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人の視点だけで考えていると、見えなくなることがある ~コロナウィルスや天変地異の本質~
新型コロナウィルスの感染拡大を防ぐため、ロックダウン等によって人類が様々な活動を減退させた結果、地球環境が劇的に改善されたとのニュースが見られます。
コロナの脅威が叫ばれて久しくなりますが、これらのニュースを見ていると、脅威というのは、あくまで「人類にとっての脅威」なのだと感じます。
人類以外の生物たちは、ひょっとするとコロナのことを、環境改善をもたらす「恵み」のように思っているかもしれない。しかし、私たち人類だけが「困った」「困った」と騒いでいる。
そういった私たちの姿を見て、宇宙はどのように思っているだろうか。
そのようなことを考えます。
決して新型コロナウィルスによって、人が亡くなって良いとか、人類は滅亡した方が良いなどと言っているわけではありません。
ただ、人類中心の視点で考えていると、物事の本質を見誤り、根本的解決に至らないことがあるように思います。
この宇宙は、大きな調和と循環の中で成り立っていると言われます。
太陽系においても、地球の生態系においても、私たちの体内においても、調和と循環というものがかなり精密に保たれており、そのおかげで私たちは生きていくことができています。
以前、「人類が生まれるための12の偶然」という記事にも書いた通り、今、私たちが生きているこの環境は、単なる偶然では片づけられないような数々の条件が満たされたことによって形成されています。
私たちは生かされている。宇宙には、あらゆるものを生かし育もうとする意志がある、そのようなエネルギーで満ちている。
そのような中で、人類が「自分さえ良ければ」というエゴの思いでもって、全体の調和を崩している姿があります。
そう考えると、人類の視点で見ると「新型コロナウィルスが人類に脅威を与えている」となりますが、宇宙の視点で見ると「人類が宇宙の調和と循環を乱している。新型コロナウィルスはバランサーの役割を果たしている」と捉えることもできます。
この宇宙には作用・反作用の法則というものがあります。
自分が原因を作ったことについては、いつか必ずその結果が返ってくる。外に向けて何かの作用をなしたならば、その揺り戻しが必ず自分自身にやってくる。
押しては返す波のように。
人類が宇宙になしたことも、良きにつけ悪きにつけ、いつか必ず人類自身に返ってくる時が来ます。
これは、天変地異についても同じことが言えます。
“ラピュタがなぜ滅びたのか、私よくわかる。ゴンドアの谷の詩にあるもの。土に根を下ろし 風と共に生きよう 種と共に冬を越え 鳥と共に春を歌おう どんなに恐ろしい武器を持っても、たくさんのかわいそうなロボットを操っても、土から離れては生きられないのよ。”
宮崎駿監督は「天空の城ラピュタ」や「風の谷ナウシカ」の中で、人類が文明の力に溺れ、宇宙の中であらゆるものが「共に生きている」ことを忘れ、手痛い反作用を受ける姿を描いてきました。
新型コロナウィルスや異常気象が現れている今、私たちはこれらの物語から学ぶことがあるように感じます。
どれだけ文明を発達させようとも、私たちはこの宇宙の中で「生かされている」存在であることを忘れてはいけない。皆で「共生」していることを忘れてはいけない。
宇宙を人体に例えるならば、私たちはその一つ一つの細胞である、と言うこともできるでしょう。その中で私たちは生かされている。お互いに生かし合っている。
天変地異や疫病を招いているのは、私たち自身の「自分(たち)さえ良ければ良い」というエゴの思いです。
思いはエネルギーであり、現実的に作用を及ぼす。
エゴの思いが、宇宙という人体の中で腫瘍のようなものを作ってしまっている。
この腫瘍を取り除くために、天変地異や疫病が生じている。
だから、たとえ今の新型コロナウィルスを乗り越えたとしても、自分たちの「思い」と「行動」を変えない限り、また別の形で反作用を受けることになる。
そのように感じます。
風と共に生きよう。種と共に冬を越え、鳥と共に春を歌おう。
「自分だけが」ではなく、「皆で共に生きていく」という思い。
これは「人間」と「自然」が共に生きていくということでもあり、私たち「人間同士」も共に生きていくということです。
エゴの思いは反作用を生みます。
コロナ禍と言われる今だからこそ、このゴンドアの谷の詩を思い出すことが大切ではないでしょうか。