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痕跡を残すための建築

毎週noteを書いて最終提出のときには冊子にまとめるなどとのたまわていたが、中間提出のときに更新してから全く更新しないまま、最終提出2週間前を迎えた。今週は書きますぞ。


カタチ

中間提出の際に言われたこととして、規模がでかすぎると言う話。たしかにそうだ。

その後に僕が机に突っ伏して寝ている間に手塚さんが来て、「これを半分にすればもうそれで行けるよ~」みたいなことを言っていたらしい。それで行くことにした。

↑前回の。リングは直径240mある。

ボリュームの決定

さて、現在考えている案なのだが、中間の際と同じ形式で直径100mの円形の美術館を設計することとした。

中規模美術館の延べ床面積をリサーチすると、概ね4,5000㎡程度であるということが分かった。そして中間提出の案では、樹冠のくり抜きを含めた面積で20,000㎡であり、樹冠を取り除いた延べ床面積が約14,000㎡であった。敷地によって差は生まれてくるが、概ね3割程度が樹冠によって削られるということが分かる。

よって5000㎡の床面積を確保しようとしたとき、約7500㎡が必要となり、半径50mの2乗に3.14をかけるとその数字に近くなる。そこからボリュームを決定した。

床を浮かせる

中間提出では4mほど浮かせていたが、今回の提案では200mm~1500mm程度にする。


断面図

まず前提として、既存の木を残すという提案である以上、その周りの地面のレベルを変えることはできない。そのためある程度のレベル差に許容できる必要がある。

地面から建築を離すことによって空間が生まれ、虫や小動物が暮らす空間が生まれる。また、地面とのレベル差が大きいところでは子供が入り込んで遊べる空間にもなるだろう。人が入り込める部分があることでメンテナンスも容易になる。


wikipediaより

植生には階層構造というものがあり、それは以下のように説明される。

生態学において階層構造(かいそうこうぞう、Stratification)とは、生息地の垂直的な階層であり、植生の階層による構造である

wikipediaより

一般的に林床地表層)、草本層、低木層、亜高木層、高木層(林冠)に区分される。これらの区分は各層における植物の高さによって決められる。

wikipediaより

ある層の植物同士、特に生活様式やそれに関連した根の分布が類似の植物同士は密接に相互作用し、かつ空間、光、水、及び栄養素で競合する。植生の階層構造は長い期間の植物にわたる適応と自然選択の結果であり、強く垂直に階層化された生息空間は非常に安定な生態系である。

wikipediaより

この提案では上記の低木層を担うことを目指す。低木層のかわりとなる建築を置くことで高木層や草本層、林床への影響を減らし、より自然状態に近い環境をつくる。

コンクリートには土壌をアルカリ性にする性質があり、現在土壌を考えるに当たって大きな問題となっている。これを解決するために礎石を使った基礎を提案したい。


wikipediaより

礎石というのは古くから基礎として利用されてきた方法であり、柱の水平設置や腐食防止のためにあるものである。自然物である石を基礎として利用することで土壌汚染を防ぐことができるだろう。

能作文徳は「杭とトンガリ」で地中深くまで鉄の杭を打ち込み、コンクリートによる土壌汚染を防いだ。

dot architectsは「仮の家」で自然の石を基礎石として利用することで、建築を地面から浮かせている。

これらの事例(小規模ではあるが)から見ても、不可能な手法では無いのではないかと思う。


1:100模型

ナカミ

プログラムについては先述したように美術館である。その話の前に、この建築の核となる事柄についてお話ししたい。

足跡を残す

まず、人間の幸せとはなんだろうか。そのことについて考えてみる。

その1つに、自分がそこにいたという痕跡を残すことというのが挙げられると考えた。例を挙げると、人類はアポロ11号に乗って月に行った。その際に象徴的に用いられるのは、月につけた足跡や旗を立てる写真だろう。


日本経済新聞より


Business Insider Japanより

これらの写真が表しているものは、人類が未知の場所へと足を踏み入れ、環境を改変したということだろう。これを一般化すれば、人間がその場所に痕跡を残すということはそれ自体が価値のあることだと言える。

