプラットフォーマーが触ったら、その責任はプラットフォーマーにある」と変更される可能性があるとしています。

具体的には「ユーチューブのアルゴリズムがISISの動画を推奨したのは違法」とする方向、つまりコンテンツを編集・削除、レコメンドなどモデレーション行為をする際にプラットフォーマーは法的責任を問われる、というものです。

訴訟の結果次第では、サイトの個々のユーザーが突如としてごく普通のコンテンツに対するモデレーションの法的責任を問われるかもしれないことだ。

編集や削除を禁止するものではなく、またコンテンツをパトロールする義務を課すものでもありません。

レコメンドエンジンを用いて誰に何のコンテンツを見せるかを最適化しているSNSプラットフォームは今回の訴訟対象のYouTube(Google)をはじめ、TikTokやFacebook、Twitterなど多くあり、Web2.0で台頭したSNS、UGMサイトの多くが影響を受けると考えられます。


分断が進む可能性

クリエイターにとってもコンテンツがより多くの人に伝わることを望みますし、閲覧者もレコメンドを有難いと感じている人も多くいます。

今回の訴訟でも、レコメンドされた側が不快だと思ったからプラットフォーマーの責任を問うたわけです。つまり閲覧者が不快に思わず、クリエイターが望むように多くの人に見てもらえる状況ならプラットフォーマーに責任を問う人が発生しません。

とすると、より不快に思わないコンテンツだけが自分に届くような、テーマや思想性がより明確な同質化が進む可能性があります。

プラットフォーマーにレコメンドの結果責任を負わせるという判決なら、不快だと思わない人にだけレコメンドすることが強化されるのは必然です。

その結果、もともとの思想をより強化するエコーチェンバー現象が加速し分断が進む可能性があると考えられます。


web3型SNSではクリエイターがメディアを所有し責任を負う

web3の思想性では「プラットフォーマーによる中央集権的支配からコンテンツ投稿者=クリエイターを自律分散させる」という立場を取る主張が多く、web3型SNSと称する場合は如何なるコンテンツやアカウントもプラットフォーマーに削除されない設計です。

しかしレコメンドや近い内容をグルーピングするなどのプラットフォーマーによるモデレーションについてはあまり言及がありません。

しかしレコメンド以外の編集や削除などのモデレーションについてもプラットフォーマーの責任が今後問われるとなると、今後新たに生まれるweb3型SNSはコンテンツクリエイターが個々に自律分散型メディアを所有し、モデレーションなどメディアとしての責任をクリエイター自身が負う「個人ブログ」のような形式が増えるのかもしれません。

ここnoteもブログサービスですが、noteというプラットフォーム上にあり、noteの規約によって一定の管理がなされます。TwitterやFacebook、Instagramなども同様です。

web3型SNSではwordpressやDiscord、Mastodonのように機能提供だけを行うプラットフォーム形式になり、メディア自体はクリエイターが所有する形式となることが、今回の判決結果次第では一層加速されるかもしれません。

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