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ハウスワイフはライター志望(2) 変わらないと思い込んでいたら何も変わらないのよ

「ライターになりたい!」
熱い思いひとつを胸に抱えてライターの階段を駆け上がったもり塾塾長・森恵子の再就職奮闘記「ハウスワイフはライター志望」(社会思想社 1992年)をここに一部編集して連載します。今回は第2回。
子供を連れて公民館の講座に出席した恵子の視線は、堂々と場をまとめていく公民館職員と講師に注がれます。明瞭な言葉で語り、明確な論旨を展開する彼女たち——私と彼女たちは何が違うの?

なぜ彼女たちは、あんなにまぶしいの?

自己紹介が一巡すると、司会をしている公民館職員の女性が言った。
「次回からは、参加者ひとりひとりの問題や関心のあることを出しあって、話しあいを進めていきましょう」
黒板を背に座っている助言者が、その言葉ににっこりした。

「それから提案なんですが、講座の記録を出すというのはどうでしょう」
続けて職員は、その必要性を述べる。
受講生から反対意見は出なかった。
きっちり、しっかりその必要性を述べられて、反対できる人はいない——らしい。
私?
私もあったほうがいいような気がするし。
それに久しぶりに書いたりするの、楽しいかもしれないし。

こうして次の週も、「保育つき」「記録つき」講座が開かれた。

私は「あのぅ」と「そのぅ」と「えーっと」を連発しながら、しゃべった。
行きつ戻りつしながら発言した。
ときには、話しているうちに、
自分が何を言いたかったのかわからなくなった。

助言者と職員には「あのぅ」も「そのぅ」も「えーっと」もなかった。
言語も語尾も明瞭だった。
明瞭な言語で彼女たちは私たちの発言の矛盾をすくいとり、
明確な論旨でその矛盾を突き付けた。

ああやって堂々と話す彼女たちと、彼女たちの言葉をなるほどと、
あるいは猛烈に反発しながら聞いている私たち。
その差はいったいどこから来たのだろう。
彼女たちと私の年齢差はわずか数歳だというのに。
同じように子どもを持つ母親だというのに……。

彼女たちが受講者の発言から問題を拾うたびに、
私はそのことばかり考えていたような気がする。

なぜ彼女たちは、あんなに堂々としているの?
なぜ彼女たちは、あんなにわかりやすく話せるの?
なぜ彼女たちは、あんなに問題をはっきりつかめるの?
なぜ彼女たちは、あんなにまぶしいの?

こんな疑問のいきつく先は、ひとつしかなかった。
個人の資質の違いといってしまえるほど、
私は謙虚でもなく、いじけてもいなかった。

彼女たちは、職業を持っているからだ
それが私の結論だった。愛する夫と子供 —— 夢見た暮らしのはずなのに

私にはデキナイのよ!

3回目の講座で、嫁と姑の関係について話し合いたい、と私は切りだした。
なぜ、2時間も離れたところに住んでいる姑の目が、いつも私の背中に注がれているように感じてしまうのか、その疑問を解く糸口が欲しかった。

疑問が解けなければ、その目は私の背にいつまでも貼りついているような気がしていたから。

「素直で、かわいく、尽くす」嫁しか認められない姑に、「素直でもかわいくもない」ほんとの私がため息をつくと、「温厚で冷静な」夫が言う。

「60歳を過ぎた人に変われというのは、無理だから、ね。それに、ぼくたちは同居しているわけではないんだし」

その言葉を受け入れるのが、
私の役目なのだと言い聞かせてきた。
それが私の選んだ結婚なのだから、と。
その役目を忠実に果たしながら、
内心はその役目に従えなかった。

姑の大事な一人息子の世話をするための嫁、
大事な初孫を育てるための嫁、
やがては老いた自分たちの世話をするための嫁、
彼女にとってはそれ以外の何者でもない私。

私は夫の母にそれ以外の私を認め、
愛してもらいたかったし、
そうならなければ私は夫の母を愛せないと思っていた。
私たちが理解しあうための糸口が欲しかった。

この講座でならひとりで解けなかった糸口が見つかるかもしれない。
そんな問題提起をしたいと思いながら、
私は自分に言い聞かせるように、
「人はそうそう変わりませんから」。
発言の中でそう繰り返した。
多分、きっと、あきらめの口調で。

何度めかに私がそう言ったとき、助言者はぴしゃりと言った。

「あなた、さっきから変わらない変わらないって言ってるけど、それは違うわね。変わらないと思い込んで、変えようとしなければ、何も変わりませんよ!

私の状況をくわしく聞きもしないで、
そんなこと言わないでよ。
あなたは変えられたのよ。私は変えられないのよ。
変えたいけれど、変えられないのよ。
私にはデキナイのよ!

助言者を許せない、と私は思った。
「ぴしゃり」と言われれば私は言い返す術を知らなかった。
「嫁」という立場が養った私の処世術だったかもしれず、
「ぴしゃり」とした口調に人として対等でない関係を見て、私もぴしゃりと戸をたてたのかもしれず、
その言葉に真実があるかもしれないと考えてみる冷静さもおおらかさも、私は持ち合わせなかった。

本当は、私は……

けれども私は講座に通った。
講座には魅力があった。
私が本当はどんな暮らしを望み、
本当はどんなふうに生きたいのかが、徐々にわかっていく。

専業主婦の暮らしを選んだことを、私は心の底でとても悔いていたのだ。
どんな夫であっても、
私以外の人に私の人生を託すことが、どんなにむなしいことか、どんなに愚かなことか。
それがわかっても、
私の選択が間違っていたと誰かに言って受け入れられるほど、私の生活は不幸な外見をしていなかった。
誰に受け入れられなくとも、私は幸せではないと言うことができなかった。
不満はあっても、この暮らしを変えたいと公言することはタブーだと思い続けてきた。

あのもやは、私の暮らしをとても悔いる瞬間にかかったのかもしれない。
これ以上見つめてはいけません、と。
そのタブーが溶け始めると、
目の前のものをぼんやりと眺める時間が少なくなっていった。  (続く)

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