ハウスワイフはライター志望(20)「妻で母でライターで……」
ライターになりたい!」
熱い思いひとつを胸に抱えてライターの階段を駆け上がったもり塾塾長・森恵子の再就職奮闘記「ハウスワイフはライター志望」(社会思想社 1992年)を一部編集した連載、今回は第20回。
ライターとして、もっともっとキャリアアップしたい! でも、私は妻で、主婦で、母親で。私は時おり苦しくなる。そして頑張った仕事は……。
新しいジャンルの仕事! ヤルゾ! だけど……
7月が近づいたころ、求人広告先のプロダクション社長から、また連絡が入った。
来年度用新人ビジネスマン向けの事典を大手出版社から請け負った。
ついては打ち合わせをしたい、と。
「どちらにしますか」
500ページ近い新人ビジネスマンのための事典の中で、
私に選択権があるのは「5章 健康管理法」と「8章 自己啓発の方法」。
私はためらわず「自己啓発」を選ぶ。
原稿書きをしながら、自己啓発の方法が身につくなんて一石二鳥。
それに私だって、「業界誌ライター」や「主婦ライター」や「ママさんライター」から抜け出して、「フツーのライター」になってみたい。
ウン、ヤルゾ!
私の決心が整ったと見て社長。
「毎年この種の本を出しているらしいんですが、来年は全面改訂をしたいというんです。それで今年の本はいっさいお見せできません」
事典なんて初めてというライターになんと無謀な言葉!
社長はさらに続ける。
「さっそくなんですが、自己啓発の章を15項目くらいに分けて、それぞれに小タイトルをつけて、1週間後にお願いします」
彼は1週間もあると匂わせ、私は1週間しかないと不安がる。
大きな声では言えないが、1週間のうちこの仕事のために費やせる時間はとても少ない。ミニコミ紙に2日、生協班会議、息子と娘のクラス懇談会がそれぞれ1回ずつ。ぜひ聞きたい講演会もある。
私はライターだけど……
私はライターだけど、子どもたちの母親で、近所づきあいも大事にしたい主婦で、自分の生き方や子育てについて考えてみたい女で——。
慣れないジャンルで50ページを任されることになった不安で、夫の一方的宣言に始まった「妻の取材日だけの子育て協力」にむかっ腹が立つ。
「わが家における性別役割分担」の緊急見直しを夫に迫る。
あのとき、このとき、胸におさめた言葉が口をついて出る。
夫はムッとする。
「だからいつも、言ってるじゃないか。もう少し君の身辺を整理したらって」
「身辺を整理して、子どもたちの初めての懇談会に行かなくてもいいのね」
「そんなこと、言ってないだろ。ぼくだって代われるものなら代わって行きたいけど、勤務中の時間なんだからしかたないじゃないか。
それより、土曜の講演会に行くのをやめたら」
私がなぜこの講演会に固執するのか、今子どもたちの前で、その理由を縷々述べることはできないけれど、私は子育てが時おりとても苦しくなる。
だから講演会に行きたい。
私の口調が変わる。
「青木悦さん、知ってるでしょう。
横浜浮浪者襲撃事件を母親の立場からルボした人。
このあいだ、幼稚園にも講演に来ていただいた人」
「このあいだ来ていただいたから、顔を出したほうがいいってこともあるわけだ」
それが男の顔のたて方なのねと皮肉を言わず、
あなた私から何度青木さんの名前を聞いたのっ、と詰め寄らず、
「うん、まあ、そういうこともあって」とごまかしてしまった。
「そんなにほかのこともしたいのなら、仕事をやめれば」
とだけは夫は言わない。かわりに
「土曜の講演会の午後は、資料探しをすればいい。
ぼくは子どもたちと動物園へ出かけるから」
土曜日、友人と公民館の講演会に連れ立って出かけた。
私たちの発言回数は多かった。
しゃべりすぎた私たちは責任を取る気持ちもあり、
ふたりで記録を担当することにした。
また、ひとつ仕事が増えた。
だけど、記録を作ることで、もう一度しっかりと考えてみたかった。
講師の言葉を反芻したかった。
「私の知り合いが、あるとき『私は子育てに失敗した』って言うんです。だけど、子育てに失敗はないと私は思います。間違っていたと思えば、やり直せばいいんです。子どもが何歳だから、もうやり直しがきかない。そんなことはありません。いつからだって、遅すぎるということはないのですから」
「後悔のない子育てをなさい」と言われ、ともすれば硬直する私の子育てに沁みわたる言葉を聞いた講演会だった。
一緒に講座に出かけた友人と、午後も話していたかった。ふたりは講座の後、いつもどちらからともなく誘いあい、話しあうことが多かった。でも午後、私たちにはそれぞれ用があった。私は図書館と書店に出かけなければならない——。
出来のいいマニュアル書を作るには?
