別に生きる
キメラアント編の終盤、ピトーとの一騎打ちを望むゴンについてのキルアのセリフです。
キメラアント編終盤は、「共に死ぬ」という関係が非常に多かったように思います。
・任務を終えてもなお、師匠や友の名誉のために残るナックル
・ピトー戦に役立てないと理解しながら残るキルア
・「大人の事情」に殉じた会長
・最期の時間をコムギと過ごそうとする王
・王と共に死んだコムギ
ただ殉じるわけでも自死するわけでもなく、自分の明確な意思で、死を覚悟したキャラクターの感情表現が見事な傑作でした。
夏目漱石と芥川龍之介
超有名な文豪であり、師弟関係でもあった2人ですが、人の感情の機微に鋭い分、神経衰弱に悩まされた点でも共通していたそうです。
そんな2人ですが、年長の漱石は自殺や殉死に否定的でした。死は甘美だが「つまらない」と言っていたそうです。(名著「こころ」でも漱石の死生観が窺えます)
一方の芥川は「ぼんやりとした不安」で命を断ちます。夏目先生のことは、遺言で全集を漱石と同じ出版社にするほど尊敬していたそうですが、死生観に関しては異なっていたようです。
自分は、学生時代「ぼんやりとした不安」という表現がしっくり来すぎて共感したものですが、大人になるにつれ「つまらない」という表現が胸にスッと落ちるようになりました。
道徳的に… とか哲学的に… とかではなく、ただ感情として「つまらない」。
この一言に何度か救われたような気がします。
「待つ」
ここからは個人的なメンヘラnoteです。
昨年の今頃、「待たなくていいです」と言った人がいました。
そういえば、期待されるのが辛いとも言っていました。
彼女の気持ちを考えるなら、待たない方がいいのかとも思いましたが、率直に言って不可能でした。
何を見ても思い出す。消息が気になる。声が聞きたい… これでさすがに「待っていない」とは言えませんでした。
「戻ってこなくてもいい」
翻って今、彼女にこう声を掛けた方がいらっしゃいました。
自分の想いとはまるで逆なのに、「なんて優しい発言なんだ…!」と感動しました。
私はてっきり、
「待つ」=「早く帰ってきてほしい」
だと思っていたのですが、おそらく、それだけで割り切れるほど単純じゃないんだと感じました。
別に生きる
冒頭のキルアたちのように、本当の友のためならば命を懸ける覚悟…と言うと大げさですが、全世界を敵に回す覚悟ならあります。
一方で、「殉じて死んでくれ」とお願いされたなら、逆に断れると思います。
そんな「つまらない」ことをするぐらいなら… 今ならそう言い返せます。
どちらにせよ、共に死ぬことが叶わない以上、残された道は「別に生きる」ことだと思います。
「帰ってきて」ではなく、
万が一また会えたら、そのときはいつも通り、昨日のことのように挨拶できるように「待つ」
それが「別に生きる」覚悟だと、今は思います。
内に溜めるより、前を向くためのnote書きます!もし迷惑ならやめます!