不気味

テレビ東京の『SIX HACK』という番組を見た。Twitterで話題になっていた。

1話から3話では成功者になるという大上段に構えたテーマで、インテリ層に向けたビジネス番組のような様相を呈している。しかし内実は、はじめは少しの違和感だったものが段々と過激になっていく。6話まで放送予定だったが4話放送前に打ち切りになってしまい、YouTubeのみで検証の再現ドラマがアップされた。

この不気味な番組はなぜ惹かれてしまうのだろうか。そもそも不気味とはなんなのだろうか。6つの例から考えていく。

高架下
小さい頃から首都高の高架のある場所で育ってきた。高架というものは良い。飯田橋のあたりは外堀の上にコンクリートでできた大きな塊がそびえており、ビルの間から入り込んだ日光が水面に反射する。反射した光が天井のコンクリートに揺らめく。構造のためにできた溝が影となり、全くそこでしか見ることのできない景色が生まれる。
人間が高速で移動するという目的のためだけに、ここまで大きな環境改変をすることが許されるのか、という気持ちになる。日常を生活する我々、ましてや車を持っていない人にとってそれは直接的に関係のない構造物であり、それが生活の景色に大きな影響を与える。私のように生まれた時にすでに存在していればすんなりと受け入れる他ないのだが、作ろうといった人間、それに賛同した人間、それを反対した人間のことを考えると、想像できないほどのことがあったのだろう。
再三言うが、これは人間が高速で移動をするために作ったものである。たったそれだけのために自然の摂理を無視し、人間の手によって人間のスケールを大きく離れたものを作り出してしまったのだ。

ネタツイート
私はそんじょそこらの人間よりもTwitterのことを愛して止まないのだが、特にネタツイートを呼ばれる物が大好きである。と言っても一般的なただ笑えるものではなく、この世界の構造を把握し、解体し、新しい解釈を生み出している物が好きなのである。
例を挙げてみよう。
https://x.com/x_southythem/status/1724224408695505246?s=20
例えばこのツイート。nいいねでxxxするという構文がTwitter上には存在するのだが、それは大概の場合、「1000いいねで◯◯に行く」といったように、大きな数字もしくはギリギリ達成しそうな数字をあげて、その数字に見合った大きなことをするという場合に使われる。その構造があるということを共通認識として置いた上で、2いいねという彼のアカウントの規模からすれば確実に達成する数字を使い、その上でカマキリに付いていくという小さな行動を行うのだ。
このツイートは構文というこの世界の構造を把握し、それをわざと縮小させることで、我々にこの世界の構造に対する価値観を見直させているのだ。
https://x.com/inuinfinity/status/1724775584813986281?s=53&t=ghPf_Slq1c0f1mHXyT7PEQ
これもそうだね。

不気味の谷
不気味の谷という言葉を知っているだろうか。人間型のアンドロイドなどで使われるのだが、外見を写実的に表そうとした時に写実の精度が高まっていく中で、ある一点において好感とは逆の違和感、恐怖が生まれてしまう現象である。ホラーゲームなどではよく使われる手法であり、体験したことのある人も多いと思う。


https://youtu.be/ObAy2bIqRyo?si=tQ07C5zgamSwrzk0
この現象がどうして発生するのか。それは一口に得体の知れないものだからである。肌の色に人間のようなグラデーションがない、顔のパーツが人間のそれとは違う、動き方が人間の本能から発生するものとかけ離れている。これらの要素が人間に与えるものは、人間に近い形をしているものなのにどこか人間とは違うという思考であり、それが恐怖へと繋がる。
人間は古くから妖怪や幽霊のような異形に対して恐怖心を抱いており、それは人間の形をしていながら人間とは違う行動原理で行動するということに由来する。人間がそれを作り出したというのが不気味の谷なのである。



厳密に言うと黒という色は自然界には存在せず、現代の技術を以ってしても完全な黒は作られていない。洞窟のように可視光の一切入ってこない空間では人間は色を認識できないため、黒という色によって表現される訳だが、そのような場所に対して人間はどのような感覚を持つのだろうか。それは多くの場合、恐怖だろう。黒には人間を引き込み、目を奪い、吸い込んでしまうような力がある。逆に白い紙に黒い物が描かれていた時には、それは浮き上がっているかのように見え、同じように人間を吸い込んでしまう。
デザインの世界では完全な黒、カラーコードで言えば#000000は使わないという。これはやはり黒という色には他の色を圧倒してしまうような力があるということなのではないか。その色が使われた瞬間に人間は黒に引き込まれてしまい、他の色が見えなくなってしまう。

団地
人間が規則正しくならんだ同じモジュールの箱の中で暮らす空間。それが集合住宅であり、究極の形が団地である。団地には美しさがある。一つの大きな箱を仕切りによって分け、人間をそれぞれに当てはめる。そうすると人間はそこに適応し、各々が生活を始める。
団地の住戸のスケールはとても人間的である。しかし人間的であると言えるのはそのスケールのみであり、団地の間取りなどを決定するためのルールとして存在している物はとても機械的なものである。ざっくりと人間の生活に必要とされる住戸面積を求め、必要な部屋数で割っていく。パズルのように各部屋を埋めていき、最も効率的な配置を並べ、積み重ねる。
人間の生活という本来人間が生活のルールによって決定していたものを、工業や資本といった効率的なルールへと乗り換えさせ、住戸が人間の為のものであるという事実を矮小化させる。その行為によって生まれた存在が団地である。
それに逆らうように、人間は与えられた住処を道具のように扱う。それは自分の手に馴染むように家具を選び配置し、ベランダにプランターを置き、人間の身体性を拡張させるための手段として利用するのだ。
工業や資本といったものは、元を正せば人間の手の中にあったものだ。如何にして効率的に事を運ぶか、利益を最大化させるかという人間の欲望こそが人間の手を離れさせてきた。団地での生活に秘められた、人間の手を離れてしまったものと人間の生活の衝突するところには、人間の力強さを表すような魅力が確かに存在する。



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