もり塾/ライター養成
「結婚して、子供を育てて、義父母と仲良く。それが私の人生……」 出版界で活躍し、キャリアを積み重ねてきたもり塾・塾長 森恵子も、最初は「良い嫁」を目指す専業主婦でした。 「でも、やっぱりあきらめられない。書く仕事がしたい!」 熱い思いひとつを胸に抱えてライターの階段を駆け上がった森恵子の奮闘記 「ハイスワイフはライター志望」(社会思想社 1992年)をここに一部編集して連載します。
「書くことを仕事にしたい!」とライター講座を受講する人は多いけれど、そこから仕事に繋いだ人はどれくらい? そこは「ライター」と「受講生」を隔てる「死の谷」。そこをなんとか乗り越えようと、もがくノムラの本音の体験談。応援してください!
2021年4月に開講した「もり塾・ブックライター・編集ライター養成コース」の1期生野村紀美子の体験記。なぜもり塾に入ったのか、そして何を学んだのか。これを読むことで、ライターとして成長するために必要なことが見えてきます。
ライターになりたい!」 熱い思いひとつを胸に抱えてライターの階段を駆け上がったもり塾塾長・森恵子の再就職奮闘記「ハウスワイフはライター志望」(社会思想社 1992年)を一部編集した連載、今回は第21回。 自己啓発本で「失敗した!」と思っていたけど、今度はさらに面白そうな仕事が! しかも取材で初めての一泊出張。心は踊るけれど、子どもたちの世話、どうする?? 今度の仕事は「国際化の中の日本の産業」求人広告先のプロダクションの社長もそろそろ、「自己啓発」の原稿で私をお見限りになる
SNSは、利用者間のコミュニケーション機能に加え、最近では会社や組織の広報としての利用も増加傾向にあるといいます。フリーランスで活動する個人にとっても、資金をかけずに仕事を得る方法の一つとして利用することができます。しかし、良い面ばかりとは限りません。それをどう克服し解決していくかが私にとって大きな課題でした。 広報ツールとわかっていても、怖いと思い込んでいたSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)をなんの抵抗もなく使いこなしている人も多いでしょう。 私は数年前ま
ライターになりたい!」 熱い思いひとつを胸に抱えてライターの階段を駆け上がったもり塾塾長・森恵子の再就職奮闘記「ハウスワイフはライター志望」(社会思想社 1992年)を一部編集した連載、今回は第20回。 ライターとして、もっともっとキャリアアップしたい! でも、私は妻で、主婦で、母親で。私は時おり苦しくなる。そして頑張った仕事は……。 新しいジャンルの仕事! ヤルゾ! だけど……7月が近づいたころ、求人広告先のプロダクション社長から、また連絡が入った。 来年度用新人ビ
「ライターになりたい!」 熱い思いひとつを胸に抱えてライターの階段を駆け上がったもり塾塾長・森恵子の再就職奮闘記「ハウスワイフはライター志望」(社会思想社 1992年)を一部編集した連載、今回は第19回。 ライターとして、もっともっとキャリアアップしたい! でも、キャリアアップを目指す夫もサポートしたい。そして、幼い二人の子どもと過ごす時間も、大切……。 シンとユミと友人たちと4月末から同じ団地に住むショウ君のおかあさんがインテリア・コーディネーターの資格を取るために専門学
ライターは、知人やクライアントから次の仕事や別のクライアント先を紹介してもらい、交流を広げ繋がりも強化していく。そんな人脈作りも仕事を拡充していくために重要な要素の一つです。 今回、多くの人が集まる出版パーティーに参加する機会を得ました。 旧交をあたためる機会は、繋がりの再確認ライターの仕事を得るために、自分の交友関係に積極的に告知し、紹介を依頼していく方法があります。学生時代からの知人や友人、職場関係、趣味や習い事、ママ友など自分が所属しているコミュテイが多ければそれだけ
「ライターになりたい!」 熱い思いひとつを胸に抱えてライターの階段を駆け上がったもり塾塾長・森恵子の再就職奮闘記「ハウスワイフはライター志望」(社会思想社 1992年)を一部編集した連載、今回は第18回。 ミニコミ誌がらみの小料理店の取材、きものレンタルブティックの取材……。仕事だから、時には嫌な思いをすることも。でもそのひとつひとつの経験が、ライターとしての実力になるのです。 勝手に書きゃ、いいだろ4月末から仕事が沢山やってきた。でもそういった仕事とは別に、私はミニコミ紙
何かを始めようと思っても、「いつか」、「時が熟したら」、「もうちょっと上達して自信がついたら」など、できない理由を並べては先延ばししてしまうことがあります。 期限のないことは先延ばししているうちに、時にはやらなくてはならないということさえ忘れてしまうことも……。 仕事を得るために。 方法ではなく行動もり塾で用意されていた、『仕事を見つけるノウハウ』の講義の中で、 「仕事を見つけるための行動を30個書き出す。 その中に、 ・仕事を受注するには? ・一度受けた仕事を再受注するた