もう少し身近な例で言えば、遺跡にたくさんの落書きがされているのは旅行者がその場所に行った跡を残しておきたいという心理からであることがわかる。また、あなたも海に行ったときに砂浜に文字を書いたことがあるだろう。それも同じ原理で説明することができる。

現代の都市にはそのような自分の痕跡を残しておけるような余地は残されていない。例えそれに抗って痕跡を残したとしても、それを消そうとする勢力が無かったことにしようとする。

日比谷公園は周辺環境の中でも異質な場所である。西には霞が関の官公庁街があり、南と東にはオフィス街や歓楽街がある。北には皇居があり、それらのどの環境をとっても、人々が自分の痕跡を残すことが積極的に許されることはない。

この日比谷公園を人々の痕跡を残せる場所にする価値が十分にあるということがわかっただろう。さらに痕跡を残すという行為は大きな効果を人間にもたらすのだ。

我々は自身のアイデンティティを自己の中だけで完結させるのは難しい。例えば自己紹介をする際に最初に発する言葉は、自身の所属だろう。東京都市大学 建築学科の森部雄仁です。と。自分はどういう性格で…◯◯が好きで…といった、自身の内側にある情報から自己紹介を始める人は少数である。

人が自分のことを説明する際に最も理解されやすいことは、そのような本質的には自身のパーソナリティとは関係のない部分であり、それによってアイデンティティを確立している。人々は自分の拠り所を外部に求めているのだ。

これを痕跡を残すという行為とつなげる。痕跡を残すということは、自身がその場所に居たことがあるということの証拠であり、それは物理的にも脳内にも刻まれる。それによって日比谷公園で過ごす自分というアイデンティティが発生し、日比谷公園への愛着が生まれる手がかりとなり得る。

現在の日比谷公園はアスファルトで舗装され、植林されている部分には柵が設けられている。日比谷公園を取り囲む都市と同じように、自分の痕跡を残すことのできない場所である。そこに痕跡を残すことのできる場所があることで、人々が日比谷公園を拠り所として生活するための一助となるだろう。

日比谷という場所に美術館を作ること

日比谷公園の東側には銀座がある。銀座は戦前から栄えていた繁華街であり、高度経済成長期になると画廊が急増する。アートの街としての銀座はバブル期が最盛期であり、300軒以上の画廊があったという。現在でも銀座周辺には100を超える画廊があり、銀座のアートの文脈は残り続けている。

日比谷公会堂は東京唯一のコンサートホールとして文化の発信地であったが、現在の東京には沢山のコンサートホールがありその役割は薄れている。そして、老朽化に伴い2016年に休館した現在の日比谷公会堂にはその地位が無くなってしまったと言っても過言ではない。

アートの街である銀座の隣の日比谷の地に、新たに現代的な美術館をつくることで日比谷公園に新たな文化の発信地としての役割を持たせ、その価値を引き継いで行きたいと思う。

美術館のあるべき姿

美術館とは社会の中でどのような役割のものなのだろうか。

近代美術館の始まりは1793年のルーブル美術館だとされる。それを皮切りに作られてきた近代美術館は美術品を収蔵し展示するための箱であり、それによって権威付けられてきた。

それでは現代の美術館に求められている物はどのようなものだろうか。それを探るために昨年行われたICOMプラハ大会で改正された、ICOM規約第3条の博物館定義を見てみる。

ICOMは国際博物館会議と訳され、国際的な博物館にかかわる情報の交換や知識の共有を目的につくられた組織である。

博物館は、社会に奉仕する非営利の常設機関であり、有形及び無形の遺産を研究、収集、保存、解釈し展示する。一般に公開された、誰もが利用できる包摂的な博物館は、多様性と持続可能性を促進する。倫理的かつ専門性をもって、コミュニティの参加とともにミュージアムは機能し、コミュニケーションを図り、教育、楽しみ、考察と知識の共有のための様々な体験を提供する。

