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ハウスワイフはライター志望(1) ほんとは、この暮らしを悔いていた?

「結婚して、子供を育てて、義父母と仲良く。それが私の人生……」
出版界で活躍し、キャリアを積み重ねてきたもり塾塾長 ・森恵子も、最初は「良い嫁」を目指す専業主婦でした。
「でも、やっぱりあきらめられない。書く仕事がしたい!」
熱い思いひとつを胸に抱えてライターの階段を駆け上がった森恵子の奮闘記
「ハウスワイフはライター志望」(社会思想社 1992年)をここに一部編集して連載します。


とにかく2時間、大人の話を聞くことができる!

雨あがりの道をベビーカーを押して歩いた。
「シン君、よかったね。公民館の保育室にはお友だちがいっぱいいるしー」
私は息子にそう呼びかける。
初めての講座にウキウキしているのは私だった。

とにかく2時間、子どもと離れられる。
そして大人の話を聞ける!

それが何よりうれしいと大手を振って言うのがはばかられ、私は息子に向かって「よかったね」などと呼びかけるのだった。

小さい子どもを持つ社宅暮らしの専業主婦生活が息苦しかった私は、シンが1歳半になる1983年の夏、「公民館だより」に目を止めた。

<若い母親のための教室>
子育てのことなど話しあってみませんか
毎週水曜日 10~12時
半年間の講座です
保育がついています

そして私はシンを初めて保育室に預け、公民館の一室に座っていた。「若い母親のための教室」という講座が始まるのを待っていた。

公民館職員と講師、ふたりの女性が部屋に入ってきた。フリーライターという肩書きを持つ講師は、華やかな雰囲気ときりっとした表情を持っていた。

講座の最初の時間は自己紹介にあてられた。講師と職員の打ちとけた自己紹介が受講生に感染し、17人それぞれが心の内を話し始めた。

順番がまわってきた。

私はつっかえ、つっかえ、話し始める。

「あの、結婚と同時に東京に来て3年になります。3人家族で、社宅に住んでいます。和歌山県出身です。……あの、2時間ほど離れたところに、夫の両親がいるんですけど……それで、あの、私は『よい嫁』を務めていると思いますけど……すごく、なんだか、息ぐるしさを感じています。
それから、結婚前は大阪で4年間、中学校の国語の教師をしていました。ずっと日舞のお稽古もしていましたが、結婚で続けられませんでした」

鼻の奥が熱くなり始めた。
私はいっきにしゃべろうとする。

「見合い結婚で、仕事を捨て、家を捨て、日舞を捨てて、こちらに来ました。私は結婚を境に生活の場所も何もかも変わったのに、主人は仕事も親との関係も何ひとつ変わらない生活をしています。結婚でどうして女だけが、夫の都合に合わせた生活をしなければならないのかと思い続けてきました。でも子どもが生まれて、あきらめに変わりそうなのでこの講座に参加しました」

ああ、こんなにもまだ私は話せる。
私はまだこんなにも自分の心を持っている。
そしてうなずいて聞いてくれる人たちがいる。

愛する夫と子供 —— 夢見た暮らしのはずなのに

3年前、私は見合い結婚をしていた。
この人についていこう。この人にかけよう。
この人を愛し続けよう。
私の見合い結婚は無能な自分を捨てる決意結婚だった。

夫は私より高い収入と高い学歴と高い背を持っていた。エリートの臭みがとても少ない男だった。

結婚すると、私は夫に夢中になった。

1年半が過ぎ、子どもが生まれた。シンと名づけた。

子どもを生んだ私は、育児を楽しめなかった。シンは2300g で生まれ、お乳を飲まず、私より退院が2週間ほど遅れた。

育児に母親としての心配がつきまとった。

2時間ほど離れたところに住む夫の両親の目が、初孫とその養育係である私に向けられ、私は養育係の責任感でいっぱいだった。

ある夜、私はシンを膝に抱き、夫の帰りを待っていた。

TVニュースを消して、もう1時間近くなる。
「おとうさん、遅いわね」
赤ン坊のシンが、私の言葉に答えるはずもない。
食卓の上には、温めなおすばかりになった夕食があった。