「ライターになりたい!」 熱い思いひとつを胸に抱えてライターの階段を駆け上がったもり塾塾長・森恵子の再就職奮闘記「ハウスワイフはライター志望」(社会思想社 1992年)を一部編集した連載、今回は第17回。 あこがれのきもの雑誌の編集長と対等に語り合う楽しいひととき。仕事によって少しずつキャリアを積み重ねてきたことを実感します。 仕事が、経験がキャリアになる新聞社のビルに驚いた私には、今日の出版社のロビーがとても小さく感じられた。受付で編集長の名を告げて、ロビーのソファで待つ
「ライターになりたい!」 熱い思いひとつを胸に抱えてライターの階段を駆け上がったもり塾塾長・森恵子の再就職奮闘記「ハウスワイフはライター志望」(社会思想社 1992年)を一部編集して連載します。 今回は第16回。地域の仕事で失敗の傷を癒し、子供を保育園に預けて、やっと、やっと、ライターとして飛び立てる! いざ、あこがれの編集部へ!! 私、求人広告、だ~い好き!4月12日。ユミの慣らし保育も済んだ。 団地の友人にシンの放課後を頼み、都心行きの電車に乗る。 「PR誌以外の仕事
「ライターになりたい!」 熱い思いひとつを胸に抱えてライターの階段を駆け上がったもり塾塾長・森恵子の再就職奮闘記「ハウスワイフはライター志望」(社会思想社 1992年)を一部編集して連載しています。 今回は第15回。子供を保育園に預けて、やっと、やっと、ライターとして飛び立てる! その矢先に、夫が言い出したのは……。 やさしい妻の顔をする1988年、4月1日。ユミの保育園入園式。 4月6日。シンの小学校入学式。 この日をどんなに待ったことか。子どもたちはそれぞれの集団の中
ライターは、ライティング技術だけでなく関連するスキルを強化すると、再依頼や紹介が増え仕事を拡充できる可能性が高まります。なかでも企画を提案するのは、著者になるチャンスというだけでなく、効果的なアピール材料になります。 採用される企画書とはライターは依頼を受けて仕事をすることが多いものですが、出版社などに自分で企画を持ち込んで応募する場合もあります。 『もり塾』では仕事を得る可能性を高めるために、「企画書の書き方」という講義がありました。 講師の方は、「本を出版したい人」
「ライターになりたい!」 熱い思いひとつを胸に抱えてライターの階段を駆け上がったもり塾塾長・森恵子の再就職奮闘記「ハウスワイフはライター志望」(社会思想社 1992年)を一部編集して連載します。 今回は第14回。失敗によって自信を失い、卑屈な思いに苛まれる日々。でも、このままじゃイヤ! なんとかして本当の自分を取り戻そう……恵子は一歩ずつ前に進みます。 ミニコミ紙をなんとかしたい!前年秋から友人の紹介で、市内に無料配布するミニコミ紙を手伝っていた。 発行責任者は、前年の市
もり塾を歩き切った後も続く、ライター修業の旅。「もり塾ブックライター・編集ライター養成コース」第1期を修了したノムラが、バリバリ稼げるライターを目指し、歩み続ける様子を綴ります。 「ライター」は技術を学んだからと言って、すぐに仕事を得られるとは限りません。自分で求人に応募したり、PR活動を行ったりして仕事をつかんでいく事が多いのです。私は、卒業後どのように書く仕事をしていくのか、具体的な見通しが立っていませんでした。 ポートフォリオは、ライターの履歴書もり塾ではフリーラン
「ライターになりたい!」 熱い思いひとつを胸に抱えてライターの階段を駆け上がったもり塾塾長・森恵子の再就職奮闘記「ハウスワイフはライター志望」(社会思想社 1992年)を一部編集して連載します。 今回は第13回。編集者の放った「こんな失敗をした人はいない」の言葉が頭から離れない。すっかり萎縮してしまった恵子は、次の仕事を最後に雑誌社を辞めると決意して……。 あと半年続けてから決めることね七五三が終わった。 この雑誌の最後の仕事がまた始まる。 「気合い、いれなきゃ」って言い
「ライターになりたい!」 熱い思いひとつを胸に抱えてライターの階段を駆け上がったもり塾塾長・森恵子の再就職奮闘記「ハウスワイフはライター志望」(社会思想社 1992年)を一部編集して連載します。 今回は第12回。子育てしながらのライター業は綱渡りの日々。取材の前日、子供が熱を出した! 仕事か、育児か。葛藤と焦りが、思わぬトラブルを引き起こしてしまいます。 録音が……聞こえない!ふたつめの取材の前の日、シンは熱を出した。 今まで一度も、取材の日とシンの病気が重なったことはな
「ライターになりたい!」 熱い思いひとつを胸に抱えてライターの階段を駆け上がったもり塾塾長・森恵子の再就職奮闘記「ハウスワイフはライター志望」(社会思想社 1992年)を一部編集して連載します。 今回は第11回。ついにやってきた雑誌社からのオファー! 編集者と組んで雑誌記事を担当することになりますが、難題が次々と降りかかります。 ついに雑誌社のライターに!10月初めのある夜、女性の声で電話があった。その声は雑誌社の名を告げ、雑誌名を告げた。 とうとう、やってきた! 前年