旅は続くよどこまでも
東海林さだお『東海林さだお自選 ショージ君の旅行鞄』(文春文庫、2005年)
緊急事態宣言が解除されたとはいえ、まだまだ以前のように自由に外出、という雰囲気ではありません。
そこで、「お家で旅を」第2弾として、今日は本書を取り上げました。
東海林さだおといえば、もはや漫画家というより、エッセイストというイメージが強いかもしれません。紫綬褒章まで受賞しちゃってますが、この日常のあるある感を掬い取る眼力と、それを余さず読者に伝えながらもわかりやすくテンポの良い文体が作者の妙味です。
本書は、数々の旅エッセイや駅弁にまつわるエッセイを編集したもので、厚さは実に5センチ、900ページ余りに及ぶ、一見すると京極夏彦かという文庫です。
東海林さだおのエッセイは大好きで、本棚にほぼコンプしていますが、作者の書くエッセイは「ドーダ」を感じさせないところがいいのです。
読書していると、たまにあるんですよね。食べ物とか旅行のエッセイとかで作者の「ドーダ」がにじみ出てしまってるものが。あれはいけません。「お前ばっかりいい思いしやがって、ぐやじー」となってしまうのです。
そこへ行くと、東海林さだおのエッセイは、どこか悲哀を感じさせます。あえて貧乏を味わうために古びた温泉宿に泊まってみたり、面白くもないハワイ団体旅行に行ってみたりと、面白そう、ちょっとやってみたい、と読者に思わせつつ、しかし一方で、もう少しまともな旅がしたい、とも思わせます。そう、作者は決して読者に「ぐやじー」と感じさせないのです。優しいのですね。ここに行ってみたい、これを食べてみたい、そう思わせながらも、決して作者の「ドーダ」が表に出てこない。それは作品の中で、作者自身がそれなりに苦労もしていて、それを面白おかしく伝えてくれているからなのかもしれません。
自己開示は人間同士が親密になるための重要なステップなのだそうですが、本書ではまさに、ショージ君の自己開示が至る所にちりばめられています。だからこそ、これを読んだ人は、ショージ君の旅が他人事とは思えず、我が事のように思えるのかもしれません。
本書冒頭で、ショージ君は述べています。
旅行をしている時間よりも、探しものをしている時間のほうが長いくらいだ。するとなにか、旅行とは探しものをするために出かけて行くというわけなのか。(p.24)
どうでしょう、この含蓄に満ちた言葉。でもですね、これ、本当に旅に行くと大事なチケットだのカードだのが紛失して、旅行中なんどもなんども鞄の中をまさぐることになる、という下りにでてくる、本当の「探しもの」の話しなのです。
しかし、そのユーモアにまぶして、ショージ君は旅の本質をズバリと衝くのです。
旅とは探しものをするために出かけに行くのだ、と。
まだまだ自由に旅行に出られないかもしれませんが、読書という旅もまた、何かをみつけるために役立ってくれるかもしれません。
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