ハウスワイフはライター志望(12)録音が……、聞こえない!
「ライターになりたい!」
熱い思いひとつを胸に抱えてライターの階段を駆け上がったもり塾塾長・森恵子の再就職奮闘記「ハウスワイフはライター志望」(社会思想社 1992年)を一部編集して連載します。
今回は第12回。子育てしながらのライター業は綱渡りの日々。取材の前日、子供が熱を出した! 仕事か、育児か。葛藤と焦りが、思わぬトラブルを引き起こしてしまいます。
録音が……聞こえない!
ふたつめの取材の前の日、シンは熱を出した。
今まで一度も、取材の日とシンの病気が重なったことはなかった。
私の仕事はその程度の頻度だった。
シンも元気な子だった。
病気のシンを友人にお願いするわけにはいかない。
子どもは前もって予告のうえ、熱なんか出すわけがないのよ、と夫にひとことつけ加えて、夫が帰宅したらスケジュールが変更可能かどうか聞いてみる。場合によっては私の思いの丈をぶちまける——。
そんな悠長な時じゃないのだと、私は自分を納得させ、あわてて電話帳を繰った。
ベビーシッター派遣業はなかった。
そのころ、東京郊外にあったのは、家政婦紹介所だけだった。
私は家政婦さんを頼み、シンに伝える。
「おかあさんは、どうしても明日お仕事なのよ。今、それでね、お外のおばさんにお願いしたの。おかあさんが出かける少し前に来ていただいて、シン君のこと、おばさんにお話ししてから出かけるから」
「シュンちゃんのおうちはダメなの?」
「シンは風邪で熱が高いでしょ。 シュンちゃんにうつると今度はシュンちゃんが大変でしょう。だからおうちでおばさんとお留守番してて」
「うん……」
仕方なく、シンはうなずいた。
翌日、シンの熱は下がった。
少しほっとして、ふたつめの取材を終えた。
帰りの電車の中で録音内容をイヤホンで聞いてみた。
ほとんど聞き取れない——。
さっと血がひくのがわかる。
ぎゅっと吊革を握りしめる。
裏面を聞く。
もっと聞き取れない。
何かの間違いよ、これは!
そう、きっと、イヤホンの調子が悪いんだわ。
家に帰って聞く。
やっぱりほとんど聞き取れない。
うそよ!
そんなはずない!
でも——。
あるかもしれない。
電池を入れ替えボリュームを最大にする。
大きなテープレコーダーで聞いてみる。
少し聞こえるようになった。
でもテープ起こしができるのは、4分の1程度。
どうしよう……。
「プロはそういうこと、しないんだ」
夫が言った。
「私がどんな状況で、テープレコーダーをひっつかんで出ていったか、あなた、わかってるの?」
「どんな状況でも、インタビュー時にテープレコーダーの電池が入っているかどうか、それを確かめるのがプロじゃないか」
「妻がうろたえているとき、そんなこと、言わなくてもいいでしょ!」
子どものことは妻まかせで、仕事に関する客観的なご意見を言うのが夫の役目なのかしら。
ああ、もうそんな皮肉、言ってるヒマはない。ここでもつれているヒマはない。
できるところまでテープ起こしをして、あとは取材メモでなんとかしなきゃ。
2日しかない。なか2日しかないんだもの。
でも、なんとかなるわ。私のメモは詳しいんだから。
ずっとメモでやってきたんだから。
こんな表面的な記事では読者は満足しないのよ
締切りの日が来た。
シンは夜7時ころまでシュンちゃんの家で遊ばせてもらう。
夫が保育室と友人の家に子どもたちを迎えに行く。
その手はずを整えて、家を出る。
編集部に入る。彼女の隣に座る。
「まずテープ起こしの原稿を、見せてください」
私は観念した。
少ししか聞き取れなかった、と言った。
「聞き取れないですって。そんな失敗した人、今まで誰もいなかったわよ! いったい、どうするつもりなの」
「それで……取材メモをもとに原稿を書いてきました」
私は原稿を差し出した。
彼女はそれに目を通す。
私は彼女の横顔を、ただ見つめる。