図書館にも書店にも新人ビジネスマン用事典の類は見当らなかった。
こういう本は雑誌と同じで「旬」があること。
五月病も峠を越したこの時期、今年度版はもう出版社にひきあげられていること。住宅街の図書館にはビジネス用の蔵書が極端に少ないこと。
貴重な時間を割いて私が得たのは、そういう事実だった。
そのかわり、書店の棚にその種の単行本はあふれていた。
ビジネスマンの世界では、今が盛りの「自己啓発」。
一般新聞でさえ「ビフォア・ナイン(出社前)の時間活用法」などという特集をやったころだから。
隙間時間(「自己啓発」の本には、この隙間時間の有効活用こそが大切であると述べられていた!)に2、3の書店に通い、棚にあふれる単行本を眺めておおざっぱに分類し、タイトルをこっそりメモした。
それを参考にハヤリの言葉を散りばめて、タイトルを作った。
約束の1週間後にはもちろん間にあわせた。
「やあ、いいですねぇ。章だてもいいし、とくにこのタイトルなんかいい」
「そうですかァ」
ほんとにこんなのでいいんですかァ。
私の声はちょっとシラケていた。
社長は謙遜と受け取ったようだ。
レンタルブティックの取材を大急ぎで済ませて、私は机の前に座る。
山積みになった資料のそばで、原稿を書く。
これこそがライターの仕事だと、私は意気込んだ。
にもかかわらず——ほんとに恥ずかしいことだが——にもかかわらず、出来はよくなかった。
今だから言える、今だからわかる、失敗の4大理由。
その1 マニュアル書についての無理解
「事典」という名に私はたじろいだ。が、こういうのはマニュアル人間を生むマニュアル書なのだ。どちらにしても当たり前のことをかんで含めるように書いたもの。それなのに、私は個性的な「自己啓発」の方法を見つけることに腐心していた。
その2 単行本信仰による混乱
世の中、くだらない本も多い。また特徴を出そうとするあまり、一般的な方法をあえて無視した本もある。マニュアル書向き、不向きの本を分別しないまま、私はめったやたらに付箋をつけていた。
その3 項目だてのまずさ
企画・構成が命。あんないい加減じゃ、やっばりいけないのだ。項目だてがまずいと途中で気づいても、それを勝手に変える権限を私は持たなかったし、それをする決断もつかなかった
その4 文章テクニックの未熟
私にはよけいなお世話と思える「自己啓発」も多かった。そんなこと、自分で考えろよな! そう思いながらいいものが書けるほど、私の文章テクニックは発達していなかった。
マニュアル書が初めてという私に、標準以上の原稿を書かせる道はひとつ。
今年度版を私に見せればよかったのだ。
そうすれば、私はうなって、それ以上のものを書く努力をしたものを。
もうひとこと言わせてもらおう。
今年度版を見ずに、初めての経験でこれをこなせる人は、新聞の求人広告であなたのところへやってなんか来ないよ。
弁解はよそう。
私は失敗したのだ。
これでライターと言えるだろうか。
私のオツムとココロはヒリヒリ痛んだ。
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