ICOMプラハ大会より

改正前の定義は以下である。

博物館とは、社会とその発展に貢献するため、有形、無形の人類学の遺産とその環境を、教育、研究、楽しみを目的として収集、保存、調査研究、普及、展示する公衆に開かれた非営利の常設機関である。

美術手帖より

ここからわかることは、以前の美術館というものは市民が美術作品を鑑賞するためにあるものであったが、新たにコミュニケーションや学びという人々が能動的に美術へと参加できるようなシステムが求められるようになったのだ。

その文脈の上で、現在多くの美術館において「ラーニング」という概念が用いられている。美術館と観客が双方的なコミュニケーションの上で学びを提供するものだ。

それが建築的な形としてつくられたのが西澤徹夫の八戸市美術館だろう。

専門的に深く学び、違う専門性に出会える個室群と、教える人と学ぶ人が同じ場を共有するジャイアントルームという、2種類の空間を用意した。

偶然は用意のあるところに より

ジャイアントルームに設けられている移動展示壁や移動間仕切りとなるカーテンは、ジャイアントルームで行われる様々な状況に最適になるように設計されているらしい。また個室群の動線から見ても、2つの空間が相互に補完し合うような計画となっている。

テーブル、椅子、収納棚などの什器、外構の植栽やベンチまでが建築の1パーツとして扱われ、細かな部分まで設計され尽くしている。まさに偶然は用意のあるところにとはこのことだ。

ツクる

痕跡を残すために

痕跡を残すための建築として、4つのファクターを設定する。

1つ目は、「木の穴」である。樹冠をそのまま投影し、円形として建築をくり抜く。これは円形の一様なボリュームに対して既存のオブジェクトが影響し、豊かな空間をもたらす。これは今の日比谷公園の痕跡を残し、後世へと伝えるものになりうる。

2つ目は、「制作」である。美術館の中に市民が作品を制作できる場所を作ることで、人々のそこにいた痕跡を作るための役割を持つ。

3つ目は、「展示」である。制作された作品が展示される場所を作ることで、人々のそこにいた痕跡を残すための役割を持つ。

4つ目は、「余白」である。円形のボリュームの中で上3つのどれにも当てはまらない場所を余白とし、制作と展示を結ぶ空間、日比谷公園と美術館の間にある空間として機能する。ここには制作空間、展示空間がはみ出しながら広がり、やがて日比谷公園全体へと拡散させる。

建具、家具、道具。

そしてその4つを機能させるためのプロダクトが3つある。それは建具、家具、道具である。

建具とはドアや窓のような建築の中でも動かせる部分を指し、これは建築の持つ空間それ自体を改変させる効果がある。例えばドアを開けることで分かれていた空間が1つに繋がり、移動する人間にとって空間を広げることができる。逆にドアを閉めれば、その空間は狭まる。

家具とはイスやテーブルなどを指し、これは人間の行動を広げることができる。例えばイスに座れば人間の目線が変わり、そこで休息を取ることができる。それがテーブルの前であればそこに肘をつくことや、なにか作業をすることだってできる。

道具とはホウキやゴミ箱などを指し、これらは人間の行動を増幅させるものである。
ホウキやゴミ箱の場合は建築を清掃するという最も小さな規模のメンテナンスであり、人々が最も手軽にできる建築への関わり方だろう。
トンカチやノコギリの場合は制作に使うものであり、人々が思い通りに空間を制御するために存在するためのツールだと言える。
モビリティの場合は人間の移動を増幅させるものであり、これからの社会では更に大きな存在となるだろう。

それぞれのプロダクトが互いに関わり合い人々の振る舞いに対して機能することで、痕跡を残すための建築として成立する。

残される痕跡

それでは、ここで言う痕跡とはどのようなものを指すのだろうか。

最も直接的なものは作品である。自分の感情や思想などを造形を持って表現したものは、その人の文脈をもって残される。そのためには作品を作れる場所、残せる場所を作る必要がある。



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