彼女は顔をあげて、私を見る。
「こういう表面的な記事では、読者は満足しないのよ」
彼女はそう言った。
私は今まで表面的な文章ばかり、書いてきたのだろうか。
そうかもしれない。きっと、そうなんだ。
テープ起こしがあったって、なくったって、そんなことは問題じゃない。
表面的な記事しか書けない私が、私の文章力が、私の能力が問題なのだ——。
彼女は私を横に座らせ、私の記事を書き直し始めた。
テープなしで書く彼女の記事が私の記事とそう違いはなかったと思えるのは、今だからだ。
ラフ・コンテから始まる彼女のいらだちの究極がこの仕儀になったなどと思うのは、不遜が過ぎて怖かった。
彼女のペン先を見つめて時間がたった。
9時、10時、11時、12時——。
編集長も編集者も、みんな揃っていた。
「もう終電がなくなるころじゃないかしら。今なら間に合うから、帰ったほうがいいわね」
編集長がそう私に声をかけた。
「そうしてください」
彼女が言った。
「もう少し……、います」
私がいても、どうというわけではなかった。彼女にお茶を出すために動けるわけでもなかった。書いても書いても終わらない分量の原稿を彼女が書き終えるのを、ただ私は見つめていた。
1時、2時——。
2時過ぎ、それは終わった。
編集者たちはタクシーに乗り合わせて帰ることになった。
そして私も——。
一番遠くまで会社のチケットで帰ることになってしまった。
ひとり、またひとり、編集者が降りたあとのタクシーの中で、私は自分を切り刻んだ。
涙など出ない。
3時半、家に着いた。
鍵をそっとあけると、リビングから明かりがもれていた。
夫は寝ずに私を待っていた。
最初で最後のことだった。
「もう、この仕事はやめろ」
私の顔を見ると、夫はそう言った。
「そう思ってる。でも、このままではイヤ。もう一度ちゃんとやり遂げてから、やめる」
突然の宣言
次の日、いつものようにシンの幼稚園のお弁当を作り、シンを集合場所まで送り、それから大掃除を始める。
週末はシンとユミの七五三。
夫の両親と私の両親がやってくる。
台所をゴシゴシ磨いていても、風呂場でカビ取り剤を使っていても、声がする。
(そんな失敗をした人は、今まで誰もいなかったわよ)
(こんな表面的な記事じゃ、読者は満足しないのよ…… )
ユミが「おしっこ」と言い、私は現実に戻る。
いつものようにシンを迎えに行き、いつものように、友人たちと話す。
「どうしたの? すごく疲れてるみたい」
「うん、きのう締切りだったし、週末は七五三で大掃除の最中なのよ」
そうやって3日間を過ごす。
もう、済んでしまったことは仕方がない。
そう思うことにしたのに、またあの声が聞こえたりする。
土曜日がやってきた。
実家の両親が来た。
私は「実家から遠く離れたところで子育てをし、仕事をしながら幸せに暮らす」娘になった。
夕方、夫の両親がやって来た。
夕食を作り、朝食を作り、美容院に行き、きものを着た。
5歳のシンも3歳のユミもおばあちゃんたちも、きもの。
8人が神社にお参りする。
「無事、ふたりが成長しますように」
私自身のために祈る言葉など何もない。
神社から帰り、脱ぎ散らしたきものを片づけ、お茶を飲み、みんながほっとくつろいだときだった。夫が突然、それを言い出したのは。
両親4人がリビングで子どもたちと遊び、私は台所に立っていた。ダイニングの椅子に座った夫は4人のほうをむいて、さりげなく言う。
「ああ、それからね。来年のことだけど、ユミは保育園に入れようと思うんだ」
私は振り返った。
姑が立ち上がり、ダイニングのほうへやってきて、夫の向かい側の椅子に座った。
私の両親が息を飲むのがわかった。
いつか言わなきゃって話してたけど、そのときはぼくが言うって言ってたけど、それが今日なんて打ち合わせ、してなかったのに——。
もう始まったんだから、仕方がない。私はフラフラと夫の横に腰かけた。
後悔のない子育てをなさい!
