仕事を続けるということ
お仕事をするということ
不労所得っていいですよね。家賃収入とか、印税とか。そこに至るまでに努力してるんですけど、ずっと同じことを継続しなくても、ある程度の収入を得られるなんて、寂れた喫茶店のマスターにもなるわけですよ、それは。(大いなる偏見)
なぜ不労所得の話から入るのかというと、
デレマスの杏ちゃんの話がしたい、
わけではなく。(かわいいし、話題性も少しあるけど。)
仕事のやる気ってどこにあるんでしょうか、という話です。タイトルそのまま。
仕事って先ほど挙げた不労所得以外でいうと、基本的には自分で何かを続けることが仕事になるんだと思うんですよ。
書類作成とか、物を売るとか、絵を描くとか、何かを教えるとか、誰かを助けるとか。
仕事には優劣なんてないという理想論がありますが、収入差は絶対にある。コロナで大変な飲食店も、夜のお仕事も、お医者様も、それ以外の学校関係も、事務関係も、それぞれの収入で生活しているわけです。
それに関係して、資格が必要だったり、技術が必要だったり、長年続けていて信頼がある、というのも大事になってきますよね。
いろんな要素が組み合わさって、”仕事のやりがい”というものを感じることができると思うんです。
感じ方は人それぞれなので、「周りに尊敬されてるんだからやりがいを感じなきゃいけない!!!」なんてことはない、はずなんです。たまに人に言われることありますけどね。直接じゃなくても、「しかりとした職場で仕事してるのに辞めるなんてもったいない。」とか。
もったいないかどうかを決めるのはその人なので、基本的に、判断基準の一つとしての意見にしかなりません。
自分の仕事について
私は保育士をしています。学校法人経営の小規模保育所から、株式会社経営の小規模保育所へ転職しました。
私のおおまかなことは自己紹介のほうを見ていただくとして、
大きな改正を受けながら学校教育を学んできた身としては、家庭との連携って本当に難しいなと身に染みているんですよね。
仕事で家のことまで手が回らない、保育園が保護者の支援を行う。でも本当は保護者に認めてほしいし、一緒に過ごしたいと思っている子ども、そんな中でも出来るだけ成長させようと頑張る保育者。
この書き方だと保育者が一番頑張っているように見えるでしょうが、これは働いている私のひいきではなく。
実際には、子どもだって保護者と引き離されても保育者の話を聞いて過ごしてるんですから、すごく偉い。
保護者だって自分が頑張っているのは家族のため、自分のためですから、仕事をするのは当然だし、それも偉いんですよ。
ここには誰一人として頑張っていない人はいない、でも、それでも歯車としてはバランスが悪いんですよね。ギシギシ音を立てて何とか回っている、油の足りないような状態になっています。
こんな無理矢理な状態、いつまで続けるんですかね。
はじめはやりがいだったんですよ。保護者を支え、子どもたちの成長を見守る。
素敵じゃないですか。言葉の響きも、その活動の社会的貢献度も。
でも、だんだんと「これって違うのでは?」っていうことが増えてくるんですよ。年数働いていると。
自分が大事にしていたものって、子どもの成長で、家庭の支援だけど、関わり方これでいいの?
とかいろいろと思い始めるんですよね。そうなると、仕事に対するやる気とか、自分の仕事に対するやりがいとか、誇りとか、薄れていっちゃうんですよ。
だから、世の中の保育士さんも、子ども達も、保護者も、世の中が大変な時だけど、仕事へのやる気、息抜き、大事にして、無理なく過ごそうねって思ったということです。