10年
あの日あの時、私は京都駅にいた。
記憶も薄れていくかなとおもっていたけれど
最近テレビを見ていると当時の記憶が思い返されて胸がつまる。
被害の大きい地域に知り合いはいなかったし、
自分の身の回りに影響があったかというと、
被災された方の事を考えると無いに等しい。
ただ、ちょっと記憶を残しておこうと思った。
10年たってこんなに覚えていることに
自分でびっくりしたから
書いておこうと思った。
自分のためのメモのようなnote。
あの日あの時、私は京都駅にいた。
妊娠中、つわりが収まり、動けるようになったので、
浮かれて街に繰り出していた。
京都も揺れたようだが、歩いていたからか全然気づかなかった。
ただ、すれ違う人たちの様子がすこし違った。
「そっち大丈夫?」とケータイで電話をしている人
「揺れた」と言ってる人
何かあったのかな?と思った。
ガラケーで検索したかどうかは覚えていない。
ただ、お店の天井を見上げると、照明が揺れていて、
あぁ、地震があったのか。と思ったのは覚えている。
家に帰って、テレビを見て、
何が起こってるのか意味が分からなかった。
津波の映像だったか、火災の映像だったか。
現実とは思えない風景が流れていた。
夫がちょっと興奮気味に帰ってきた。
興奮している意味が分からんとちょっとモヤっとして。
恐ろしいことが起こっているんだよと、訴えたのは覚えてる。
本人も次第に事の重大さを認識していった。
震災の1年前まで東京のビルで働いていた。
後輩はまだそこで働いてるはず。メールを送った。
無事だったけど、すごく揺れて怖かった。と言っていた。
ずっとそれからの私の記憶はテレビとネットからの情報だ
ACのCMがずっと流れていた(CMを企業が自粛していたからだ)
逃げようと車に乗り込んでる人の近くに
津波が押し寄せている映像をみて
早く逃げてくれと祈った。
(のちに何とか助かったことを知りホッとした)
行方不明になった家族を探す人たちに
とくダネの笠井さんが同行した映像は今思い出しても苦しい
あちこちにモザイクがかけられた映像
見つかるだけでまだいいというお子さん
つらい取材に、笠井さんにいたわりの言葉をかけた小倉さん
いや、僕なんていいんですと涙ぐみながら答える笠井さん
もうテレビ見ているのが苦しくて、
でも毎日目がはなせなくて
毎日涙ぐんでた気がする。
心配した母が
あまり見ない方がよいんじゃない?
妊婦がショックを受けたらおかまが生まれるとかいう話もあるし。。
というのでなんだその言い伝えはと笑ってしまった。
あれから10年。
娘の年齢であぁ、何年たったんだと考える。
とりあえず、この日はYahooで「3.11」検索する。
1ミクロンでも、誰かの幸せになればいいなということをやる日。