そのとき、私の視線の先に青い地球が見えた。私とシンを置いて、部屋の向こうで地球が回っていた。

さっきTVでコンピューター・グラフィックスの地球なんかを見たせい。そう思いながら、夫だけがその地球の上で生き、私とシンがまっ暗な空間に漂っているのが見えたような気がした。

そんな母と子が世の中に何万組もいるだろうに、漂っているのは私とシンだけだった。

シンをベビーカーに乗せて公園に行く。
顔見知りになった母親と話をする。
お天気と子どもの話ばかり。

私のまわりにはもやがかかる。
近くにいる彼女も公園の景色も、
ぼんやりとしか見えない。

私はもやに包まれたまま、シンが遊ぶのを見、シンをベビーカーに乗せて連れ帰る。

そのもやがいつ、どこで始まったのか
私にはわからない。
ときおり私がもやに包まれたりするのを
誰にも気づかれないようにだけ、私は心を配った。

主婦たちの午後

10軒だけが並ぶ社宅で、私は陽気な主婦をしていた。私だって、社宅に住む彼女たちだって、明るく陽気だ。
それに揃っておかしいほどにプライドが高い。

午後のお茶の時間に繰り返されるのは、「うちの主人」の出身校や「うちの主人」の有能ぶり、「うちの主人」の食べ物の好み。

私もそれに加わる。明るく陽気に、プライド高く。

コーヒーカップが何度も空になった後、
それぞれがそれぞれの巣に戻る。
ひとりになった私には後悔だけがある。

駆け落ちでもなく、恋愛でもなく、条件が整う「見合い」という形の結婚を選んだのは、今日のこの日のためだったのね、と皮肉な顔をする私がいる。

平日の午後も「主人」のかげろうが、ゆらゆらと立ちのぼる「社宅」。
夫たちがかげろうなら、
私たち「妻」はいったい何なのだろう。
そう、ぼんやり思う私がいる。

ある日、またお茶の誘いがかかる。
私はシンを抱いて出かける。
ひとりが言う。

「うちは転勤が多くて、嫌になるわ。そのたびにグランドピアノを持ち歩かなきゃならないのよ。場所塞ぎだけど、グランドピアノとアップライトじゃ音が違うから、しかたないんだけど」

向かいの人の眉がきゅっと上がる。向かい側の彼女がグランドピアノの彼女に向かって言う。

「奥さんは、何台めのピアノ?私はもうこれで3台めなの。独身時代に1台、おばあちゃまの家に1台、こちらに1台。ほんとにピアノを教えるのも大変」
ピアノ教師をしている3台めのアップライトピアノの彼女は、高らかにそう言い放つ。

夕暮れ、グランドピアノの彼女がアレグロの曲をたたきつけるように弾いているのが聞こえる。

小さな子どもがいるうえに、転勤の多い夫を持つ彼女は、ピアノを教えることができない。そして、この社宅暮らし。
アレグロの曲は、彼女のそんなあせりと苛立ちを私の耳に運んだ。

彼女のピアノは、夫を除いてかすかに残った「彼女自身」。そんな「自分自身」のあかしを認められたくて、認めさせたくて、彼女は大事なピアノのことを言う。
今の暮らしの中で、ピアノを弾く人として誰かに認められなければ、ピアノ教師としての彼女は存在しないのと同じ。
ピアノ教師でない彼女の姿をいちばん認めたくないのは、彼女自身。だから「ピアノ」を口にする。

たちまちそれは「見栄」になる。
「見栄」にしかならない。
それが専業主婦の暮らし?

選択はもう終わったのだから

彼女のピアノには、また将来もあるけれど、私の日舞にはこれから先がない。それに日舞は彼女たちのピアノと同じ重要さでもない。特技ではあっても職業にはなりえない。その程度のお稽古事。

結婚とひきかえに日舞をあきらめたのは私自身。
それなのにときおり、私の口も「日舞が」と動く。そんな夕暮れも、私は踊ったりしない。
シンを抱いて、庭の景色をぼんやり眺めて過ごす。

私はこれから先も専業主婦として暮らす。夫とこの子の身のまわりと食事の世話をして暮らす。

私自身の選択は、もう終わったのだから。

教師社会の中で「物言う口」を持てない自分に愛想をつかしたのだから。
私は結婚という形で「社会」から逃げたのだから。    (続く)

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