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民主的と多様性を共生させる公園


ゴミのないゴミ箱はゴミ箱と定義できるのか

大谷の家でゴミ箱にタバコの空箱を捨てた。そのときにはゴミ箱には何も入っていなかった。なぜ人間はゴミの入っていないゴミ箱をゴミ箱と認識できるのだろうか。

一般的に考えてバケツのような形状をしたプラスチックの物体が家庭の床に鎮座している状況は考えにくい。アフォーダンス的にその物体がゴミ箱だと判断できたのだと思う。しかし、その情報以外にそれがゴミ箱であるということの証拠はなかったのである。ではゴミ箱を定義しそうなものを考えてみる。

例えば、ゴミ箱だと文字情報で記してあった場合、それはゴミ箱である。また燃えるごみなどと書いてあった場合にも、それ自体が燃えるごみなのではなくそれは燃えるごみを集めるためのゴミ箱なのだと判断できるだろう。
文字情報がなくても、ゴミが入っていたらゴミ箱と言えるだろう。

ではゴミとはどのように定義されるのだろうか。一見ゴミのように見えても、それは誰かにとってはゴミではないかもしれない。ゴミをゴミだと定義できるのは、ゴミを捨てるという行為をした人のみであり、他人がそれをゴミだと一方的に判断することはできないだろう。

ゴミをゴミ箱に入っているものだと考えることもできるかもしれない。しかし、定義されていないゴミ箱に入っているゴミは、ゴミ箱が定義されていないが故にゴミであることも定義することはできないため、循環定義となってしまう。

https://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E5%BE%AA%E7%92%B0%E8%AB%96%E6%B3%95

解決する方法があったら教えてください。

本題。

人々が公園へと参加し、自分自身の意志によって行動をすることができる公園。これを民主的な公園とする。

そのために必要な要素の一つには多様性が存在する。各個人の人格を肯定することを多様性を認めることとするならば、人々が決断したことを実行できるようにするのは民主的な公園を作るに当たって必須だろう。

人々が日比谷公園をそれを取り巻く環境に対して自由なふるまいをする。それが公園へと反映され、人が多く使う空間は広がりを持ち、少しの人が使う空間にはニッチな価値が生まれる。

私が作ろうとしている建築は、日比谷公園やその周辺環境によって導かれるゾーンをつなぎ、民主的な公園を達成するために人々の持つ日比谷公園を拡張させるものである。その建築が作られたとき、人の動きが生まれ、各個人が新しい空間を発見し、公園に対する自分自身の解答を生み出せる。

そこで生み出した解答というのは、確固たる意志に基づいて明確な形として見えてくるものではない。例えば歩くことによって生まれる道や、椅子を移動させることによって生まれる空間、見える景色である。意識をせずにあやふやな形で表現される解答にこそ価値があり、それが100年後、1000年後の日比谷公園を作り続ける。

未来の空間体験というものは、テクノロジーの発展によって確実に変化していく。例えば浮遊して移動することができればけもの道はなくなるだろう。しかし空気で浮遊していれば直下には強い風が吹き、地面に近い場所を走行する際には土ぼこりを上げながら移動しているかもしれない。

技術発展によって人々の振る舞いにどのような変化が起きるのかというのは全く予測できるものではない、Invisibleな存在である。私はそこで普遍的なゲームルールを設定し、人々が民主的な公園を実現するに当たり柔軟に対応できるような建築を設計する。

構想を実現させるためのふたつの設計

今回の計画の詳細を明確にしていこう。

まず、この構想を実現させるためには大きく分けてふたつの構造を設計しなくてはならない。ひとつめは、人々が民主的なふるまいを行うためのアイテムである。詳しいことは先週述べたが、それはけもの道などの人々のふるまいの垢だったり、椅子などのプロダクトと言えるものだったりである。

ふたつめは、人々が民主的なふるまいを行うためのゲームルームを設定するための建築である。これによって人々が日比谷公園に訪れた時にひとつの場所に留まり続けるのではなく、日比谷公園の中を探索し、自分自身の解答を作るための材料を集めさせるようなものでなくてはならない。

さらにその建築は、日比谷公園に多く人を集めるためのものである必要がある。それは日比谷公園を象徴するような存在であり、代替できないものである。そこに訪れるために東京中、日本中、世界中から人が集まり、様々な人が様々な価値観を持って日比谷公園への解答を持ち続ける。それによって日比谷公園が民主的な公園であることが保ち続ける。