「保育園って? それ、どういうこと? シン君が通っている幼稚園は、ここから通うお友だちも多いし、のびのびしていてとてもいいって、言ってたでしょう」
「うん、あの幼稚園は確かにいいんだけどね。お迎えが2時なんだ。それじゃあ、恵子の仕事ができないんだよ」
「仕事ができないって——。仕事ができないって、それどういうこと?」
「おかあさん。ぼくはね、母親がいつも家にいることが一番いいとは思わない。母親も働いている姿を子どもに見せるのは、大事なことだと思う。恵子はこれまで仕事に出るときも、子どもを放って出てたわけじゃない。信頼できる友だちに預けて、信頼関係を作りながらやってきた。だけど、ね。もう限界なんだ。恵子は一生懸命やってるよ。子育ても仕事も。保育園に預けたって、それは変わらない」
「だから保育園って——。子どもを保育園に入れてまで仕事をする必要がどこに——」
「やめなさい! 若夫婦のことは若夫婦に任せろと、あれほど言ってあるのに、まだわからないのか。サキ子の口出しすることじゃない!」
舅が言った。
「若夫婦のことは若夫婦に任せろ!」
舅のこの言葉を聞いたのは2度目だと、私はあのときのことを思い出す。
シンが1歳前のころのこと——。
いつものように、私たちは夫の両親のもとヘ1泊で出かけた。
きれい好きな姑はシンの着替えが何かひとつでも足りなくなると、とたんに機嫌が悪くなる。
その日、シンのものは充分入れたが、夫の下着が入っていなかった。
どのバッグにもないとしつこく尋ねる夫に、私は持て余した調子で言った。
あなたが自分で準備しないからよ、と。
私たちの部屋にやってきた姑はその言葉を聞いて顔色を変えた。
「夫の着替えを用意するのは、妻の役目です!」大きな声でそう言い捨てて、ぷいと横を向き、姑は部屋を出ていった。
姑の剣幕に私はおろおろした。
そのときだった。舅のその言葉を初めて聞いたのは。
「リョウ、ちょっと来い! おまえは大ばか者だっ! 苦労知らずのバカモンだっ! 恵子君はな、嫁入りでひとりこの家にやってきたんだ。それをかばってやるのが、おまえの役目だ。一番かばってやらなきゃならないおまえが、そんなことでどうするっ! それからサキ子! おまえもおまえだ。若夫婦のことに口出しするなと、あれほど言ってあるだろうがっ!」
舅はまっ赤になって怒鳴った。
私はうれしかった。
私の結婚はやはり「嫁入り」だったのだと思いながら、舅のその怒りがうれしかった。
今日の舅の口調は、あのときほど強くなかった。
私の代弁をしている息子に安心したのかもしれない。
そのかわり、姑はあのときのように笑ってその場を取りつくろう必要もなかった。
「あなたたちが考えて出した結論だろうから、私はもうこれ以上何も言いません。ただ、ひとことだけ言っておきます。後悔するような子育てだけはしないでちょうだい。私は一度だってリョウを育てるときに後悔するようなことはしませんでした。それだけは恵子さんにも覚えていてもらいたいわ」
ぽろぽろっと涙のつぶが流れていくのがわかった。
涙が私の膝をぽたぽた濡らした。
母親が仕事をしてはいけませんか。
仕事をすることは、子どもを顧みないことですか。
子どもを育て、やがてはあなたを看取るためだけに、私のこれからの長い人生を生きろというのですか。
私はあなたの満足のためだけに生きられません。
私は夫や子どものためだけにさえ、生きられない女なのですから。
後悔しない子育てって何ですか。
後悔するとわかっている子育てをする人が、どこの世にいるというのですか。
そんな言葉が涙の雫になって、膝に落ちた。
姑にとってかけがえのない、たったひとりの子ども、たったひとりの息子。
そんな男を伴侶に選んだ者として、それは言えない言葉——そう思っていたから。
結婚生活を大切にしようと決心して暮らし始め、そのために何よりも避けなければならないのは夫の両親との決定的な亀裂だと思っていたから。
私が涙をふくと、私たち8人は何事もなかったように祝いの膳を囲んだ。
私の両親を駅に見送ったとき、父は少しだけ私を見つめた。
母は私をじっと見た。2人の気持ちは言葉にならなかった。
「気をつけて」と私は両親を見送った。
夜更け、夫と私はダイニングの椅子に座っていた。
「これから、どうなるのかしらね」
「別にどうもならないよ。おふくろは言ってしまえば気がすむタチだから、ユミの保育園入園はもう決まったようなものだな。それにおやじもいるし、大丈夫だよ。来年の春になれば、君ももっと仕事ができるようになるよ。今までは大変だったけど、ね」
私は椅子を立ち、夫のそばに行った。それから夫の首に腕を回し、キスをした。そして、また泣いた。
(次回に続く)