他人と自分を比較してしまう心 ~鬼滅の刃に学ぶ~
上弦の壱・黒死牟(こくしぼう)。
人間だった頃の名は、継國厳勝(つぎくに みちかつ)と言いました。
双子の弟・縁壱への嫉妬に苦しみ、鬼殺隊の隊士でありながら、鬼となってしまった厳勝。
嫉妬心というのは、誰もが抱いたことのある感情ではないでしょうか。
人はつい、自分と誰かを比べてしまうもの。
そうして比べることで、自分の価値が上がったり下がったりするように感じてしまいます。
その結果、「自分は特別だ」と思ったり、「自分には価値がない」と思ってしまったりする。
でも、そうやって人と比較してしまうのは、裏を返せば「自分を信じ切れていない」ということでもあります。
本当は、私たちは皆、そのままで「かけがえのない存在」。
そのことを、誰もが心の奥底では感じている。
それでも不安になってしまう。周りからの評価が気になってしまう。
人を助けるために鬼殺隊の隊士となった厳勝。
しかし弟と自分を比べてしまう中で苦しみ、いつしかその心は「自分の幸せ」を求める気持ちで、いっぱいになってしまいました。
そうして自らの強さを追い求めるため、厳勝は鬼となります。
「誰かのため」ではなく、「自分のため」ばかりになってしまった時、人は鬼となってしまいます。
永遠の命を得て、研鑽を重ね、圧倒的な強さを得た厳勝。
しかし、その心が満たされることはありませんでした。
そうして最期、以下の言葉をのこします。
「負けたくなかったのか? 醜い化け物になっても」
「強くなりたかったのか? 人を喰らっても」
「違う 私は 私はただ」
「縁壱 お前になりたかったのだ」
他人に勝つことでしか、自分の存在価値を得られないと思っていた厳勝。
しかし、どれだけ人に勝ったように感じても、心の幸せは得られませんでした。自分も周りの人も、誰一人として幸せにすることはできませんでした。
人との比較なんて関係ない。
大切なのは、自分がどんな心を持った人間になるか。そうして何を為すか。ただそれだけ。
厳勝は最期、刀に映った醜い自分の姿を見て、そのことに気づいたのではないでしょうか。
人にはそれぞれ「違い」というものがあります。
私たち一人ひとりが「唯一無二の存在」であり、それぞれに自分の向き合うべき「土俵」があります。
一人ひとり「違い」があるからこそ、その人にしかできない「役割」「使命」というものがある。
たとえ双子として生まれようとも、縁壱には縁壱だけの、厳勝には厳勝だけの個性があり、役割がありました。
にも関わらず、縁壱との比較に心を囚われてしまった。
それが、厳勝が道を誤るきっかけだったようにも思います。
比較は、時に人の心を狂わせます。
たとえ父に殴られようとも、不遇の弟(縁壱)を守ろうとする。そんな心の強さと優しさを厳勝は持っていました。
人と比べることなく、自分自身と向き合って、その強さと優しさを育んでいたなら。
厳勝は縁壱を憎むのではなく、助けられる人になっていたかもしれない。
そのように感じます。