具体的な設計手法

10個 のスタディ模型を作った。グレーの丸は周辺から来る人々の数を予想し、そのボリュームを抽象的に表したものである。それをゾーンと呼ぼう。それを基に、各ゾーンを結び、ゾーンの間に生まれる空白地帯まで人々を誘い出す建築を作り出すことを試む。


スタディ模型たち
上段左から1-5、下段左から6-10とする

1,2は抽象的な形で今回の計画に必要な敷地面積を表現した。今回この建築に入る機能は既存の日比谷公園の機能である野音、図書館に加え、美術館を新設する。すべてを合計すると20,000平米以上というのが妥当だとわかった。

3,4は各ゾーンの空白地帯に建築を配置した(Void)。この場合はゾーンにいる人々が建築へと入り込むことを目的としたが、他のゾーンへと越境することが難しい。

5-10は各ゾーンを結ぶような配置とした(Connect)。わずかに各ゾーンへと入り込み、それぞれを建築によって繋ぐことが可能になる。さらにここから空白地帯へと人々を拡散させるような構成を考える必要がある。

5は1つの線を各ゾーンを通過するように伸ばし、必要面積が取れるように膨らみをもたせた案である。
6は幾何学的で抽象的なボリュームの頂点によってゾーンからゾーンへの誘導を行う案である。
7は楕円形状で各ゾーンを繋げる案である。

8は機能のボリュームをゾーンに噛ませ、それぞれのボリュームを繋いだ案である。
9は8を拡張させた。機能ボリュームを細分化し、ゾーン同士がより深く繋がるような案である。
10は9を拡張させた。各ゾーンを繋いでいたものを途切れさせることで、公園へと人々が広がることを促す。最短距離にはけもの道ができるが、9よりもその道を離れやすいようにすることで、公園を探索するハードルを下げる案である。

8から9への発想はネットワーク的にゾーンを繋げるという試みである。一つ興味深い研究を紹介しよう。

http://shochou-kaigi.org/interview/interview_25/

北海道大学の中垣教授の研究では、関東地方の主要都市に粘菌の餌を配置し、河川や山や谷には粘菌の嫌いな光を当てた。そうすると粘菌が餌に向かって作るネットワークは現在の交通網と似てくるのだ。

人間が作りあげるけもの道はどのようになるのだろうか。建築に目的となる機能が集まっているとするならば、建築同士を最短で繋ぐ道というのはわざわざ作る必要がなく、勝手にけもの道が作られるだろう。

むしろゾーン同士を結ぶ際に求められるのは、最短ルートではない道を選択させるためのものだろう。日比谷公園には沢山の魅力がある。それを建築的なアプローチから生まれる集合知によって発見していくことが、私の構想する民主的な公園の最大の利点である。

中間発表、これからに向けての課題

まず第一に必要なのは、適切なゾーンの定義である。今回は設計手法を確立させるためのコンセプトモデルのスタディとなったが、それぞれのゾーンに来る人の特性、人数などから正確な予想と検討を行わなければならない。

さらに、どのような目的をもって人々が移動するのかについて考える。日比谷公園とそれを取り巻く環境から、人々が日比谷公園に何を求めているのか、これからの未来でどのような事が求められるのかを予測する。

具体的に言えば、今回の設計ではほとんどの既存の構造物は壊す予定だ。しかしながら、池や地形は残し続ける。それらは明らかに日比谷公園を日比谷公園たらしめる存在であり、建築以外の目的化するものとして考えるべきである。

多様性を掲げるならば、身体障害者をいかにして扱うかも考える必要があるのだろうか。

悩み

最近、どうも自分がかなり強いリベラルになっているような気がしてならない。自分の論理主義な部分も、理想主義な部分も理解していたつもりではあるが、どうもな……

権利の正当性とかを考える時に感情ではこうだろということでも、理論的には別のことが言える場合にはそちらが出てしまう事がある。

この前の意匠論の授業でも、留学生で日本語が話せないというだけでグループに均等に配当されなくてはいけないとか。感情的にはそれで良いのだけれども、日本で生活をしていて、日本国憲法の下に生きていて、ということを考えると言語によって教育を受ける権利が妨げられていると言える。

この主張自体になんら問題はないとは思っているが、そういう論理的な思考が感情にまで及んできたら嫌だなと言う話。

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